◆内田樹『日本辺境論 (新潮新書)
』
かつてこの本の短いレビューを書いたことがある。→クールジャパンに関連する本02
そこで「この本にはかなり不満がある」と書き、いずれ批判すべきところはきちんと批判しておこうと思いながら、そのままになっていた。最近たまたま友人から、この本が面白かったとのメールをいただき、2・3回やりとりをした。それが刺激となって、遅ればせながら書評するつもりになった。
内田はいう、日本人はどれほどすぐれた日本人論を読んでもすぐに忘れて次の日本人論に飛びつくことを繰り返しており、だから無数の日本人論が蓄積してよりすぐれた日本人論に高まっていくことがないと。私もこのブログを続けながらかなり多くの日本人論を読んできたが、同じような印象をもつ。同じようなことがさまざまな角度から繰り返し語られるが、それが国民の共通認識となってさらに発展してくという様子が見られない。
丸山真男は、「私達はたえず外を向いてきょろきょろして新しいものを外なる世界に求めながら、そういうきょろきょろしている自分自身は一向に変わらない」(『日本文化のかくれた形(かた) (岩波現代文庫)
』)と、日本文化の特徴を指摘する。日本文化そのものはめぐるましく変わるが、変化するその仕方は変わらないということだ。
内田は、こうした日本論を引き継いで、それに「辺境」論という地政学的な補助線を引くことでさらに理解を進めようとする。私たちは変化するが、変化の仕方は変わらない。そういう定型に呪縛されている。その理由は、外部(かつては中国、今は欧米)から到来して、集団のありようの根本的変革を求める力に対して、集団としての自己同一性を保つためには、そうするほかなかったからだという。外来の思想の影響をもっぱら受容するほかなかった集団が、その自己同一性を保つには、アイデンティティの次数を一つ繰り上げるほかない。
「私たちがふらふらして、きょろきょろして、自分が自分であることにまったく自信が持てず、つねに新しいものにキャッチアップしようと浮き足立つのは、そういうことをするのが日本人であるというふうにナショナル・アイデンティティを規定したからです。世界のどんな国民よりもふらふらきょろきょろして、最新流行の世界標準に雪崩を打って飛びついて、弊履を棄つるが如く伝統や古来の知恵を捨て、いっときも同一的であろうとしないというほとんど病的な落ち着きのなさのうちに私たち日本人としてのナショナル・アイデンティティを見出したのです。」
内田の「日本辺境論」の根底に、このような日本理解がある。そして私がいちばん批判したいと思うのはまさにこの点なのだ。確かに明治以来の日本人の、欧米崇拝や欧米文化や思潮の受容にはこのような傾向が見られたであろう。しかし私には、これまでの日本人のあり方に、今大きな変化が起こっていると感じられる。しかもその変化は、千年二千年単位の日本歴史のなかでも重要な変化であるような気がする。内田には、それが全然見えていないのではないか。この本を読んだときに私がいちばん引っかかったのはこの点であった。
大陸から海で隔てられた「辺境」に位置した日本にとっては、海の向こうから入って来るものはつねに崇拝の対象だった。中国や欧米の文明にたえず範を求め続けた。「世界標準に準拠してふるまうことはできるが、世界標準を新たに設定することはできない。」これが辺境の限界だと内田はいう。日本人に世界標準の制定力がなく、「保証人」を外部の上位者に求めてしまうことこそが、「辺境人」の発想だ。そして、それは「もう私たちの血肉となっている」から、どうすることもできない。だとすれば「とことん辺境でいこうではないか」。こんな国は世界史上にも類例を見ないから、そんな変わった国にしかできないことは何かを考えた方が有意義だ、というのが本書の主張だ。
しかし、文明の「保証人」を外部に求めようとする日本人のあり方に、もし変化の兆しが見え始めているのだとしたら? ふらふらきょろきょろして外ばかり見ていた世代の「呪縛」から解放された世代の文化が育ち始めているのだとすれば? その時、内田の「辺境論」の前提が崩れることになる。私が、考察してみたいのはそのような変化の可能性である。
かつてこの本の短いレビューを書いたことがある。→クールジャパンに関連する本02
そこで「この本にはかなり不満がある」と書き、いずれ批判すべきところはきちんと批判しておこうと思いながら、そのままになっていた。最近たまたま友人から、この本が面白かったとのメールをいただき、2・3回やりとりをした。それが刺激となって、遅ればせながら書評するつもりになった。
