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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

憲法改正へ一歩前進か

2020年03月08日 17時37分47秒 | えいこう語る

▼コロナウイルスの感染拡大は、初期対応のまずさが指摘されている。それに総理が閣僚にも相談せず、学校の閉鎖を単独で行ったことでの混乱も糾弾されている。「国家の大事」に関わるような問題に、総理が一人で決断するということがあるのだろうか。

▼だが、これらのことを踏まえ、現行の「新型インフルエンザ等特別法」を改正し、総理が「緊急事態宣言」を出しやすいように、改正するという方向に進んでいるようだ。しかし問題がある。野党に対し【事前報告は受け入れない】というからだ。

▼これではナチスの「全権委任法」に、限りなく近づくのではないかと危惧される。なぜこんな、姑息な手段を使い法律を改正するのかと言えば、「国の危機」に際し、国民の言動を制限し、政府の考えを推進しやすくするという考えが、根底にあるからだろう。

▼アベ総理の支援団体は、日本最大の右翼団体と各国のメディアも認める【日本会議】だ。それに並ぶ団体が【日本会議国会議員懇談会】だ。現閣僚の中には「懇談会」のメンバーがたくさんいる。

▼アベ総理は2012年12月16日が、衆議員選挙開票日の2日前に、日本国憲法を【みっともない憲法】と、動画の中で発言している。その2日後の、自民圧勝を確実視しての発言だろう。

▼学校でも憲法遵守の精神を教えているのに、我が国の総理が発言する言葉だろうか。自分の考えを生徒に押し付けるには【教育基本法を改正】すればいいというのが、総理の単純な考えだろう。

▼さらに現閣僚の衛藤晟一は「日本会議」の主力メンバーだ。2014年に雑誌「日本の息吹」11月号で、このような発言をしている。【アベ内閣は憲法改正のために成立したといっても過言ではない】と。

▼東京五輪を成功させれば、第4次アベ内閣もアリだという、自民党幹部の発言もある。アベシンゾウを神輿に据え、憲法改正するのが、今の自民党の最大目標なのだろう。

▼だが、憲法改正派は「米国が押し付けた憲法」なので、自主憲法の制定をしなければならないというが【対米中毒】のアベ総理が、それを成し遂げられるのだろうか?。トランプが「憲法改正」を許してくれるというのだろうか。

▼と考えれば憲法を改正するには「自民党憲法改正草案」を、すでに米国に相談し、許可を得ているのではないかと推測せざるを得ない。アベ総理の言う自主憲法の制定とは、実は「対米従属」をさらに強め、日米安保の強化で「世界の警察」の再現が目標ではないだろうか。

▼天皇を国家元首とし象徴とする【神国日本の復活】により、世界に君臨する国づくりを目指すということではないか。令和の元号もアベ総理が天皇に働きかけたという感じがしている。国賓の設定もアベ総理が主導しているような気もするからだ。

▼アベ総理の支持母体【日本会議】の六項目の目標だ。1美しい伝統の国柄を明日の日本へ 2新しい時代にふさわしい新憲法を 3国の名誉と国民の命を守る政治を 4日本の感性をはぐくむ教育の創造を 5国の安全を高め世界への平和貢献を 6共生共栄の心でむすぶ世界との友好を・・・山崎雅弘著「日本会議戦前会議への情念」より。

▼アベシンゾウという人物は、もしかして天皇と同等の地位にならんとしているのではないか。あるいは【天皇制を復活】して、三権の全権を掌握しようとしているのではないだろうか。などとこの頃のアベ総理の言動を観察していると【妄想】だけが跋扈してしまう私の混乱する頭の中だ。

▼こんな世の中にあって、とても心が洗われる出来事がある。アベ政権の内側を直撃した映画【新聞記者】が、日本アカデミー賞の最優秀主演の男優と女優賞を受賞した。

▼私も妻と映画を観たが、もし「自民党憲法改正草案」のように、憲法が改正されたら、このような映画は絶対つくれないと思う。主演女優のシム・ウンギョンさんは韓国生まれだ。若干25歳ながら日本の政権批判の映画の出演し、相当な圧力を感じていたに違いない。

▼受賞のコメントの時に泣きじゃくった。涙があふれ出て言葉が出なかった。そのことが、映画の素晴らしさと、役者としての使命を果たしたことの証であるのを感じた。主演男優の松坂桃李さんと共に、これからの性格俳優としての活躍を期待したい。

