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小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

創作

2009-11-24 21:04:01 | 考察文
いよいよ冬になる。温かいものに嗜好が変わって、汁粉と肉まんを食べるようになった。柿も旨い。

エロティシズムは寒くなると起こりにくい、と思っていたが、眠れるようになって、体調が良くなって、結構、書ける。真夏は、夜、眠れないので、不眠だと当然、小説は書けない。

作家の島田雅彦氏の本の中に、全てを書き尽くした後に作家が始まる、と書いてあった。至言である。つまり、自分が書きたい事の全てを書き尽くしてしまった後に、それでもまだ書き続ける意欲を持っている人が作家である、という意味である。

私は、今まで、全てを読みつくした後にそれでも書きたい人こそが作家である、と思っていた。つまり、どんな作家の素晴らしい作品を読んでも、それでも、まだ満足できず、どうしても書きたいものを持っている人こそが作家である、と思っていた。母親は、詩とか短歌とかを、やっていた時期もあったが、今ではやめてしまった。母親は、三浦綾子の「氷点」を読んで、自分の書きたいと思っていた事を三浦綾子が書いたので、自分が書かないでも満足した、と言っている。

田原総一郎は、作家になりたいと思ってたが、大江健三郎の小説と、石原慎太郎の「太陽の季節」を読んで、自分は作家にはなれない、と諦めた。

ちなみに石原慎太郎の「太陽の季節」は単なるアプレゲールの作品ではない。と私は思っている。マラで障子を突き破る事は、別に大した問題ではない。それよりも「太陽の季節」の中で、母親に対する愛情の考察を懸命に書いている所があるからである。アプレゲールの勝手気まま、無思想の自由奔放を描こうとしたなら、ああいう考察は書かないはずである。そもそも戦後のアプレゲールの無思想の時代にあって、懸命に生きる意味を考えようとしたからこそ、小説を書いたのではないか。そもそも小説を読むのは、誰にでも出来るが、小説を書くには、しっかりした動機と意志がなくては出来ない。

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差別語2

2009-11-24 07:57:54 | Weblog
研修病院で働いていた時は、週一回、県のはずれの150床くらいの精神病院にアルバイトで当直に行った。初めのうちは車を持っていなかったので、電車で行って、駅からも距離があるので、タクシーで行った。タクシーに乗ると、「××病院にお願いします」と言った。運転手は、ほとんどは話しかけてこない。が、ある時、ある運転手が話しかけてきた。「××病院にお願いします」「××病院は何科ですか」「精神科です」「それで何の用で行くのですか」「当直に行くんです」「では先生ですか」「そうです」私は少し、先生と言われて少しくすぐったい快感を感じた。「精神科というと、患者はキ○ガイの人ですね」私は、おわわっと焦った。思わず、私は、「それ。差別語ですよ」と言わなくちゃならない衝動が起こった。しかし言えなかった。なぜかというと、その運転手は、あまりにも人がよく、差別心など、この人には無いのではないかと思ったほどだからである。そのため、その人に、注意じみた事を言ったり、恥をかかせたりする事が、可哀相に思ったからである。結局、私は言わなかった。こういう差別心が無い人というのも、まれにいるのである。しかし、それは百人に一人くらいの割り合いでしか、いないだろう。差別語をなくそうという人は自分に差別心があるから、自分や人間の心を嫌って、差別語をなくそうと思うのである。差別心というものが無い稀有な人は、差別という概念がそもそも無いから、差別語に抵抗を感じずに平気で言ってしまうのである。

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差別語

2009-11-24 07:45:48 | Weblog
差別語をなくす運動が行なわれている。それは昔からあったが、時代が進むにつれ、それは一層、強まっている。もちろん私も、差別という事には反対である。しかし、言葉狩りに対しては、むしろ反対である。なぜ、言葉狩りをするか、というと、それは当然、差別をなくすためである。つまり、言葉狩りとは、差別をなくすための手段であって、目的ではないのである。では、はたして、差別語をなくしてしまえば差別はなくなるか。といったら私は疑問に思うのである。私は差別語をなくすという意見には反対である。差別語をなくせば差別がなくなるという考えはあまりに単純すぎる。むしろ差別語をなくしてしまうと、表面的には、差別がなくなったように見えても、かえって、自分達は差別をなくす運動をしっかりやっているだ、という事実のもとにに安住してしまって、水面下で、陰湿な差別的行為が増してしまう可能性もあると思うのである。実際、昔と較べて、現在の、いじめは昔より陰湿化している。いじめ、そのものも増えて社会問題となっている。きれいごとをお題目のように唱えるより、差別というものから目をそらさず、直視する事こそ差別をなくすことに効果があると思うのである。そもそも、ほとんどの人間には差別心はあり、差別心そのものをなくす事は不可能である。それともう一つは、歴史、文化、伝統の問題がある。差別語の語源をたどると、実に日本の、歴史、文化、伝統と関係が深いのである。むしろ、差別語の語源を調べていったら、日本の歴史がどんどん分かって面白くなり、日本の歴史に関心を持てるようになると思うのである。差別語を無くすことは、そういう歴史、文化、伝統の認識を希薄にする。それは学力の低下にもつながってしまいかねない。実際、学力の低下は日本の社会問題である。そして徳川幕府が作った士農工商エタ、という差別によって、世を治めるという方法の何と巧妙で、ずる賢い方法であることか。力で百姓を抑えるためには、支配者は数ではかなわない。そのためには、職業を持つという事を禁止し、百姓の怒りが一揆を起こさないように、その怒りをに向けさせたのである。歴史とは、基本的に人間の悪知恵の歴史である。だから歴史を学ぶ時には差別を抜きにしては学べない。そして私がもう一つ、差別語について思うことだが。昔は差別が公然とあった。いじめがあった。まれに、温かく慰める友達もあった。つまりドラマがあった。それは子供にとっての非常に大きな体験である。その体験は子供にとって貴重なものだと思う。悪くはたらくケースより、よく影響するケースの方が多いと思うのである。例をあげれば、野口英世などはいい例である。彼は、不自由な片手を、「てんぼう」とけなされた。しかし、けなされた口惜しい思い、劣等感が、野口英世を昇華させ、そのため彼は、けなしたヤツを見返してやろう、偉くなってやろうという高い志が起こったのは間違いない。もし、野口英世が、不自由な手を、皆からけなされなかったら、日本が世界に誇る細菌学者、野口英世は、生まれなかったかもしれない。しかし、野口英世が劣等感を昇華させる事の出来る優れた人格があったからで、全ての人に当てはまることではない。

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