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日本文化のユニークさ27:なぜ縄文文化は消えなかった?

2011年08月02日 | 現代に生きる縄文
引き続き『日本人はなぜ震災にへこたれないのか (PHP新書)』(2011年7月出版)に触れながら、日本文化のユニークさについて考えてみたい。今回は、日本文化のユニークさ5項目のうち、次の2項目、

(1)狩猟・採集を基本とした縄文文化が、抹殺されずに日本人の心の基層として無自覚のうちにも生き続けている。

(4)宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配がほとんどなかった。

にかかわるところに触れる。

上の本の著者、関祐二は古代日本史の研究者なので、弥生時代以降も縄文文化の基層が抹殺されなかった経緯を、歴史的に突っ込んで考察している。著者によれば、仏教が初めて日本に入ってきたとき、すでに日本側では「日本的な習俗に仏教をあわせていく」という作業が始まっていたという。仏教というイデオロギーによって社会と文化が一元的に支配されず、神仏習合が起こったため、縄文的な流れをくむ信仰や習俗が抹殺されずに生き残ったのだ。

たとえば、卑弥呼は巫女(みこ)であり、神に仕え、現実の政治は弟が仕切ったといわれるが、この関係は、推古天皇と聖徳太子の間にも当てはまるかもしれない。この体制はのちに、伊勢神宮の斎宮(さいくう)と天皇の関係に変化するが、重要なのは祭祀の中心に女性がいることだ。仏教が日本に伝来したとき、まずは尼僧が登場したのも、日本人にとって「神と女性」がセットになっており、「仏を祀るのも女性」と考えたからだろうという。

渡辺昇一によれば、聖徳太子の後、日本は唐から律令制を導入するが、神祇伯(神祇官の長官)のような唐にない制度を設けた。これも、律令制度や仏教は導入しても、日本の神々のことも忘れていないということを示している。こうして神仏習合は起こるべくして起こったのである。たとえば仏教で信仰される大日如来が、天照大神として日本に垂迹(すいじゃく)したという本地垂迹説は、神仏習合の典型だ。これがもっと洗練されると、もともと同じ神が、インドでは大日如来となり、日本では天照大神となったということになる。(『世界に誇れる日本人 (PHP文庫)

これは、まさに日本文化のユニークさである。世界のほとんどの国では、複数の宗教が両立することはなかった。たとえば百済は、仏教国となったとき、それ以前の土着の宗教(日本の神道にあたる)は消えてしまった。その後、朱子学が入ると仏教がおとしめられ、仏教は迷信の塊とみなされた。李朝でも上流階級には仏教徒は一人もいなくなったという。朝鮮半島に見られるような宗教の歴史こそが、世界の普通のあり方で、日本のように縄文文化やそこに根ざす神道が脈々と受け継がれていくということの方が例外なのだ。

なぜ日本では縄文的な宗教心が抹殺されなかったのか。それは、日本文化のユニークさ(4)で指摘したように「宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配がほとんどなかった」からだろうが、そのような一元支配が起こらなかったのは、同じく日本文化のユニークさ(3)の前半「大陸から海で適度に隔てられた日本は、異民族(とくに遊牧民族)による侵略、強奪、虐殺な体験をもたず、また自文化が抹殺されることもたなかった」ことが大きいだろう。仏教は、日本の人々が自ら取り入れたのであり、無理やり押し付けられたのでもなく、ました異民族による侵略の結果でもないからだ。だからこそ、自分たちにとって大切な習俗や信心を残しながら取り入れることができたのだ。もう一つの理由は、広域を支配する巨大な権力が存在せず、一元的で強力な宗教を利用した支配が必要なかったからだろう。

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日本文化のユニークさ19:縄文語の心(続き)
『「かわいい」論』、かわいいと平和の関係(3)

《関連図書》
古代日本列島の謎 (講談社+α文庫)
縄文の思考 (ちくま新書)
人類は「宗教」に勝てるか―一神教文明の終焉 (NHKブックス)
山の霊力 (講談社選書メチエ)

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