▼と同時に、やはりこの政権での「憲法改正」は、絶対させてはならないと、実感した映画だった。

ホテル・ニューオータニとアベ総理

2020年03月07日 14時37分26秒 | えいこう語る

▼我が国の最大右翼組織「日本会議」・「日本会議国会議員懇談会」・「神道政治連盟国会議員懇談会」・「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」・「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」・「創生日本」・「親学推進議員連盟」・「人格教養教育推進議員連盟」・「北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟」・「新憲法制定議員連盟」・「憲法調査推進議員連盟」。【これらすべてに所属しているのがアベ総理だ】。山崎雅弘著「日本会議・戦前回帰への情念」集英社発行より。

▼となれば、アベ総理は極右翼ではないかと思う。だが、故西部邁は「アベシンゾウは真の保守ではない」と断言して自死した。右翼と保守の違いをここでは説明しない。私もよく理解していないからだ。これらの組織のつながりは、山崎雅弘の著書を読んでいただきたい。

▼ただ私が注目するのが【桜を見る会】でお馴染みのホテル・ニューオータニだ。都心の一流ホテルでの、いくら総理主催の宴会とはいえ、一人5000円は、ホテル側が赤字を背負わなければならない。そこに何らかの秘密が隠されている匂いを感じるからだ。

▼【日本会議国会議員懇談会】の設立総会が、1997年5月29日だ。会場は【ニューオータニ】だ。その翌日の30日、同じ【ニューオータニ】で【日本会議】の設立大会が行われている。

▼ここで私の「妄想」だ。「日本会議」はアベ総理の応援団体だ。議員懇談会や関連団体の総会や会議などの多くは、ニューオータニを使用しているのではないか?。そうであれば、それらの組織とニューオータニは持ちつ持たれつの仲になる。後は皆さんも「妄想」を働かせていただきたい。

▼我が国の右派勢力の集合場所が、ニューオータニではないか!。領収書や名簿の提出など、絶対出さない関係になっているのだ。「個人情報保護法」も「桜を見る会」などのために成立させた法律かも知れない。さらに、ニューオータニの経営者も「日本会議」のメンバーかも知れない。

▼私が「妄想」できるぐらいだから、野党はこの件ではもっと、様々な秘密を知っているに違いない。だが「政治資金規正法違反」となれば、突っ込む野党も藪蛇になる恐れがあるので、二の足を踏んでいるのかもしれない。

▼近年我が国が、右傾化しているのを感じるという人も多い。「憲法改正」に反対する野党も「日米安保」や、最も「対米従属」を感じる【日米地位協定】などを前面に出し、アベ政権と対峙する姿勢を示さない。

▼それは戦後民主主義が「対米従属」を続ける中で、劣化してきているのではないかと言われているからだ。民主主義とは「国民が主役」の政治体制だ。

▼しかし戦後70年を過ぎても、国民には、民主主義が身体の隅々まで馴染んでいないような気がする。おまかせ民主主義に浸っているようだ。もちろん私もその一人だ。

▼つまりアベ政権を分析すれば、民主主義政権などという代物ではないからだ。最近は「毒裁制?」を帯びている状況だ。我が国の憲法学者に、憲法違反の総理だといわれること自体、まことに恥ずかしい総理なのだ。

▼いつも通り、話題はアベ総理に戻ってしまう。アベ総理が蔓延させた「サクラウイルス」に感染してしまったいるようだからだ。ここで私の「ニューオータニ」の思い出に話を移し、陰性に戻そうと思う。

▼20歳頃のことだ。私は友人と待ち合わせで、初めてニューオータニに出かけた。その友人は意外とシャレたところばかりでアルバイトをしていた。

▼ニューオータニでアルバイトしているから、ホテルのロビーで待ち合わせいてから遊びに行こうという、そんなことだったと思う。今考えれば、友人の姉が某空港会社で働いていたので、姉の紹介でいいバイト先を見つけていたのかもしれない。

▼その時、ホテルから出てきたのが、スタイルがよく、輝いているステキな女姓だ。近づくと女優の三田佳子さんだった。ということで、ニューオータニと言えば、三田佳子さんで、三田佳子さんと言えばニューオータニを思い出す単純な私だ。

▼そんなわけで、ニューオータニが舞台となるドキュメンタリー映画「桜を見る会」の『櫻井よしこ』役は、三田佳子さんに演じてほしいと勝手に思っている。

▼「日本会議」と「日本会議国会議員懇談会」が、同じニューオータニで、二日続いて宴会をしていたことの事実は、戦後日本史上で最も重要な【黒い二日】であったように思う。

