小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

オウム真理教

2009-11-28 00:35:56 | 考察文
オウムの地下鉄サリン事件が起こった時、その後、連日のようにテレビではオウム報道関係のニュースだった。私は、あの時、オウム報道にかじりつかなかったし、あまり見たくなかった。私は、あの時、レッツ・ダンスの名高達郎さんと大高たか子さんを見ていた。オウムの幹部は学歴が高い人が多く、女は美人が多かった。多くの人は、そういう人達の人生が潰されていくことに、非常に喜びを感じるのである。やっぱり学歴があってもダメなのよ、と安心感を感じるからである。他人の不幸は鴨の味でもある。そういう人はやることの無い暇人である。暇なおばさんは、やる事が無いから、そういうものにかじりつくのである。私は、そういうものにかじりついて他人の不幸を楽しむのが嫌いなのである。しかし、弁護士の青山にせよ、腰痛治療のため、オウムと関わり、そのうちにはまってしまった人が結構いた。もし腰痛がなければ、オウムと関わらず、あんな事にはならなかっただろうに。
しかし、麻原の実態がわかり上祐もそれに気づいた後の彼のある点は嫌いだった。それは、遠くから狙撃されないように、外に出る時は必ず、防弾チョッキを着て、ヘルメットをつけるようになった姿を見た時である。あれは、ニセモノだと思った。命が惜しい宗教者などニセモノだと私は思う。江戸時代のキリシタンは、想像に絶する拷問を受け、そもそも死を全く怖れていない。あれこそが宗教者といえると思うのである。

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