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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

アベ総理の日本を検証する

2021年02月08日 12時00分36秒 | えいこう語る
▼シンゾウの8年間にも及ぶ総理在任で、日本はどのように変わったのだろうか。私のシンゾウについての評価は、9割以上が批判だったような気がする。

▼あえて長所を探せば、シンゾウが子供の頃からの友達だとすれば、悪気のない奴に違いないという、想像ができるくらいのものだ。つまり総理になる資質などみじんにもない、総理にしてはならない人物だということだ。

▼さて、どんな総理だったかと言えば、敗戦からずいぶん経ち、GHQの支配から完全に開放されたと思っていたが、USA統治下の日本にしたいと、自ら頼み込み、国会の審議もせずに成立させた、自画自賛総理だ。別名【対米中毒総理】という。

▼祖父の岸総理が、日米安保条約の改正で「対米従属」を盤石にした。孫のシンゾウは世界最強の軍事力を持つUSAの「核の傘下」で、軍事も経済も強化し、最良の子分になろうとしたのではないだろうか。

▼唯一の被爆国であるにかかわらず「核廃絶禁止条約」に批准しない。世界からなんといわれようとも「俺の後ろにはUSAが付いてるぞ」という、強がった態度をみせている。

▼と言えば、あまりにも我が国の総理に失礼ではないかと思われるかもしれないが、シンゾウから席を譲られたスガは【沖縄はUSA。北方領土はロシア】にの、実効支配を認めるというような姿勢だ。

▼ここでちょっぴり立ち止まって考えれば、私は自分を棚に上げて、我が国の総理批判が多い。もしかして「非国民」と言われる潜在意識が、強く根付いている、戦前的国民の部類なのだろうか。

▼こうなれば、フリードリヒ・ニーチェ教授に登場してもらうほかない。【反対する人の心理】という教えだ。

▼【ある案に対して反対するとき、よく考え抜いたうえで確固とした根拠があって反対する人はごく少ない。多くの人は、その案や意見は述べられたれたときの調子とか言い方、言った人の性格や雰囲気に対しての反発の気分があるから、反対するのだ。
表現の方法、説得の仕方、物言いの工夫という技術的なものも確かにあるだろうけど、それらの上には、技術では及ばないもの、つまり意見を述べる人の性格や容姿、人柄、生活態度などがあるからだ】。

▼さすが19世紀を代表する哲学者だ。田舎オヤジにも分かりやすい。シンゾウやスガがこのような考えを持ったなら、日本は確実に変わるだろう。

▼さらに、今の混沌とした日本。「真実がまったく見えない」ように感じる。それに対するニーチェ教授の指導だ。

▼【多くの人は、物そのものや状況そのものを見ていない。その物にまつわる自分の思いや執着やこだわり、その状況に対する自分の感情や勝手な想像を見ているのだ。つまり、自分を使って、物そのものや状況そのものを隠してしまっているのだ】。

▼全くの納得だ。今夜の夢は【シンゾウとスガとモリキロウと私、それにアソウタロウ】の5人で“超過密”のステーキ会食に違いない。

▼「ニーチェ教授の言葉は参考になるが、正しいことが言いずらい世の中になってしまっているような気がするので、つい本音が出てしまうのだ」という、相変わらず国民とかけ離れた常識で、まとまるのではないかと予想している。

   分け入ってもそこは闇
           樹海と国会
               三等下

政治家の暴言・森喜朗編

2021年02月06日 13時56分53秒 | えいこう語る

▼相手の資質を調べるため、反論に出ると以外とまともな答えが返ってくる。相手は反論だとわかっているので、慎重に返答すればいいからだ。

▼年齢が低い人は、反論されれば激高し、攻撃に徹する。攻撃力の強い人は無防備になり、以外と本音がこぼれるものだ。

▼年配者はその辺は経験済みだから、冷静さを貫き本音を吐露しない。自分の主張を先に述べ、意見を聞く。「最後に先ほどの私の意見でよろしいでしょうか」と言えば“賛成”という大きな声が聞こえ、それで決定だ。