▼1997年は、日本国憲法施行からちょうど50年目の年でもあったからだ。コロナウイルスは単なる感染病だろうか?。

  事変は突然やってこない どこかで始まっているのだ
                        三等下

自主規制を好む日本人のようだ

2020年03月06日 17時28分24秒 | えいこう語る

▼コロナウイルス問題は、国民生活の様々な場面に大きな影響を与えている。死に至る感染には「初期対応」が望まれるが、与野党や政権内部での話し合いもなされないまま、総理独断の判断は非難されるべきだ。

▼とはいうが、私も「外出制限」には、むしろ積極的に対応している一人だ。マスクや手洗い、それにみんなが楽しんでいる町会のカラオケサロンも、いち早く中止した。雪に覆われ一歩も外に出ないような生活を自身が率先して行っている状態だ。

▼普段行政の政策には神経をとがらす私だが、こんなにも総理や知事の意向に素直に従う自分を顧みて、戦前の国民のように「欲しがりません勝つまでは」という、日本人特有の「臥薪嘗胆?」の精神が、戦後生まれの自分にも残っているのだということに気づいた。

▼つまり、憲法が改正され自衛隊が軍隊になり、一朝有事で「戒厳令」が布かれても、その不自然さに我慢する日本人的な要因が、自分の中にもあるのだということの発見だ。

▼現在「新型インフルエンザ等対策特別措置法」がある。「等」とあるので「緊急事態法」など作らなくても現行法で対応できる。「緊急事態法」では、私権の制限がますます強くなるのが心配だ。

▼集会の自由や芸術文化活動に対する制限も心配される。そこまで危惧する必要はないという意見もあるだろうが、集会の制限は、釧路市議会の「一般質問の中止」など、過剰な「忖度?」も生じているからだ。

▼この感染防止の自粛制限に、議会までが自ら率先し「発言の自由」を規制しては、本末転倒も甚だしい。自らの自治体がこのような緊急事態になったら、どのような対応ができるのかを、徹底的に議論するのが議会の役割ではないか。

▼「一般質問の中止」などというのは、政治の腐敗を拡大する、自殺行為だ。例えば国会で、感染防止の一環で「桜を見る会」の質疑を中止するようなものだからだ。

▼函館市議会では、感染拡大防止のため「議会の傍聴をできる限り控えてほしい」という。そうではなく、マスクや手洗いの厳重化で、多くの市民の傍聴を呼び掛けるというのが、民主主義議会の在り方ではないか。そう言えば胆振東部の地震の時も、なぜか一般質問を中止し、市民の顰蹙を買ったことがあるような気がするが。

▼大型クルーズ船誘致のため、函館港の整備が始まっているということが議会で質問されている。クルーズ船の寄港に期待する、市民は多い。しかし、今回のような事態に備えて、函館市内の病院対応は十全なのか、心配な質問はたくさんあるはずだ。

▼函館は地形的に狭いく、感染拡大の危険性が大きい。政府としてはこの機会に「緊急事態法の制定」にむけ、一歩も二歩も前進させるだろう。国会が決めることだから、地方はそれに従うという受け身の体制ではない、時代に入っているようだ。

▼「緊急事態法」は、函館にとっては、最も基本的人権を阻害される恐れがあるからだ。クルーズ船専用として整備を進めている函館駅のすぐ後ろの若松埠頭は、今年は9万トンクラスが接岸できる整備が終わり、最終的には12万トンクラスが接岸できる深さと埠頭整備を行う予定だ。

▼【12万トン】この数字が、函館の将来に大きな影響を与えることになりそうだからだ。米空母が寄港できるに十分な港湾だ。「米国は空母無くして発言権なし」というほど、世界戦略の中での空母の存在を重視している。

▼我が国も最近は、戦艦を改造し空母化している。空母は世界中どこにも移動できる攻撃基地だからだ。憲法違反と言われるその行為は【憲法改正】の意欲を示す政権だから、現憲法を無視する強引さを増してくるのだ。

▼函館市内には、大型病院・函館ドック・陸上と海上自衛隊・函館空港など、対中国・北朝鮮・ロシアなどの【北の軍港】としての重要なに地点になりそうな要素を、十分兼ね備え始めているからだ。

