曇りがちで気温はさすがに真夏日とまではいきませんが、湿度が高く不快な日が続いていますね。今日は湿度は少し低いですが。
今回は僕が本音と建前に悩んでいる話です。
僕は初めて海外渡航したのは前にも書きましたが、29 歳の頃で、しかもプライベートの海外旅行ではなく、会社の仕事でです。これは当時(1980年代後半)としても遅い初渡航です。当時でも学生時代に海外旅行や留学した人は多かったからです。旅行先や留学先はアメリカが大半でした。
しかし、何故かその時から今日(もうすぐ57歳)に至るまで、約 30 年間、社内の日本人(当時から最近まで外国人を日本の会社に正社員として採用する、というのは大企業になるほど進んでいないですから。)と仕事をすることより、海外の顧客相手に仕事をすることの方が多かったです。
海外の顧客と仕事をするには、英語は最低必要条件でしたが、生来英語が苦手で、勉強自体嫌い、また当時はアメリカやイギリスがあまり好きではなかった僕は、外国人とコミュニケートするのはかろうじて出来ましたが、完全なブロークンでした。
最低必要条件すらこれでは外国人との間に誤解を生む場合もあるので、これではあかん、と英語の学習に少しは真面目に取組みだしたのは、なんと40歳代の終盤にはいったころからです。(いまでも、英語はぜんぜんあかん、という自覚と危機感があります。)
英語は全然あかん状況でしたが、海外出張や駐在も含め、海外の様々な人々や文化に触れる機会が多かったので、色々と実体験から考えさせらることが多かったです。
① まず、外国人(特に欧米人)からの信頼を得るには、自分とは何者か、自分がどういう考えや価値観を持っているのか、さらけ出さないと相手もさらけ出してくれない、ということ。自分の考えや価値観を言葉はたどたどしくでもさらけだすこと。
外国人(特に欧米人)は個人主義(利己主義と混同してとらえられがちだが、真の個人主義と利己主義とは全く違う。)的考えが強く、自分と他人とは価値観や考え方が異なっているのが当たり前だと思っているので、自分の考えと他人とがどう違っているのか、その中のどこが面白いのか、 優れているのかに興味をもち、耳を傾けます。(いわゆるオリジナリティですよね。)
② 次に、本音と建前を使いわけずに、本音で接し、相手が偉い人や逆に地位が低い人だからと言って、自分の考えや価値観、主張をその場その場で変えないこと。 人によってコロコロいうことが変われば、自分の考えに自信も信念もない、裏表のある一貫性がない、信用できないアンフェアなヤツ、と思われてしまいます。
そういう人たちと長く仕事をしているうちに、あけっぴろげに自分は何者かさらけだすこと、僕も自分の考えをしっかり持つこと、素直に自分の考えや意見を発言すること、などの癖がついてしまいました。
翻って日本(の会社)ではどうでしょうか? 例えば会議で役員や上司が意見を述べ、自分が違う意見があると、はっきり本音で発言出来るでしょうか? 僕は“癖”がついてしまっている上、年のくったオヤジですので、自分の考えが正しいと思えばはっきり発言してしまいますが。
大会社の若手の社員ほど、後でその上司に別室に呼び出されて 『 俺の仕事に反対するな。俺が嫌いなのか。』あるいは 『いいところを見せようとスタンドプレーするな。』などと理不尽なことを言われたりしないでしょうか。
かくして会議は違った意見の中でベストチョイスを決めるために集まるのが目的なのに、事前の膨大な時間を使っての役員や上司の根回し、出席者は10人いても発言するのは2~3 人だけ、という日本の会社固有の奇妙な報告会のような現象になってしまいます。報告ならば関係者一同にメールを送ればいいだけの話です。
長くなりましたので、続きは次回書きます。
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