▼本音を聞き出すには反論せず、むしろ賛同する発言を心掛けた方がいい。「私もあなたの意見には賛成です」と、大勢の前で話せばその人物は顔が立ち、本音がポロリと出たりする。

▼というのは、私が実際“大御所”と言われる人物に対し使う話法だ。大御所といったが、本人と取り巻きだけが、大御所と思っている人物たちにだ。

▼誰もが認める人格者には、そんな手法は失礼千万だ。中には、私が賛同したように見せかけたのを、私がその仲間だと勘違いする人もいる。

▼要はTPOが大切だ。所謂その場の空気を十分読んだ上での、作戦でなければならない。ということを、五輪組織委員長森喜朗の『女性蔑視』発言の記者会見で、思い出したからだ。

▼記者から「適任者ではないのではないか」という質問に“大御所”はぶっちぎれ、君はどう思うと返した。

▼記者はもちろん「適任ではないと思う」と答えた。若気の至りの森は!?「覚えておけよ」という捨て台詞を吐いた。

▼森の言った言葉は、実際そうではないが「覚えておけよ」と言ったように、たぶん多くの国民が理解したに違いない。そう思わせるのが、大御所の大御所たる所以だからだ。

▼この発言は、森の性格を見据えたうえで、記者が練った作戦勝ちではないかと思う。若造が集まる記者会見などは蹴散らしてやる、という構えで来るのを、記者は予測していたからだ。

▼森ばかりではなく、与党の“大御所”の発言は上から目線が多い。言うまでもなく、筆頭はアソウタロウだ。今日は置いておく。

▼保阪正康著「戦後政治家の暴言録」中央新書を開いた。総理大臣池田勇人の秘書で、もと官邸番記者の伊藤昌哉が、池田の性格をこう記述している。

▼池田は当時日本がGHQの支配下にあったので、秘密が漏れることを恐れ、記者たちと一切口を聞かず、これが記者たちとの敵対関係を生んだ。

▼記者たちは、池田は単純だから誘導尋問で怒らせたうえ、失言を引き出そうという作戦に出た。戦後の緊急予算の国民への影響について、池田に質問が続いた。

▼『ヤミをやっている中小企業の二人や三人、倒産してもかまわない』という放言が飛び出した。新聞各社いっせいに攻撃する。

▼『金のない貧乏人は米を食べずに麦を食べればよい』となり【貧乏人は麦を食え】となってしまった。実は池田自身が麦を食べていたので、ついポロリと出てしまったようだ。

▼さて本命の森喜朗だ。在任中に倒れた小渕総理に代わり、自民幹部の5人の談合で誕生したのが第85代森総理だ。

▼「総理に最もふさわしくない人物」というのが、私の当時の感情だった。ずっとそう思い続け「五輪委員長に最もふさわしくない人物」とも思ってきた。

▼就任9ヶ月後(2000年12月)の日経新聞の世論調査で、支持率【3,5%】というから、見事なものだ。さらに支持しない理由のトップは【失言が多い】【80%】というものだ。

▼「こんな人でも首相になれるのか」、「頭の中身は戦前」、「早く辞めろ」との声もあったという。新潟市内の講演で「無党派は選挙の日には寝ていてほしい」との発言も、森だ。

▼極めつけは「神道政治連盟国会議員懇談会」での挨拶だ。【日本の国、まさに天皇を中心とする神の国であるぞ】と発言した。

▼その時の釈明記者会見だ。「誤解を招いて反省しています」それだけだった。それに対し新聞記者からこのような発言があった。

▼【まだ総理が問題の所在について、ご理解できないような印象を受けるので、あえて申しますが、今問われているのは総理の資質だと思います。内容はさることながら総理になったにもかかわらず、ご自身の立場、場所をわきまえず、誤解を招きかねないような発言を平気で口になさる。その総理の軽さが今国民から問われていると思うのですが、どのようにお考えでしょうか】と。