▼私は函館湾を見下ろす高台に立つと、何時の日かこの湾内に【米空母】の雄姿が停泊する光景が浮かんでくる。私たちの青春時代、この海は、海峡の女王と言われた青函連絡船が、往来していた。その美しさに見とれ、この街で暮らせる幸せを実感していた。

▼それからわずか半世紀後、アベシンゾウという、元A級戦犯の孫に長期政権を許してしまったせいで「戦争できる国へ」と、流れが変わってきている。

▼「世界一の不平等条約」といわれる【日米地位協定】。この中に【函館の軍港化】の匂いを、読み取るのはそう難しいことではない。「大型クルーズ船の寄港地」が、近い将来【北の軍港】にならないよう注視しなければならないようだ。

▼【緊急事態法】などが成立すれば、総理の権限が増すというより、その行使は、米国側に握られる可能性が大だからだ。「緊急事態法」なるものは、軍事事態への対応が主な目的になるからだ。

▼「新型インフルエンザ“等”対策特別法」があるなら“等”を生かしたほうが常識的だ。地方議会の一般質問も「緊急事態法」についての討議を、積極的に行ってほしい。「国がやる問題は地方議会ではなじまない」などというのは「痴呆議員」に違いない。

▼昭和天皇の崩御の時の自粛ムードを思い出したが、ウイルスの感染で、国民自らが「自主規制」する国民は【いつか来た道】に戻る可能性を秘めているのではないかと、自らの「自主規制」を振り返り「妄想」と「反省」を繰り返す私だ。

     辛抱強さが戦争を長引かせた
                三等下

緊急事態宣言にみる国民の行動

2020年03月05日 17時20分11秒 | えいこう語る

▼コロナウイルスの感染拡大防止のため【緊急事態宣言】を可能にする「特措法改正案」を国会に提出し、早期成立を急ぐようだ。「緊急事態宣言」が法制化されてくると、憲法改正(9条)が行なわれた場合、ナチスの「全権委任法」に似た動きが出てくるのではないかと心配になる。

▼戦後75年も経ち【8月15日】が何の日か知らない「戦争を知らない子供たち」が多くなる我が国だ。それにアソウ副総理までが【憲法はある日気が付いたらワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に代わっていたんですよ。誰も気づかないで変わった。あの手口を学んだらどうかね】と発言していたりするので、心配どころではなくなる。

▼憲法が自民党草案通りに改正されたら、アソウはゲシュタポの服装が最も似合う人物のようだ。「お前、俺の会社のセメントで固めてやろうか!」というダミ声が聞こえそうで、夢も見られなくなりそうだ。

▼アベ政権最大目標は【憲法改正】だ。それは国防強化で「戦争ができる国」にするという内容だ。だから「緊急事態法」を、コロナ騒動のどさくさにまぎれ、通過させようという魂胆のようだ。【ナチスの手口に学ぶ】というアソウタロウの「な!俺の言った通り太郎?」なんて、くだらないシャレは、聞きたくないものだ。

▼北海道も政府から専門チームが派遣されているようだが、最近感染患者の発表が少なくなったような気がする。「大本営発表」にならないよう、正確な報道を新聞に期待したい。いまや、テレビは混乱を増長するだけの存在と化しているからだ。

▼今日は、これ以上政治に踏み込まないことにしたい。「外出禁止令」で、我が家では温泉も控え、夫婦だけの会話を余儀なくされている。この機会に、あらためて夫婦間の考えに、どのくらい距離感があるか、確認してみることにした。

▼寺山修司著「書を捨てよ、町へ出よう」に、こんな文章があったので、妻がどう考えるか感想を聞いてみた。(寺山が、無類の競馬好きというのを頭においてほしい)。

▼【新宿の裏通りの小さな酒場で働いていた女を、自分のアパートに連れて帰った。私たちはお互い身の上話もせず、一年足らず一緒に暮らしていたが、彼女はある夜帰ってこなかったのである。置手紙もなく、理由もつかめぬ「失踪」であった。思い出せばその女には、泣きぼくろがあった。北海道の生まれで、塩辛の好きな女であった。二年ほどしてから、ひょっこり一通の手紙が来て、実は自分にはかくし子があって、その子が病気になったので故郷に帰ったのだという詫び状が書いてあった。私はその手紙を二度読んで、うそだと見破った。手紙は北海道ではなくて、宮崎の消印だったからである。だが、私はその宮崎の消印のある切手を水に沈めてきれいにはがして保存した。それは「競馬法制定記念」の、茶色い5円の切手であった】。

