▼コロナウイルスの感染拡大で、北海道知事から「外出自粛令」が出され、道民は檻の中に閉じ込められたようで、気が滅入っている。憲法9条が改正され、集団的自衛権が行使され「戒厳令」など布かれるようになったら、民主主義国家の国民は「我慢が出来ない」と、暴動が起きるかもしれない。
▼人間閉じ込められれば、一点だけだけにのめり込み、妄想だけが拡大し心身共に疲れ切ってしまう。そこで頭を切り替えて、コロナウイルス感染拡大における、日本人の考えと行動について、別の角度から考えてみることにした。
▼と言えばかっこいいが、私の頭の中も飽和状態になったので、ちょっと隣町の温泉に出かけ、リフレッシュしてきたという類の話なので、軽く聞き流してほしい。
▼米国における近現代天皇制研究の第一人者と言われる、ポートランド州立大教授で「日本研究センター所長」のケネス・ルオフ著【天皇と日本人】を読み、コロナウイルスで混乱する我が国の国民意識を考えてみた。
▼保守派の論客で、慶応大教授でもあり文藝評論家だった故江藤淳の、阪神大震災時の天皇の行動について、こう発言している。【天皇皇后は何もひざまずく必要はない。被災者と同じ目線である必要もない。現行憲法上も特別の地位に立っておられる方々であってみれば、立ったままでかまわない。馬上であろうと車上であろうとよいのです。国民に愛されようとする必要も一切ない】。
▼極めて明快な天皇像だ。江藤は「国民の天皇」になったのは、戦後民主主義のせいだという。国民と天皇の距離が近くなったため、象徴としての存在が薄れてきているというのだろう。
▼戦後の移民政策で、ブラジルなどに住んだ人たちは、天皇の訪問を涙を以て歓迎する。それは「天皇は自分たちを見放していなかったということの表れだ」という。戦後皇室も「国民の天皇」を意識するからだ。
▼戦後、皇室は自衛隊を遠ざけたように思う。だが、3:11の東日本大災害では、天皇は救助活動にあたった様々な機関の中で、自衛隊を一番に上げた。
▼【自衛隊、警察、消防、海上保安庁を始めとする国や地方自治体の人々、諸外国から救援のために来日した人々、国内の様々な救援組織に属する人々が、余震の続く危険な状況の中、日夜救援活動をすすめている努力に感謝し、その労を深くねぎらいたく思います】。
▼もし天皇が,自衛隊と距離を置いていたら、自衛隊の死に物狂いの活動は、虚しいものになるのではないだろうか。平成天皇は自衛隊幹部を皇居に招き、国への奉仕に感謝し、その栄誉を称えているという。
▼だが宮中では、こうした問題については、言うまでもなくひじょうに慎重になっているようだ。だが、自衛隊が国の象徴から見捨てられたと感じたら、果たして責任をもって防衛にあたるか、心配する人もいるだろう。
▼私の知人で、陸自の戦車部隊に所属していた人がいた。彼は「戦争が始まったら、天皇のためというなら死んでもいい」と話していた。国家・国民のためという「不確か」なものでは、死ぬに死ねないということだろう。軍隊は「象徴」を必要とするということかもしれない。
▼【皇室が自衛隊を通して、国に奉仕する人たちに常に関心を持つことは正しいことだと思う。平和を維持する唯一最良の方法は、できるかぎり国家指導者に、自ら戦争を発動させないようにしながら、戦争に備えることであると信じる側に立つようになった。とはいえ民主主義によってさえ、指導者を抑制することがとてもむずかしいことは認めないわけにはいかない。実際民衆は、しばしば戦争を叫ぶ指導者の下に集結しがちだからだ。私はなぜ戦後、皇室が初めから自衛隊と距離を置いてきたかを理解している。しかし今の時点では、現在の天皇皇后が社会福祉に力を注いでいるのに比べ、自衛隊に最小限の関心しか払われないのが、妙にアンバランスだと感じるようになっている。これは次代の天皇と皇后が再考すべき事柄だ】と、ケネス・ルオフは指摘する。
▼「天皇と自衛隊」の関係は、集団的自衛権行使容認や大規模災害の多い我が国にとって、距離がますます近づくに違いない。自衛隊の「命を懸けた行動」により、象徴が象徴であるべき新たな責任が生じてくるからだ。
▼象徴としての天皇の自衛隊との距離は、今後ますます近づくことになりそうな気がする。戦後生まれの天皇皇后両陛下が、今後の憲法改正の流れにどう対処するかだ。
▼昭和天皇は1987年、靖国神社にA級戦犯が合祀された時点で、靖国参拝を中止している。それ以来上皇も参拝を避けてきた。果たして天皇は靖国参拝を拒否できるだろうか。上皇はアベ総理と距離を置いていたが、天皇はアベ総理の意志の下で動いているように見えるからだ。
▼天皇即位後の初の国賓が、トランプ大統領だったのは、アベ総理の指示ではないかと国民は思っている。大統領が離日の日、天皇皇后両陛下が、大統領の宿泊ホテルまで挨拶に出向いたということも、アベ総理の意向が働いているような気がするからだ。
▼自衛隊の活動の中での死亡者も、靖国神社に祀られることになるだろう。そうなると天皇の靖国参拝は、避けて通れない時期が来るような気がする。そこが日本の将来を決定づけることにならないか心配する。
▼自民党憲法改正(案)には「天皇が象徴であり元首」としている。元首とは象徴としての天皇に、新たな責任を生じさせ、国の政策を進めさせる役割を負わせるのではないかと、危惧されるからだ。
▼天皇の退位で、ジャーナリストの保坂正康は、函館市内の後援会で「国民は新天皇と近づかなければならない」と提言した。それは「天皇と現政権」が近づくのを危ぶむからだろう。
▼天皇の2度目の国賓は、中国の習主席だ。これもアベ総理のお膳立てのように見える。今回はコロナウイルスで中止となった。天皇になったのは、昨年の五月だ。席も温まらないままの国賓の対応だ。政権の傀儡にならないよう、両陛下協力して「国民の天皇」たるべき行動をしてほしいと思う。
▼吹き荒れるコロナウイルス旋風の中で、一足先に?「戒厳令」を布かれた国民の気持ちをちょっぴり味合っている。本当の戒厳令では、ブログも書けないだろうけど。