▼今回の記者会見と、ほぼ同様のシーンではないか。あれから20年、今の森喜朗の資質?は、まったく向上していない。当時と同じレベルなのだ。しかも年齢を重ねた分、脳は小さくなっているに違いない。

▼森喜朗の後に、ジュンイチロウ、シンゾウ、アソウ、スガと続く。さらに資質など全く問われないのはニカイだ。自民党は【失言大魔王】が生まれる巣窟と化しているようだ。

▼「五輪開催は森の代わりに誰がいるか」というが、今夜にも料亭でフグに当たり、あの世に旅立ったら、すぐにも選任するはずだ。

▼総理にも森を選んだように、自民の大幹部5人もあれば、後任はすぐ決まるのが自民党だからだ。森ぐらいなら、自民党には“人材”が五万といるからだ。

▼もう、森喜朗の問題はこれまでにしたい。あとは朝刊の一面で【五輪委員長解職】と出るのを待つだけだ。森は「辞任」しないと言っているからだ。五輪委員に申し上げたい。

森を見て木を見ずという例えもあるぞ!。さよならだけが人生だ  
             三等下

「個」が「人」になる時

2021年02月06日 13時56分53秒 | えいこう語る
▼コロナ戦争の真っ只中、勝利に向け、国家総動員体制で様々な自粛に国民は耐えている。一方大本営は、銀座や高級料理店で、秘密裡の作戦を練っている。

▼というようなコロナ戦争での、現在の我が国だ。勝つために「個人個人」の自粛は止む得ないが、国家の命令通り動く昨今の状況は、全体主義的というか、国家主権に傾いているような気がして、ちょっぴり違和感を覚える。

▼憲法第13条は、すべて国民は【個人】として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については【公共の福祉に反しない限り】立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

▼だが、2012年の自民党改憲草案第13条は【個人】が『人』になり【公共の福祉に反しない限り】が『公益及び公の秩序に反しない限り』となっている。

▼「公共の福祉」が【公益及び公】というのは、理解できる。国家の不利益になるものは“非国民”扱いだということだからだ。

▼だが【個人】が「人」となることの意味がよく理解できないでいた。「個」というのは人偏に固いと書くので、一人一人を意味すると思う。だが「人」となると、大雑把な括りで、人権の保障が薄れるのかと思ったりもしていた。

▼私はコロナ軍が我が国を侵略したので、コロナ戦争の勃発と考えている。そうであれば、有事の際の国民と国家の関係が、理解しやすくなるからだ。

▼だから、ステイ・ホームの中で、今が、最も深く正しく「歴史」を学ぶ、絶好のチャンスと見ている。

▼1月に亡くなった半藤利一さんの著書「昭和史」を読み返すと、前に読んだ以上に、理解が深まるからだ。

▼日本は戦前と戦後が180度変わったと思っていた。だが、政治家の考えは、戦前と何も変わらないように思える。ということは、教育自体も変わったと見せて、戦前と同じレベルのスタイルに、戻ってきているのではないだろうか。

▼教育問題は難しいので、私たちの生活に身近な政治に集中したい。政治家とは、外交交渉が下手で、武力に訴えるのが最善だと思う、戦前からちっとも変わらない、単細胞の「人」のようだ。

▼コロナ戦争下での、安全保障はどうなっているのかと思い、小山弘健著「安保条約論争史」社会新報という、1968年発行の本を取り出した。

▼発行年は私が20歳の時だ。「社会新報」というのは、旧社会党から社会民主党になり、その中央機関紙を発行しているところだ。

▼内容は当時の「日米安保条約」を、野党第一党である社会党の立場から解釈しているので、自画自賛の嫌いがあるが、そのあたりは考慮しながら読んでいる。

▼【戦前の国家主義は、私的な「個」の概念やや個人の主体性を一切払拭していた。敗戦による従来の価値体系の没落は「個」、個人の概念に息吹を吹き与え、個人の主体や自我の概念が回復された。
それらは思想的にも分散化された。だが再軍備の逆コースをとるにおよび、政府はこのバラバラになった個人をなんらかの紐帯により、再統一する必要にせまられてきた。
「個人」から最も日常的な生活を営む「家庭」を賛美し、さらにそれを家庭の周囲から「社会」へ拡大させ「住みよい社会」を作るためには「よりよい国家」が必要だとして、ここに超階級的な「福祉国家」の幻想をうちだす。そしてこの「国家の安全」を守るためには「自らの手で国を守る気概」や「愛国心」が必要だという、新しい価値観をつくりあげるのである】。

