▼コロナウイルスの感染拡大で、たった【数日間】で、既存の「コロナ特措法」が改正された。WHOのパンデミック宣言に乗じ、私権を大きく制限できる、極めて独裁性の強い【緊急事態宣言】を可能とする、国民主権を踏みにじる可能性が大きい法改正だ。
▼と理解するのが妥当な内容だろう。北海道新聞(14日)の【社説】「改正特措法成立・緊急事態懸念拭えぬ」もそのような内容だからだ。よく00新聞を読んでいるので、考え方まで似ているといわれるが、そんなことはない。
▼私は、どちらかと言えば懐疑的性癖を持っている。だから、読んでいる新聞にも懐疑的なのだ。さらに自分にも懐疑的なのだ。つまり、田舎オヤジの考えなど自信の持てるものでないと考えているから「妄想」に逃げてしまうのだ。
▼現に私の周囲では、私の考えは受け入れられていないというのを、私自身が十分認識している。自分の常識と周囲の常識が、多少ずれているだけのことだと思うが、民主主義国家で暮らしていれば、少数派でいるのは、損くさい時が多い。
▼だが多数派に属していれば、何か大事なものを見落としてしまう気がする。ということで、少数派でいるためには常に懐疑的でなければならないと考えるからだ。
▼私は今、日本国憲法施行後60年目に別冊で発刊された扶桑社の【正論】を読んでいる。内容が【日本国憲法の正体】だからだ。執筆にあたっている人たちは「憲法改正派」のいわゆる、ガチガチの右派に属する人物ばかりだ。
▼読んでいると「護憲派」の人であれば、攻めまくられているという感じだ。現憲法は「GHQによる押し付け憲法」「米国の憲法であって、日本人としては恥ずかしい憲法」など、「改憲」というのは生ぬるく【廃憲】だという、現憲法を焼却して墓に埋めようという類の激しい主張だ。
▼そういえば、そうなのかもと思ってしまう、説得力がある?内容だ。説得力とは、自信をもって声高に主張するというのが、基本だと思っている私も、こうまで言われれば、日本国憲法を充分読み込み、理解していない国民であれば、右傾化させられるのではないかと、肌寒くもなる内容だ。
▼つまりある日突然、笛吹き男が現れると、その音色につられ「集団自殺する鼠」のように、我が国民は、そんなDNAをどこかに潜ませている民族ではないかと考えてしまう。今回の「数日間の特措法改正」に、その片鱗を垣間見たように感じるからだ。
▼だが、この改正は自民党が仕掛けたのではない。旧民主党政権の時に、すでにこの「特措法」が成立していたのだ。それをアベ政権が「布石」と変換し、パンデミックでの不安を後方支援とし、まんまと成立にこぎつけたのだ。
▼アベ総理の憲法解釈は「落第点」と、我が国の学者は評価していないが、アベ総理のブレーニンは、ポピュリズムを十全に操る、優秀な「憲法改正戦略集団?」がいるようだ。その集団が神輿に担ぐのは【アベの神】程度が、最適なのかもしれない。とにかく軽く一本取られた感じの「特措法改正」だ。
▼ふとここで、私の心にある記憶が呼びかけてきた。1959年(昭和29年)の洞爺丸台風事件だ。といっても、昭和23年生まれの私なので、すごい風が吹いたという記憶が、かすかにあるだけだ。
▼確か台風15号と呼んでいたが、洞爺丸という青函連絡船が沈没したというのを知ったのは、小学生の高学年ぐらいだと思う。しかし、その後の私の青春時代の思い出の中に、「青函連絡船」は欠かせない存在担ったのだ。
▼そして、1988年(昭和63年)に、青函トンネルが完成し、青函連絡船は廃止された。もちろん海底トンネルを作るきっかけは、洞爺丸沈没事件だった。
▼青函連絡船の最後の日は、函館山周辺を一周した。廃止を惜しむ市民でいっぱいの船内は、様々なイベントがあり、私もそこに参加し、自分の思いのたけを、十二分にぶっつけさせていただいた。
▼そんな思いもあったので、たぶんその頃だと思うが、洞爺丸事故について調べ、人前で発表したことがあった。その時、始めて【走錨=そうびょう】という言葉を知った。
▼あの巨大な連絡船の錨が、引っ張られて走るぐらいの大きな台風だったということだ。錨が走り船が流され、近くの砂浜に座礁し、転覆したのだ。
▼その洞爺丸の「走錨」が、今回の「特措法改正」で、蘇ってきたのだ。「ウイルス特措法」は、旧民主党が成立させた法律だ。その時自民党は、その先を考えていたに違いない。いずれ「緊急事態法」の成立に、この「特措法」は、布石になるに違いないと。
▼今回の改正は、前の特措法の「運用」で、できる内容だったが、パンデミックを背景に、野党(旧民主党)も反対できず「緊急事態宣言」を許してしまったのだ。
▼自民党の大きな潮流に引きずられ、漂流して座礁し転覆する。今の我が国の政治体制を見て「憲法改正」へと引きずられる、野党の【走錨】が浮かんできたのだ。
▼1954年の「洞爺丸事件」の遠い私の記憶にが、66年後の今回の「コロナ特措法改正」へと結ぶついてくる。私が歴史が好きなの理由は、こんなことに結びついて考えられることにあるのではないかと思う。
▼「過去は現在や未来の教科書」だと私は考えている。アベ総理の今日の「特措法改正」のしたり顔は【走錨】を引き起こし、野党を座礁させた顔に思えた。そして、次は野党を転覆させてやるという自信に満ちた顔にも見えた。