▼私の感想はこうだ。女は結婚もできない男に見切りをつけて、どこかに出て行った。それは、女ごころを縛りもせず、競馬に心を注ぐ男だったからだ。女はこの男とは一生を添い遂げる仲ではないと、自覚していたからだ。子供が病気というのは嘘だ。故郷へ帰って結婚し、ささやかながら落ち着いた生活をしているのだ。一年暮らした男に未練はないが、淡い思いはかすかに残っている。そこで男が好きな競馬の切手を貼ったのだ。その切手は、今暮らしている夫も競馬好きで、夫の机にその切手が入っていたからだ。今の男もあんたと同じ競馬好きなのという、女のメッセージだ。私は幸せに暮らしているから心配しないでね、というような。

▼妻の感想はこうだ。結婚も考えない男だ。女は他に男をつくりその男と出て行ったという。子供がいるというのは、別れるための単純なうそだ。だが突然いなくなったので、ずっと謎を残していては、相手もかわいそうだ。今は元気で宮崎で暮らしているよという、少しは安心させてやろうとの女心だという。

▼私は結婚もしない男を見限って出て行ったと思った。だが、妻は酒場で働く女だから、こんな男と暮らしたって未来が見えないから
、所帯を持てそうな男と逃げたに違いないとの推理だ。だが、手紙を出したのは、黙って出て行ったので、心配をしていると思っているだろうということで、今は宮崎で元気で幸せに暮らしているよという、母性本能のあらわれだという。

▼私が先の男なら、暮らしている女が、男をつくったなどと思いたくもないからだ。博打にうつつを抜かしているので、つまり愛想を尽かされ出て行ったに違いないが、男の意地で、間男されたなどとは思いたくなかったからだ。

▼変なプライドをいつまでも持っているのが男(私)だ。決断力がある方が女だ。と、妻との会話でそう実感した。「切手」のことについては、妻は何気なく使用したのだろうという。

▼「妄想」好きの私は、今の男もあんたと同じ競馬好きなのよ。男ってしょうがない動物なのね。という意味も含めて「競馬法制定記念」の切符を貼ったのだと推測した。

▼今は封書を出さなくなったが、随分前は私の田舎の郵便局で、手紙を出すのが多いのは、私が一番と言われたものだ。そこで、私は出す相手を考え切手にもちょっぴり気を使っていたので、切手に対する思いがあったからだ。

▼それに切手と言えば、オードリー・ヘップバーンの映画で、題名は忘れてしまったが、血眼で探していたものが、実は古い一枚の「切手」だというのが、脳裏に焼き付いていたせいかもしれない。

▼さらにもう一つ。私が20歳ぐらいの時、友人から絵葉書が届いた。宮崎県の指宿に遊びにいっているという内容だった。私は「指宿」を知らなかったので「しじゅく」と読み、宿を指定してから行ったのかと思った。友人が帰ってきて、初めて「いぶすき」という地名だと知った。そこで差出が宮崎県というのが妙に、気になったからだ。

▼そんなことが重なり、私の推理は「切手」の部分で、妻より深い(余計な)推理になったのだ。男は意外と昔のことにこだわるが、女はつまらない過去は振り返らないようだ。未練がましいのが男で、未練を断ち切るのが、女の得意技かもしれない。

▼などと「外出禁止令」のおかげで?、妻と私の推理の違いを確認できた。とにもかくにも、コロナウイルスが終息し、近くの50円温泉(65歳以上)で、心の縛りを解きたいものだ。

 
「競馬法制定記念切手」の謎を解明。
競馬にうつつを抜かした男なので、女は自分から手を“切って”「あげた」という意味ではないか。  
              三等下

函館生まれの正義の味方

2020年03月03日 16時04分51秒 | えいこう語る

▼昨日の国会質疑を観て「正義」は野党にありと思うが、与党は自分たちの政策の方が「正義」であるとし、テコでも動かない。動かせなければ、政策を実行している与党の方に「正義」があるようにみえてしまう。

▼キツツキのように舌鋒鋭い蓮舫議員だが、アベ総理は相変わらずでたらめな答弁で時間稼ぎだ。頭に血がのぼった蓮舫議員、答弁が滅法下手な、つまり嘘もつけないぐらい余裕のない北村大臣を、イジメに近い感じでツツク。

