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日本文化のユニークさ22:宗教的一元支配がなかった(2)

2011年01月19日 | 相対主義の国・日本
「日本文化のユニークさ」に一項目を付け加え5項目とした。あらたに付け加えたのは次のような項目であった。

(4)宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配がほとんどなかった。

これについてもう少し検討してみよう。呉善花が『日本の曖昧力 (PHP新書)』のなかで述べていることを参考にしたい。(この本についての私のレビューはこちら→クールジャパンの根っこは縄文?

日本列島は、国土の大半が山林地帯だ。水田稲作の長い歴史があるが、その特徴は狭小な平野や山間の盆地などでほぼ村人たちの独力で、つまり国家の力に頼らずに、灌漑設備や溜池などを整備してきたことだ。

一方中国大陸では、広大な平野部で大規模なかんがい工事を推し進める必要から、無数の村落をたばね無数の労働力を結集させる力が国家に要求された。巨大な専制権力が必要だったのだ。それを可能にするのに政治的、文化的な統治イデオロギーも必要だった。そのイデオロギーをやがては儒教が担うことになる。こうしてしだいに農耕文明以前の精神性(日本でいえば縄文的・多神教的な精神性)が失われていった。

逆に、日本列島のように農耕に適した土地がみな小規模だと、強大な権力による一元支配は必要なかった。島国であるため外敵の侵入を心配する必要もなかったから、軍事的にも大陸に比べ小規模でよかった。そのため日本では、強固な統治イデオロギーによる支配も必要とせず、縄文時代以来のアニミズム的な精神性が消え去ることなく残った。

さらに、一万数千年続いた縄文時代は、日本人の心の深層に多神教的な精神の強固な基盤を形作った。その精神は縄文語の中に深く刻まれていた。大陸から弥生人が稲作文明を伴って徐々に渡来してきたとき、縄文的な精神と縄文語は駆逐されるどころか、渡来人の文化や言葉を呑み込みつつ生き残っていった。それは、宗教的なイデオロギーによる一元的な支配を拒む力をもって日本人の心のなかに生き続けた。それゆえ仏教と神道は融合し、キリスト教はついにこの国に定着することがなかった。(次のエントリーを参照→日本文化のユニークさ03:縄文文化の名残り

ここで、「宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配がほとんどなかった」ことの理由として今まで述べたことを、順番は逆にするが、もう一度整理してみよう。

①縄文的・多神教的な精神は、日本人の中に強固な基盤を作っていたので、宗教などによる一元的な支配を拒む力を保ち続けた。

②農耕に適した土地が小規模だったため、強大な権力とそのイデオロギーによる一元的な支配は必要ではなかった。

③異民族との激しい闘争をほとんどしてこなかったので、宗教やイデオロギーを押し付けられたり、それに抗して自分たちの宗教やイデオロギーを正当化して、イデオロギー的に武装する必要もなかった。

これらのことが、相乗的にはたらいた結果、「宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配がほとんどない」ままに高度な文明を作り上げるという、歴史的・文化的にきわめてユニークな日本という国が存在することができたのであろう。

《関連図書》
ユニークな日本人 (講談社現代新書 560)
日本の曖昧力 (PHP新書)
日本人の人生観 (講談社学術文庫 278)
比較文化論の試み (講談社学術文庫 48)

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