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『日本辺境論』をこえて(9)現代のジャポニズム

2012年04月10日 | いいとこ取り日本
◆内田樹『日本辺境論 (新潮新書)

最後にもうひとつだけ重要な論点に触れ、このレビューを終わりたい。

内田が語る「辺境」の意味は、「世界標準に準拠してふるまうことはできるが、世界標準を新たに設定することはできない」ということであった。日本人に世界標準の制定力がなく、「保証人」を外部の上位者に求めてしまうことこそが、「辺境人」の発想であるということだ。これまで、文明の「保証人」を外部に求める日本人の「辺境性」を話題にし、そういう傾向がなくなりつつあることを論じてきた。

では、「世界標準を新たに設定できない」という辺境国のもう一つの特徴についてはどうか。日本人の「世界標準設定」能力については、これまであえて問題にしてこなかったが、最後に少し考えてみたい。

その前に「世界標準」とは何だろうか。まずは、キリスト教、イスラム教、仏教、儒教など、それ以降の文明の基礎を築くことになった普遍宗教であろう。そして、それらの普遍宗教に基づいて生まれた文明の原理であろう。たとえばヨーロッパ文明は、キリスト教をひとつの基礎としながら、また一面ではそれと対抗しながら、近代の各種原理を生み出していった。「自由」「民主主義」「人権」「合理主義」「科学「進歩」「自由主義経済」などがそれにあたる。そして、それらが現代のもっとも強力な「世界標準」になっていったのである。

今、環境問題や経済の混乱の深刻化などにより、これら近代の文明原理はかなり問題をはらむのではないかと疑われ始めた。では日本は、それに替わる新たな「世界標準」を生み出すことが可能なのだろうか。これに対する私の答えは、上に述べたような「世界標準」という意味でなら「否」というものである。しかし、「世界標準」という言葉にこだわらずもっと柔軟な見方をすれば、必ずしも否と言えない。

日本は「辺境」の島国であったために、これまで「世界標準」を生み出すことはなかった。大陸で生まれた「世界標準」をひたすら吸収してきた。そうやって形成され日本の文化は、「受容性」を特徴としていた。それは、もっぱら「師」から学ぶ姿勢で吸収し続けることである。

ところが現代の日本は、長い長い受容の歴史の結果、その豊かな蓄積の内側から次々と独自の文化を生み出すようになった。江戸時代の独自な文化も幕末から明治初期にかけてフランスなどヨーロッパに知られ、その流行はジャポニズムと呼ばれた。現代のジャポニズムは、中国文明だけではなく西欧文明やアメリカ文明の受容と蓄積が加わり、それが縄文時代以来の日本の伝統の中で練り直され、磨かれることによって豊かに開花したものだ。それがインターネットなどの情報革命によって江戸時代とは比較にならないほど広範に世界に影響を与え始めた。

さて、日本文化のユニークさのひとつは、普遍宗教によって完全に浸食されてしまわずに、農耕文明以前の縄文的な文化が現代にまでかなり濃厚に受け継がれたことだ。これは世界史上でも稀有なことである。儒教や仏教を受容したときも、自分たちが元来持っていた自然崇拝的な宗教にうまく合うように変形した(神仏習合など)。日本文化の縄文残滓についてはこれまでかなり論じてきた。以下を参照されたい。

日本文化のユニークさ01:なぜキリスト教を受容しなかったかという問い
日本文化のユニークさ02:キリスト教が広まらなかった理由
日本文化のユニークさ03:縄文文化の名残り
日本文化のユニークさ12:ケルト文化と縄文文化
日本文化のユニークさ17:現代人の中の縄文残滓
日本文化のユニークさ18:縄文語の心
日本文化のユニークさ19:縄文語の心(続き)
日本文化のユニークさ27:なぜ縄文文化は消えなかった?
日本文化のユニークさ28:縄文人は稲作を選んだ
日本文化のユニークさ30:縄文人と森の恵み
日本文化のユニークさ31:平等社会の基盤
日本文化のユニークさ32:縄文の蛇信仰(1)
日本文化のユニークさ33:縄文の蛇信仰(2)
日本文化のユニークさ34:縄文の蛇信仰(3)

日本人は、「世界標準」の原理を受け入れるとき、自分たちが無意識にもつ縄文的な感性や思考法に合わないものは排除したり、変形したりして受け入れたのである。ヨーロッパ近代の原理をあれほど熱心に受け入れながら、その背後にあるキリスト教そのものはほとんど受け入れなかったことは、その代表的な例である。