▼北村大臣の答弁を補佐する官僚は、手取り足取り、おむつまでかえてやりそうな献身ぶりだ。この大臣幼稚園児並みと思ったが、早大卒で「地方創生と規制改革担当」という、偉く重いポジションだ。早く代えなければ、付き添いの官僚たちが過労死しそうだ。

▼お馴染みのアソウ大臣の答弁は、人種差別に近いものがある。さらに少子化担当の衛藤大臣だ。超右翼の顔をのぞかせ「姉ちゃんいい加減にしなければ、身ぐるみ剥いで国会の外にぶん投げるぞ」というような態度をみせ始めている。

▼こんな国会風景に疲れ果ててしまったので、布団に入り寺山修司の「書を捨てよ、街に出よう」を読み返してみた。「月光仮面」の文章に力が入ってしまった。月光仮面は函館生まれだ。

▼【第二次世界大戦前は、正義の味方明智小五郎たちは、仮面を付けたり変装したりすることはなかった。どこの誰だか知らず、疾風のようにあらわれて疾風のように去っていくのは、怪人二十面相の方だった。大戦を境にこの論理 ー 正義の素顔は、悪の素顔へと倒錯していき、正義は居場所を失い、姿をくらまさなければならなかった。そして、疾風のようにあらわれて、疾風のように去っていく正義の味方についての、期待と失望とが私たちの中に入り混じるようになっていた。私たちは、やがて「正義の味方」ではなく、正義そのものを疑い始め、その尺度の判定など存在しないことを知るようになっていった】。

▼さらに寺山は、月光仮面と小児誘拐魔は同一人物だという。正なる自我と悪なる分身、あるいは悪なる自我と正なる分身とは、一人の人格の中で分裂し、それを繕うために「変装」が必要とされていたという。

▼寺山の小学校の修身の教師は、戦後、婦女暴行事件を起こしたという。そこから悪から切り離されて、自立した正義など存在せぬことを知ったという。正体がはっきりせぬ以上、正義も正義の味方も「疾風のようにあらわれて、疾風のように去って」ゆかねばならないと。
▼ドイツの劇作家で詩人の、ベルトルト・ブレヒトのようにいうなれば【正義の存在しない時代は不幸だが、正義を必要とする時代はもっと不幸だ】ということになるだろうと、寺山は言う。

▼この文章を読んで、今の日本は、戦前よりもっと不幸な時代を向かえているのではないか。野党と与党、どちらに正義があるのか全く分からない状態は、もしかして私たちが歩いてきた戦後民主主義に、原因があるのではないかと思ったりもする。

▼ちょっぴり難解な「正義」について、野球好きの寺山は、寺山流の変化球を投げつけてくる。ある野球通の豆腐屋のおじさんから聞いた「金田ストライク」という話だ。

▼ジャイアンツの金田投手が登板した時、審判がTだったら、絶対ストライクが多くなる。Tと金田は共にピッチャーだった。金田は一流だったがTは二線級で、いつも貧乏していた。それで金田はお古をやったり飲みに連れて行ってやったりした。それが今は、腕の衰えた投手と、審判という関係になった。Tは金田に恩返しがしたいので、くさい球でもみなストライクにしてしまうというのだ。つまり他の審判のときよりも、ストライクが多くなるということだ。▼だが、それが事実かどうか確かめることなどできなかった。しかし、投じられた一球がストライクと判定され、それを人格にゆだねる限りは、正義と悪は常に相対的関係であり、同じ行為が正義として扱われたり、悪として取りざたされるのは、その行為を取り囲む状況、政治の問題だったという。

▼「悪とは正義の変装」にすぎず、一つの社会の正義はもう一つの社会の悪なのだという寺山らしい正義の解釈だ。寺山フアンの私も、寺山の煙草の煙にまかれたようで、分かったようで分からない。だが、分からないようだけど分かった気分になっている。

▼とうとう朝まで、この本を読み終えてしまった。朝刊が届く時間になり「いつまでも眠らないと早く死んでしまう」という妻の叱責が聞こえる。

▼「残された時間(命)、眠るならいくらでも眠れる。それより眠れないほどの読書に出会うことが、どれほどいいか」などと、寺山流の戯言で気取ってみた。「どうせ昼寝をするくせに」という、妻のつぶやきを無視した。

▼最後にこの本の中で、印象に残る言葉を記しておきたい。

   一本の樹のなかにも流れている血がある
   樹のなかでは血はたったまま眠っている 

   マッチ擦るつかのま海に霧ふかし
   身捨つるほどの祖国はありや