▼私はこの文章を何度も読み返した。ドキッとしたのは【住みよい社会】という言葉だ。私も所属している函館市町会連合会が、年2回発行している会報誌の名前だ。

▼さらに【自らの手で国を守る気概】という言葉だ。最近町会組織に【自助・共助・公助】なる言葉で、福祉行政を推進させる流れが出ている。

▼つまり、気が付かないうちに、町会も戦前のように、国家主義への片棒を担がせられているのではないだろうか!?。

▼そう言えば、この一年の町会活動は「自粛」という活動を積極的に展開している。自粛とは【個】の自由を阻止する言葉だ。自粛により、国家に従属させることに、加担させられているのではないだろうか!?。

▼等々、あらぬ妄想が先走りする。先の半世紀前の文章は、今の日本のそのままの姿を現しているようだ。そして、このような国家に再び戻そうとするのが、スガ政権の【憲法改正】の、真実なのだ。

▼9条を改正し「軍隊」を持てば、国家主義にならないと言っても、ならざるを得ないのだ。軍隊というのは国家権力のむき出し、そのものだからだ。

▼というような、妄想に妄想を重ねた昨夜の夢は終了した。蒲団の中で、再度この文章を読み返した。間違いのない内容に思えた。

      夢の中に真実が
            三等下 

森喜朗五輪総大将の自爆テロ!

2021年02月05日 13時43分46秒 | えいこう語る

▼「日本は神の国である」と発言をしたのは、元総理で現在五輪組織委員長の森喜朗だ。周囲が引き留めたにもかかわらず、敵陣に飛び込み、自爆テロを決行した。

▼言語道断で、解説する気持ちも浮かばない。記者たちとのバトルで、自分は打ちのめすことができると誤算したようだ。

▼近年、シンゾウやスガの答弁を見て、いらだっていたのだ。俺ならこんな完璧な説明で、記者団など打ちのめしてやる。見ておれ。

▼森の常識は国民の非常識だ。いやというほど国民に対し「常識がない爺だ」ということを知らしめたのだ。言わば自爆テロだ。神の国の人間だから、特攻精神が旺盛なのかも知れない。

▼すみやかに靖国神社に入ってほしい。しかし靖国の英霊たちも、これほど常識がない者は拒否すると、言っているのかもしれないが。

▼私は水戸黄門のフアンだが、森の悪代官は、葵の御紋の印籠を出しても「何をぬかすか、くそジジイ。者どもぶち殺してしまえ」という、筋書きもぶっ壊す悪代官だ。

▼もはや「誰の(総理)の言うことさえ聞かぬ悪代官なのだ。どうにもならない。そこでこんな言葉を思い出し、森喜朗に檄文を書いてみた


▼【コロナで、国民が危機にあるのに、なんでお前が世界に向かい、五輪はどんなことがあっても開催するっていうんだよ。選手や国民の命を考えてねえのかよ。男女平等社会なんて言ってんじゃねえよ。オリンピックで何千億円使っているんだよ。いい加減にしろ。モリキロウ死ね】。

▼書き上げてから、何度か声を上げて読んでみた。檄文の原文は3年前の【保育園落ちた、日本死ね】の引用だ。すっきりしたところで、夢から覚めたのだ。

▼そこに白沢虎造の渋い浪曲が流れてきた。【馬鹿は死ななきゃ~治らない】お粗末でした。

     森の奥は闇
           三等下

嘘で始まり人間不信で中止の東京五輪?