「世界標準」の普遍宗教は、激しい闘争の中で民族宗教の違いを克服することによって生まれたも言える。それもあって、それぞれの普遍宗教を背景にもつ「世界標準」自体は、お互いに相容れない傾向がある。自分こそ「世界標準」だと言い張って互いに争うのである。現在までのところ、その勝者が近代ヨーロッパだったわけだ。ところが日本人は、そうした「世界標準」の原理原則にこだわらずに、自分たちに合わせて自由にいくつもの「世界標準」を学び吸収してきた。神道を残したまま儒教も仏教も西欧文明も受けれ、併存させたのである。それが日本文化に豊かさと発想の自由さを与えた。そういう日本人が新たな「世界標準」を生み出すはずがないことは明らかだろう。

そして逆説的なことだが、ひとつの「世界標準」にこだわらず自由に学び吸収しつづけたからこそ、そこから生まれた独自の文化が、今後の世界にとって新たなモデルになる可能性を秘めているのではないか。

「辺境人」や「辺境国」に特徴的なことの一つは、その自信のなさであり、劣等感である。自信がないから、いつもキョロキョロと周囲を見回し、ことの是非の判断を外部の標準に求めようとするのである。しかし、この劣等感や自己卑下こそが、日本人の学習能力を異様に高めたともいれる。受容や吸収が欠かせなかった辺境日本にとって、劣等感や自己卑下は文化の生き残りのため機能上、必要だったのかもしれない。

ところが近年の日本人は、「世界標準」同士が張り合ったり、宗教同士が争い合ったりすることが、どれだけ悲惨な結果を生んできたか、そして今も生みつつあるかを、かなりよく知るようになった。そして自分たちのようにあまり原理原則にこだわらず、それぞれのいいところを自由に受け入れて、自分たちに合わせて作り替えていく行き方が、逆に豊かな結果をもたらすことをようやく知るようになった。それに伴って劣等感や自己卑下から自由になり始めたのではないか。そして、そういう日本人のあり方を、世界がクールと感じ始めたのではないか。

《関連図書》
欲しがらない若者たち(日経プレミアシリーズ)
ニッポン若者論 よさこい、キャバクラ、地元志向 (ちくま文庫)
論集・日本文化〈1〉日本文化の構造 (1972年) (講談社現代新書)
人類を幸せにする国・日本(祥伝社新書218)

《関連記事》
『日本辺境論』をこえて(1)辺境人根性に変化が
『日本辺境論』をこえて(2)『ニッポン若者論』
『日本辺境論』をこえて(3)『欲しがらない若者たち』
『日本辺境論』をこえて(4)歴史的な変化が
『日本辺境論』をこえて(5)「師」を超えてしまったら
『日本辺境論』をこえて(6)科学技術の発信力
『日本辺境論』をこえて(7)ポップカルチャーの発信力
『日本辺境論』をこえて(8)日本史上初めて

若者の文化的「鎖国」が始まった?今後の計画など(1)
日本人はなぜアメリカを憎まなかったのか?(1)
日本人はなぜアメリカを憎まなかったのか?(2)
日本人が日本を愛せない理由(1)
日本人が日本を愛せない理由(2)
日本人が日本を愛せない理由(3)
日本人が日本を愛せない理由(4)
クールジャパンに関連する本02
  (『欲しがらない若者たち(日経プレミアシリーズ)』の短評を掲載している。)

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2 コメント

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Unknown (名無し)
2012-04-11 00:41:17
非常に興味深い内容の章でした。これで終わりはちょっともったいないような…
日本の伝統芸でも、宗教でも、その真理は言葉で表すことができません。言葉にしたと同時にそれは不正確で誤解が生じてしまいます。高校野球でグランドに礼をする理由を上手く説明できないように。西洋においても同じだと思うのですが、彼らは言葉で表現可能だと信じているように感じます。世界標準なるものを日本人が造り出したとしても、それは言葉では表せないもののような気がします。日本と書きましたが、東洋の間違いかもしれませんが。つまり、日本人による世界標準化は無理そうです。

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教義のない宗教 (cooljapan)
2012-04-12 16:39:40
興味をもって読んでいただき、うれしいです。

神道そのものが教義らしき教義をもたないのですからね。原理原則としての「世界標準」になりようがない。

教義がないから何でも受け入れられたし、対立のしようがない。それがいちばん素晴らしいことかもしれません。
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