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アマテラス:『神話と日本人の心』を巡って(3)

2015年06月07日 | 現代に生きる縄文
◆『神話と日本人の心

第四章「三貴子の誕生」(続き)

《アマテラスとアテーナー》
ギリシアの神々のなかで、日の女神アマテラスにもっとも類似するのはアテーナーではないか。アテーナーも父から生まれている。

ゼウスの正妻はへーラーとされるが、それ以前に女神メーティスがいた。聡明な女神だったが、大地と大空がゼウスに忠告した。二人の間に生まれる子は、もし男子なら父親を凌ぎ、神々と人間たちの君になるだろう、もしゼウスが永遠に統治権を握りたいなら、適当な処置が必要だ、と。ゼウスはその意見にしたがい、メーティスが懐妊したとき、彼女を自分の腹の中に呑み込んだ。その胎児がゼウスの頭の中で成長し、やがてゼウスは大変な頭痛を覚えたので、斧で頭を打ち割らせた。するとアテーナーが武装して雄たけびをあげて飛び出してきた。彼女は軍事にも携わったが、機織りにも長けていた。(アマテラスの機織との共通性)

日本神話との違いは、ゼウスが自分の統治権を守ろうとしたのに対し、イザナキは、自分の統治権をあっさり娘に譲り、自分は身を隠してしまうことであり、この差は大きい。

アメリカのように極めて父権意識の強い国では、女性の地位は長く低く見られてきたが、それに対しウーマン・リブ運動が起こり、女性も男性と同等の能力をもつと主張した。その結果、多くの職業に女性も進出し、女性の社会進出は成功した。しかし、その成功の陰で自分たちの「女性性」が犠牲になり、傷ついていると感じる女性も多かった。成功の一方、女性に固有なアイデンティティ、女性的な価値が失われるのは、西洋では、女性の価値が男性との関係でのみ決定されることが多いからではないか。ユング派の女性分析家は、そんな自分を「父の娘」と呼ぶ。

アマテラスはアテーナーに似て「父の娘」だが、ギリシアではあくまでもゼウスが主神である。一方日本ではアマテラス自身が主神である。彼女は、母を知らないという意味で地母神ではない。イザナミは黄泉に行き、地下の神となり、アマテラスは天上の神となる。もしアマテラスがイザナミの娘であれば、見事な母権制の社会ということになるが、そう単純ではないところが日本神話の特徴である。(注)

(注)無意識は、意識化された自我の一面性をつねに補償する働きをもつ。そのような無意識の世界を自我に統合していくプロセスが、ユングのいう「個性化の過程」だ。ユングの患者たちは、キリスト教文化圏の人々だから、彼らの無意識から産出される内容は、正統キリスト教の知を補償するものであることが多かった。

父なる神を天に頂く彼らの意識を補償しようするのは、母なるものの働きである。ユングはそのような観点からヨーロッパの精神史を見直し、正統キリスト教の男性原理を補うものとして、ヨーロッパ精神の低層に、グノーシス主義から錬金術に至る女性原理の流れを見出していった。

西洋のような一神教を中心とした文化は、多神教文化に比して排除性が強い。対立する極のどちらかを中心として堅い統合を目指し、他の極に属するものを排除しようとする。排除の上に成り立つ統合は、平板で脆いものになりやすい。キリスト教を中心にしたヨーロッパ文化の危機の根源はここにあるかも知れない。

唯一の中心と敵対するものという構造は、ユダヤ教(旧約聖書)の神とサタンの関係が典型的だ。絶対的な善と悪との対立が鮮明に打ち出される。これに対して日本神話の場合はどうか。例えばアマテラスとスサノオの関係は、それほど明白でも単純でもない。スサノオが天上のアマテラスを訪ねたとき、彼が国を奪いにきたと誤解したのはアマテラスであり、どちらの心が清明であるかを見るための誓いではスサノオが勝つ。その乱暴によって天界を追われたスサノオは抹殺されるどころか文化英雄となって出雲で活躍する。二つの極は、どちらとも完全に善か悪かに規定されず、適当なゆり戻しによってバランスが回復される。

男性原理と女性原理の対立という点から見ると、日本神話は、どちらか一方が完全に優位を獲得し切ることはなく、一見優勢に見えても、かならず他方を潜在的に含んでおり、直後にカウンターバランスされる可能性を持つ。著者はここに日本神話の中空性を見る。何かの原理が中心を占めることはなく、それは中空のまわりを巡回しながら、対立するものとのバランスを保ち続ける。日本文化そのものが、つねに外来文化を取り入れ、時にそれを中心においたかのように思わせながら、やがてそれは日本化されて中心から離れる。消え去るのではなく、他とのバランスを保ちながら、中心の空性を浮かび上がらせる。(河合隼雄『中空構造日本の深層 (中公文庫)』)

非ヨーロッパ世界のなかで日本のみがいちはやく近代文明を取り入れて成功した。男性原理に根ざした近代文明は、その根底に先に見たような危機をはらんでいる。日本の文化は、近代文明のもつ男性原理や父性原理の弊害をあまり受けていないように見える。それは、日本が西洋文明を取り入れつつ母性的なものを保持したからだろう。しかし単純に女性原理や母性原理に立つのではなく、中空均衡型モデルとでもいうべきものによって、対立や矛盾をあえて排除せず、共存させる構造をもっていたからではないのか。

日本が、男性原理の上に成り立つ近代文明を取り入れ成功しながら、なおかつ男性原理の文明のもつ弊害を回避しうる可能性を隠すことが、今後ますます重要な意味をもつかも知れない。

(付録)シャーロット・ケイト・フォックスへのインタビュー
別所 日本の女性とアメリカの女性との違いは?

シャーロット 米国では「パワフル」「ストロング」「セクシー」、この三つが合わさって「彼女はビューティフル」になるんです。「キュート」って言われると、見下されているように感じます。だから私も当初、日本で「かわいい」と言われると戸惑いました。でも、「かわいい」には、英語の「キュート」にとどまらない、いろんな意味が含まれていることが分かってきました。

ここ日本で「美しくあること」って難しい。米国と全く違いますから。一方で、自分の内面に向き合い直すよい機会だとも思っています。自分の内面を再考察するといえば、言葉を発する前にまずきちんと考えてみることですね。米国では必要以上に感情が高まったり、あまりにも直接的なものの言い方になってしまったりするんです。感情の起伏が激しくなってしまうんです。特に人を愛することに関しては。
別所 日本女性の長所って見つけましたか?

シャーロット 日本女性のパワーの源を学んでいるところです(笑い)。米国の女性と違うんですよね。内に秘めたパワーというか。本当にとても強いパワー。まるで魔法のようです。私の友人は優しくて、嫌われずして得たいものを得るんです。不思議です。(毎日新聞-2015/03/26)

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