▼さらにもっと言わせてもらえば、野党の【走錨】は、新型コロナウイルスで、今の野党の【病巣】が露呈したということではないかと、情けなさを感じる。それが【憲法改正】への、大きな前進に思えたからだ。
▼と理解するのが妥当な内容だろう。北海道新聞(14日)の【社説】「改正特措法成立・緊急事態懸念拭えぬ」もそのような内容だからだ。よく00新聞を読んでいるので、考え方まで似ているといわれるが、そんなことはない。
▼私は、どちらかと言えば懐疑的性癖を持っている。だから、読んでいる新聞にも懐疑的なのだ。さらに自分にも懐疑的なのだ。つまり、田舎オヤジの考えなど自信の持てるものでないと考えているから「妄想」に逃げてしまうのだ。
▼現に私の周囲では、私の考えは受け入れられていないというのを、私自身が十分認識している。自分の常識と周囲の常識が、多少ずれているだけのことだと思うが、民主主義国家で暮らしていれば、少数派でいるのは、損くさい時が多い。
▼だが多数派に属していれば、何か大事なものを見落としてしまう気がする。ということで、少数派でいるためには常に懐疑的でなければならないと考えるからだ。
▼私は今、日本国憲法施行後60年目に別冊で発刊された扶桑社の【正論】を読んでいる。内容が【日本国憲法の正体】だからだ。執筆にあたっている人たちは「憲法改正派」のいわゆる、ガチガチの右派に属する人物ばかりだ。
▼読んでいると「護憲派」の人であれば、攻めまくられているという感じだ。現憲法は「GHQによる押し付け憲法」「米国の憲法であって、日本人としては恥ずかしい憲法」など、「改憲」というのは生ぬるく【廃憲】だという、現憲法を焼却して墓に埋めようという類の激しい主張だ。
▼そういえば、そうなのかもと思ってしまう、説得力がある?内容だ。説得力とは、自信をもって声高に主張するというのが、基本だと思っている私も、こうまで言われれば、日本国憲法を充分読み込み、理解していない国民であれば、右傾化させられるのではないかと、肌寒くもなる内容だ。
▼つまりある日突然、笛吹き男が現れると、その音色につられ「集団自殺する鼠」のように、我が国民は、そんなDNAをどこかに潜ませている民族ではないかと考えてしまう。今回の「数日間の特措法改正」に、その片鱗を垣間見たように感じるからだ。
▼だが、この改正は自民党が仕掛けたのではない。旧民主党政権の時に、すでにこの「特措法」が成立していたのだ。それをアベ政権が「布石」と変換し、パンデミックでの不安を後方支援とし、まんまと成立にこぎつけたのだ。
▼アベ総理の憲法解釈は「落第点」と、我が国の学者は評価していないが、アベ総理のブレーニンは、ポピュリズムを十全に操る、優秀な「憲法改正戦略集団?」がいるようだ。その集団が神輿に担ぐのは【アベの神】程度が、最適なのかもしれない。とにかく軽く一本取られた感じの「特措法改正」だ。
▼ふとここで、私の心にある記憶が呼びかけてきた。1959年(昭和29年)の洞爺丸台風事件だ。といっても、昭和23年生まれの私なので、すごい風が吹いたという記憶が、かすかにあるだけだ。
▼確か台風15号と呼んでいたが、洞爺丸という青函連絡船が沈没したというのを知ったのは、小学生の高学年ぐらいだと思う。しかし、その後の私の青春時代の思い出の中に、「青函連絡船」は欠かせない存在担ったのだ。
▼そして、1988年(昭和63年)に、青函トンネルが完成し、青函連絡船は廃止された。もちろん海底トンネルを作るきっかけは、洞爺丸沈没事件だった。
▼青函連絡船の最後の日は、函館山周辺を一周した。廃止を惜しむ市民でいっぱいの船内は、様々なイベントがあり、私もそこに参加し、自分の思いのたけを、十二分にぶっつけさせていただいた。
▼そんな思いもあったので、たぶんその頃だと思うが、洞爺丸事故について調べ、人前で発表したことがあった。その時、始めて【走錨=そうびょう】という言葉を知った。
▼あの巨大な連絡船の錨が、引っ張られて走るぐらいの大きな台風だったということだ。錨が走り船が流され、近くの砂浜に座礁し、転覆したのだ。
▼その洞爺丸の「走錨」が、今回の「特措法改正」で、蘇ってきたのだ。「ウイルス特措法」は、旧民主党が成立させた法律だ。その時自民党は、その先を考えていたに違いない。いずれ「緊急事態法」の成立に、この「特措法」は、布石になるに違いないと。
▼今回の改正は、前の特措法の「運用」で、できる内容だったが、パンデミックを背景に、野党(旧民主党)も反対できず「緊急事態宣言」を許してしまったのだ。
▼自民党の大きな潮流に引きずられ、漂流して座礁し転覆する。今の我が国の政治体制を見て「憲法改正」へと引きずられる、野党の【走錨】が浮かんできたのだ。
▼1954年の「洞爺丸事件」の遠い私の記憶にが、66年後の今回の「コロナ特措法改正」へと結ぶついてくる。私が歴史が好きなの理由は、こんなことに結びついて考えられることにあるのではないかと思う。
▼「過去は現在や未来の教科書」だと私は考えている。アベ総理の今日の「特措法改正」のしたり顔は【走錨】を引き起こし、野党を座礁させた顔に思えた。そして、次は野党を転覆させてやるという自信に満ちた顔にも見えた。
▼さらにもっと言わせてもらえば、野党の【走錨】は、新型コロナウイルスで、今の野党の【病巣】が露呈したということではないかと、情けなさを感じる。それが【憲法改正】への、大きな前進に思えたからだ。