内田はいう、日本人はどれほどすぐれた日本人論を読んでもすぐに忘れて次の日本人論に飛びつくことを繰り返しており、だから無数の日本人論が蓄積してよりすぐれた日本人論に高まっていくことがないと。私もこのブログを続けながらかなり多くの日本人論を読んできたが、同じような印象をもつ。同じようなことがさまざまな角度から繰り返し語られるが、それが国民の共通認識となってさらに発展してくという様子が見られない。
丸山真男は、「私達はたえず外を向いてきょろきょろして新しいものを外なる世界に求めながら、そういうきょろきょろしている自分自身は一向に変わらない」(『日本文化のかくれた形(かた) (岩波現代文庫)
内田は、こうした日本論を引き継いで、それに「辺境」論という地政学的な補助線を引くことでさらに理解を進めようとする。私たちは変化するが、変化の仕方は変わらない。そういう定型に呪縛されている。その理由は、外部(かつては中国、今は欧米)から到来して、集団のありようの根本的変革を求める力に対して、集団としての自己同一性を保つためには、そうするほかなかったからだという。外来の思想の影響をもっぱら受容するほかなかった集団が、その自己同一性を保つには、アイデンティティの次数を一つ繰り上げるほかない。
「私たちがふらふらして、きょろきょろして、自分が自分であることにまったく自信が持てず、つねに新しいものにキャッチアップしようと浮き足立つのは、そういうことをするのが日本人であるというふうにナショナル・アイデンティティを規定したからです。世界のどんな国民よりもふらふらきょろきょろして、最新流行の世界標準に雪崩を打って飛びついて、弊履を棄つるが如く伝統や古来の知恵を捨て、いっときも同一的であろうとしないというほとんど病的な落ち着きのなさのうちに私たち日本人としてのナショナル・アイデンティティを見出したのです。」
内田の「日本辺境論」の根底に、このような日本理解がある。そして私がいちばん批判したいと思うのはまさにこの点なのだ。確かに明治以来の日本人の、欧米崇拝や欧米文化や思潮の受容にはこのような傾向が見られたであろう。しかし私には、これまでの日本人のあり方に、今大きな変化が起こっていると感じられる。しかもその変化は、千年二千年単位の日本歴史のなかでも重要な変化であるような気がする。内田には、それが全然見えていないのではないか。この本を読んだときに私がいちばん引っかかったのはこの点であった。
大陸から海で隔てられた「辺境」に位置した日本にとっては、海の向こうから入って来るものはつねに崇拝の対象だった。中国や欧米の文明にたえず範を求め続けた。「世界標準に準拠してふるまうことはできるが、世界標準を新たに設定することはできない。」これが辺境の限界だと内田はいう。日本人に世界標準の制定力がなく、「保証人」を外部の上位者に求めてしまうことこそが、「辺境人」の発想だ。そして、それは「もう私たちの血肉となっている」から、どうすることもできない。だとすれば「とことん辺境でいこうではないか」。こんな国は世界史上にも類例を見ないから、そんな変わった国にしかできないことは何かを考えた方が有意義だ、というのが本書の主張だ。
しかし、文明の「保証人」を外部に求めようとする日本人のあり方に、もし変化の兆しが見え始めているのだとしたら? ふらふらきょろきょろして外ばかり見ていた世代の「呪縛」から解放された世代の文化が育ち始めているのだとすれば? その時、内田の「辺境論」の前提が崩れることになる。私が、考察してみたいのはそのような変化の可能性である。
要するに、気に食わない、好きではないという主観的なことでは?
論理展開があまりにも飛躍しすぎだったり、無視できない矛盾があったり、例として取り上げた事例が捏造だったというようなよほど大きい問題がある場合は別ですが。
>そんな変わった国にしかできないことは何かを考えた方が有意義だ、というのが本書の主張だ。
主張自体も危険な思想というわけでもないと思います。
絶えず新しいものを探してキョロキョロするのはその通りだとも思うけど、伝統は簡単には捨てていないと思う。中国人が唐文化の名残を日本に求めたり、韓国人が百済文明を日本の建築物から妄想したりしてるじゃない。
また、明治時代に西洋文明を無定見に取り入れた反動で、大正~昭和初期に東洋文明の良さの見直しが試みられてます。屋根の形状で帝冠様式なんてのがあります。西洋風ビルにお城の瓦屋根を載せたものです。愛知県庁や満州の関東軍司令部などに採用されています。
日本の歴史を見ると、無定見に外部の価値観を取り入れる時期と、それを一端止めて咀嚼する時期の繰返しではないでしょうか。そうだとすると、最近は咀嚼する時期に移行し始めたのかもしれません。
それを飽きっぽいと考える人もいるけど、単に淘汰が激しいだけなんだよ。そうでなければ、長い歴史を持つ文化なんて残ってるわけがない。