▼昨日(19日)の大相撲「白鵬 VS 正代」の一戦だ。「対」と使わず「VS」としたのは「心・技・体」も忘れ去った“縦綱”白鵬の、「相撲」でなく「格闘技くずれ?」という内容の一戦だったからだ。
▼60年近くにも及ぶ大相撲フアンの私は、横綱の品格も忘れた相撲を取る者は「縦綱」と呼んでいる。日本人としての「品格」が何たるかをいまだよく理解できない私でも【みっともない】という言動(振る舞い)が「品格」判定の基準だと思っているからだ。
▼しかし白鵬は、戦後の横綱で理知的で技に切れがあるのは「栃錦と若乃花」以来だと評価するが、横綱審議会からも再三注意されるにもかかわらず「張り手と勝ちあげ」を、平気で行う光景は「土俵の恥」と言っても過言ではない。「プロレスでないのだ。バカヤロー!」とテレビに向かって叫んでいる私だ。
▼そんな「みっともなさ」を、十分知りながら「勝ち」だけを目指す内容は、誰かに似ていやしないか。政界の横綱と言われる「アベ総理」だ。「集団的自衛権容認」・「森友・加計問題」・「花見の会」など、カレー屋や回転寿司屋でもあるまいし、野党の攻撃で“ここ一番”ともなると「張り手や勝ち上げ“三昧”」だ。
▼コロナウイルス感染で、国難と言われる非常事態に「森友問題」で、公文書改竄を強いられ、自殺に追い込まれた近畿財務局職員の、遺言といってもいい【手記】が公開された。
▼アベ政権にとって痛手というより「一人の自殺より大勢の国民の命を救う、それが一番大切ではないか」という逆切れをしないか、アベ総理の言動を見守っている。
▼【佐川局長の指示】とあり、森友と親密な関係にあった「アベ総理と昭恵夫人」の“濃厚接触”が、より鮮明になってきた。「相撲界の横綱」も「政界の横綱」も、どちらもその地位に長く居座りすぎるのが「みっともなさ」を生む、最大の原因だろう。
▼その二人の最大目標と言えば、白鵬は【外人初の理事長】だろうし、アベ総理は【憲法改正】だ。その目的遂行のためには、もはや反対勢力は「張りてと勝ち上げ」で打ちのめせばいいというのが、アベ政権の本音だろう。「みっともなさだけが人生」なのだ。
▼「森友問題」はアベ総理の最大の痛手と言われるが、そうにならない対策は万全だ。最高裁判所長官も検事総長も、自分の手下を配置したからだ。コロナウイルスの感染拡大防止も、こんな手際でやってほしいと思うが。
▼ただ国技の方は、白鵬の野望を食い止めれるが、白鵬は内部告発に近い嫌がらせを小出しにし、国技を揺るがすだろう。それはさほど心配はいらない。
▼「モンゴルが国技に口を出すのはいかがなものか」という雰囲気が、国民の中にあるからだ。国民の支持ほど強いものはないというのを、白鵬が理解しなければならない。国技の中で外国人が生き延びるためには、理解しなければならい宿命だからだ。
▼だが、国体はアベ長期政権で、崩壊しそうになるのではないかと思う。それは、国家の基本秩序である憲法を“改竄”しようとするからだ。では国体を護持するにはどうしたらいいかというと、我々が馴染んだ日本国憲法を「護持」することに尽きるのではないだろうか。
▼現在の我が国の「国体護持」とは「日本国憲法」を守り切ることではないだろうか。【戦争放棄】という「21世紀型憲法ウイルス」を世界に感染させるのが、日本国の役割ではないかと思うのだが。
▼第二次世界大戦の「オキナワ・ヒロシマ・ナガサキ」を体験した我が国は、その防禦対策はどこの国より優れているはずだ。それを、世界に伝えるのが、我が国の役割であることは間違いない。
▼コロナウイルスを「戦争」と例える国もある。アベ総理の長期政権には反対だが、開催国として早期に「五輪中止」と「憲法改正中止」を自ら発すれば、国体護持の総理として、歴史に名を刻むことになるのではないかと考える。
▼それが、アベシンゾーの最良の引き際だと思う。最近アベ総理の「ほめ殺し」になっている感じがしている。「ほめ殺し」なんて手法は「みっともない」という部類に属するという自覚は、私にもあるのだけれど。