2021年02月04日 13時04分30秒 | えいこう語る

▼「福島原発事故での汚染水は完全にコントロールされている」と、世界に嘘をついたシンゾウ。第2回目の東京五輪は“シンゾウの嘘”から始まった。

▼さらに、五輪のエンブレムの「パクリ事件」、競技場の設計変更など、国民不在の不祥事が続く。根源は、五輪運営委員長の元総理森喜朗にあるようだ。

▼小渕元総理が突然死した後、自民大幹部の話し合いで、総理になった。「日本は神の国」という発言など、明治時代の総理ではないかと思わせる、頭の古い人間だった。森喜朗をもじって「シンキロウ」とも言われていたっけ。

▼もはやテレビでの顔は、目を閉じれば「死に顔」だ。なのに口だけは、余計な口を叩く。JOCの会議で「女性がたくさん入る理事会は、発言が多く時間がかかる」と発言した。

▼さらに「タレントの聖火ランナーは、人が集まるのから田んぼを走らせる」と発言した。これには「会合で誰かが言った」と付け加えたが、それを口にする資質が問われている。

▼それを受け、お笑いコンビ、ロンドンブーツの田村淳が「沿道に人を集めなければ、タレントとして身を引くべきだ」と、ランナーを辞退した。本人はコロナ防止のため、五輪延長を主張していたという。

▼ランナーには芸能人が多くいる。それは人寄せパンダを承知で、五輪を盛り上げるために走ろうという「芸能人スピリット」を、汚してはならない。

▼「芸人に上手いも下手もなかりけり、行く先々の水に合わねば」という、芸人魂がある。
だが芸人本来の笑いには、庶民のお上への不満をぶっつけるという、巧みな話芸にある。

▼私がそのタレントなら「田んぼの中を森委員長を台座に担ぎ、芸人全てがノーギャラでその後ろを走るというのはいかがだろうか」と提案したい。コロナ撲滅キャンペーンも兼ねてだ。

▼コロナ関連法改正も、従わない国民に過料を設けた。それなら、従わない国会議員は懲役を科す、そのぐらいのシャレを、芸人はテレビで発してほしいものだ。

▼もはや、コロナ戦争の只中、我が国の「常識」という概念は、ぶっ壊れつつある。そうであれば、たけし・さんま・トコロ・タモリ・太田など、芸人が集合し【コロナ感染大爆笑討論会】を開催してほしいものだ。

▼政治家の上げ足をとって、日本の政治を大笑いして、コロナを吹っ飛ばそうというものだ。スポンサーは付けないで、放映権は自分たちで調達すればいい。テレビ各局が飛び付くだろう。

▼出演者は「ヒットラー・スターリン・トランプ・習近平・金正恩・プーチン」などに変装して。・・・視聴率史上最高は目に見えている。

▼テレビのコメンテーターに芸人が多くなっている。本来の批判精神を忘れ、妙に常識ぶった内容の発言が目立つ。【芸人に不必要なものは常識だ】と誰かが言ったような気がしたが?、そんな者は真の芸人と呼ばない。

▼「芸人は笑われてなんぼ」の職業だ。もっとプライドを取り戻せと言いたい。などと、今朝もテレビのワイドショーを観ながら、昂奮している私だ。

▼昨夜は午後7時半頃、近くの温泉に出かけた。気温も低下し吹雪状態だったせいか、広い温泉には私だけだった。なんだか不気味な感じがした。

▼温泉近くの道路に、角が60cmもあるような、大鹿が3頭立っていた。車を停止し、ヘッドライトをパッシングしたら、ようやく移動してくれた。

▼その大鹿は、機関銃を持った兵士のようにも見えた。そして誰も入っていない夜の温泉だ。私はなぜか恐怖感を覚えた。そこで昨夜は夢を見ないことにした。

▼朝刊で、芸人が「聖火ランナー拒否」の記事を読んだので、ちょっぴりほっとした気持ちになり、ブログにした。

▼安倍晋三の嘘で始まった東京五輪。森喜朗への不信感で中止となる。【東京コロナ五輪】を【嘘と不信で五輪中止】と言い換えたいものだ。


 一輪、二輪、三輪、四輪まで
 五輪は出来ないと自動車業界
              三等下