国体護持とは日本国憲法を守ることだ
三等下
▼60年近くにも及ぶ大相撲フアンの私は、横綱の品格も忘れた相撲を取る者は「縦綱」と呼んでいる。日本人としての「品格」が何たるかをいまだよく理解できない私でも【みっともない】という言動(振る舞い)が「品格」判定の基準だと思っているからだ。
▼しかし白鵬は、戦後の横綱で理知的で技に切れがあるのは「栃錦と若乃花」以来だと評価するが、横綱審議会からも再三注意されるにもかかわらず「張り手と勝ちあげ」を、平気で行う光景は「土俵の恥」と言っても過言ではない。「プロレスでないのだ。バカヤロー!」とテレビに向かって叫んでいる私だ。
▼そんな「みっともなさ」を、十分知りながら「勝ち」だけを目指す内容は、誰かに似ていやしないか。政界の横綱と言われる「アベ総理」だ。「集団的自衛権容認」・「森友・加計問題」・「花見の会」など、カレー屋や回転寿司屋でもあるまいし、野党の攻撃で“ここ一番”ともなると「張り手や勝ち上げ“三昧”」だ。
▼コロナウイルス感染で、国難と言われる非常事態に「森友問題」で、公文書改竄を強いられ、自殺に追い込まれた近畿財務局職員の、遺言といってもいい【手記】が公開された。
▼アベ政権にとって痛手というより「一人の自殺より大勢の国民の命を救う、それが一番大切ではないか」という逆切れをしないか、アベ総理の言動を見守っている。
▼【佐川局長の指示】とあり、森友と親密な関係にあった「アベ総理と昭恵夫人」の“濃厚接触”が、より鮮明になってきた。「相撲界の横綱」も「政界の横綱」も、どちらもその地位に長く居座りすぎるのが「みっともなさ」を生む、最大の原因だろう。
▼その二人の最大目標と言えば、白鵬は【外人初の理事長】だろうし、アベ総理は【憲法改正】だ。その目的遂行のためには、もはや反対勢力は「張りてと勝ち上げ」で打ちのめせばいいというのが、アベ政権の本音だろう。「みっともなさだけが人生」なのだ。
▼「森友問題」はアベ総理の最大の痛手と言われるが、そうにならない対策は万全だ。最高裁判所長官も検事総長も、自分の手下を配置したからだ。コロナウイルスの感染拡大防止も、こんな手際でやってほしいと思うが。
▼ただ国技の方は、白鵬の野望を食い止めれるが、白鵬は内部告発に近い嫌がらせを小出しにし、国技を揺るがすだろう。それはさほど心配はいらない。
▼「モンゴルが国技に口を出すのはいかがなものか」という雰囲気が、国民の中にあるからだ。国民の支持ほど強いものはないというのを、白鵬が理解しなければならない。国技の中で外国人が生き延びるためには、理解しなければならい宿命だからだ。
▼だが、国体はアベ長期政権で、崩壊しそうになるのではないかと思う。それは、国家の基本秩序である憲法を“改竄”しようとするからだ。では国体を護持するにはどうしたらいいかというと、我々が馴染んだ日本国憲法を「護持」することに尽きるのではないだろうか。
▼現在の我が国の「国体護持」とは「日本国憲法」を守り切ることではないだろうか。【戦争放棄】という「21世紀型憲法ウイルス」を世界に感染させるのが、日本国の役割ではないかと思うのだが。
▼第二次世界大戦の「オキナワ・ヒロシマ・ナガサキ」を体験した我が国は、その防禦対策はどこの国より優れているはずだ。それを、世界に伝えるのが、我が国の役割であることは間違いない。
▼コロナウイルスを「戦争」と例える国もある。アベ総理の長期政権には反対だが、開催国として早期に「五輪中止」と「憲法改正中止」を自ら発すれば、国体護持の総理として、歴史に名を刻むことになるのではないかと考える。
▼それが、アベシンゾーの最良の引き際だと思う。最近アベ総理の「ほめ殺し」になっている感じがしている。「ほめ殺し」なんて手法は「みっともない」という部類に属するという自覚は、私にもあるのだけれど。
国体護持とは日本国憲法を守ることだ
三等下