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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

アベ総理と白鵬

2020年03月20日 19時37分26秒 | えいこう語る
▼昨日(19日)の大相撲「白鵬 VS 正代」の一戦だ。「対」と使わず「VS」としたのは「心・技・体」も忘れ去った“縦綱”白鵬の、「相撲」でなく「格闘技くずれ?」という内容の一戦だったからだ。

▼60年近くにも及ぶ大相撲フアンの私は、横綱の品格も忘れた相撲を取る者は「縦綱」と呼んでいる。日本人としての「品格」が何たるかをいまだよく理解できない私でも【みっともない】という言動(振る舞い)が「品格」判定の基準だと思っているからだ。

▼しかし白鵬は、戦後の横綱で理知的で技に切れがあるのは「栃錦と若乃花」以来だと評価するが、横綱審議会からも再三注意されるにもかかわらず「張り手と勝ちあげ」を、平気で行う光景は「土俵の恥」と言っても過言ではない。「プロレスでないのだ。バカヤロー!」とテレビに向かって叫んでいる私だ。

▼そんな「みっともなさ」を、十分知りながら「勝ち」だけを目指す内容は、誰かに似ていやしないか。政界の横綱と言われる「アベ総理」だ。「集団的自衛権容認」・「森友・加計問題」・「花見の会」など、カレー屋や回転寿司屋でもあるまいし、野党の攻撃で“ここ一番”ともなると「張り手や勝ち上げ“三昧”」だ。

▼コロナウイルス感染で、国難と言われる非常事態に「森友問題」で、公文書改竄を強いられ、自殺に追い込まれた近畿財務局職員の、遺言といってもいい【手記】が公開された。

▼アベ政権にとって痛手というより「一人の自殺より大勢の国民の命を救う、それが一番大切ではないか」という逆切れをしないか、アベ総理の言動を見守っている。

▼【佐川局長の指示】とあり、森友と親密な関係にあった「アベ総理と昭恵夫人」の“濃厚接触”が、より鮮明になってきた。「相撲界の横綱」も「政界の横綱」も、どちらもその地位に長く居座りすぎるのが「みっともなさ」を生む、最大の原因だろう。

▼その二人の最大目標と言えば、白鵬は【外人初の理事長】だろうし、アベ総理は【憲法改正】だ。その目的遂行のためには、もはや反対勢力は「張りてと勝ち上げ」で打ちのめせばいいというのが、アベ政権の本音だろう。「みっともなさだけが人生」なのだ。

▼「森友問題」はアベ総理の最大の痛手と言われるが、そうにならない対策は万全だ。最高裁判所長官も検事総長も、自分の手下を配置したからだ。コロナウイルスの感染拡大防止も、こんな手際でやってほしいと思うが。

▼ただ国技の方は、白鵬の野望を食い止めれるが、白鵬は内部告発に近い嫌がらせを小出しにし、国技を揺るがすだろう。それはさほど心配はいらない。

▼「モンゴルが国技に口を出すのはいかがなものか」という雰囲気が、国民の中にあるからだ。国民の支持ほど強いものはないというのを、白鵬が理解しなければならない。国技の中で外国人が生き延びるためには、理解しなければならい宿命だからだ。

▼だが、国体はアベ長期政権で、崩壊しそうになるのではないかと思う。それは、国家の基本秩序である憲法を“改竄”しようとするからだ。では国体を護持するにはどうしたらいいかというと、我々が馴染んだ日本国憲法を「護持」することに尽きるのではないだろうか。

▼現在の我が国の「国体護持」とは「日本国憲法」を守り切ることではないだろうか。【戦争放棄】という「21世紀型憲法ウイルス」を世界に感染させるのが、日本国の役割ではないかと思うのだが。

▼第二次世界大戦の「オキナワ・ヒロシマ・ナガサキ」を体験した我が国は、その防禦対策はどこの国より優れているはずだ。それを、世界に伝えるのが、我が国の役割であることは間違いない。

▼コロナウイルスを「戦争」と例える国もある。アベ総理の長期政権には反対だが、開催国として早期に「五輪中止」と「憲法改正中止」を自ら発すれば、国体護持の総理として、歴史に名を刻むことになるのではないかと考える。

▼それが、アベシンゾーの最良の引き際だと思う。最近アベ総理の「ほめ殺し」になっている感じがしている。「ほめ殺し」なんて手法は「みっともない」という部類に属するという自覚は、私にもあるのだけれど。

     国体護持とは日本国憲法を守ることだ
                     三等下

遺書は犯罪の確実な証拠か?

2020年03月19日 16時07分40秒 | えいこう語る

▼♪遅かったのかい 君のことを
  思いやるのが 遅かったのかい
  他の誰かを 愛した君は
  僕をおいて 離れてゆくの
  遅かったのかい 悔やんでみても
  遅かったのかい 今はもういない♪

▼私の青春時代、巷に流れていた、作詞作曲・中村泰士 歌手・佐川満男の「今は幸せかい」の一番目の歌詞だ。実はこの文章に、私が“改竄”した箇所がある。2行目の初めだ。

▼私は【思いやるのが】と改竄したが、正しくは【好きになるのが】だ。なぜこんなことを思いついたかと言えば、森友学園問題で自殺に追い込まれた、近畿財務局職員Aさんの「手記」が公開されたからだ。

▼「手記」とあるが、この内容は「遺書」と同様のものだ。「改竄は佐川局長の指示」とあり「パワハラで有名な佐川局長の指示には誰も背けない」とも書いてあるので、佐川元局長の関与は間違いない。

▼しかし、佐川も局長という組織のトップにあり、組織や自分の保身のためとはいえ、部下を死に追いやったことへの自責の念は、生涯忘れることはできないだろう。

▼♪遅かったのかい 君のことを「思いやるのが」遅かったのかい♪と毎日悔やんでいることと察し、縁もゆかりもない佐川元局長に「忖度」し、文言の改竄を試みたのだ。

▼佐川と言えば、宅急便を連想するが、私は佐川と言えば、歌手の佐川満男と、私とほぼ同年代で、フランスで殺人事件を起こし、人肉を食べた佐川一政を連想する。そんな佐川の書いた本を購入し、読んだ記憶がある。それは自分の同世代に起こったという、ショックがあったからだ。

▼それに、小柄な男が権力を背にし、世間を欺く【佐川宣寿】元財務省理財局長が加わったのだ。人肉事件の佐川と、国家を背負って平気を装う人格に、同質性があるのではないかと興味を持ったからだ。

▼人肉を食らうという行為は、かつて国家が起こした戦争の時も、同じ行為が展開されたからだ。人肉の佐川も局長の佐川の心理状態も、その時代に起きる奇異な事件は、人間の言動が何かの形で、世情に左右されるのではないかと考えるからだ。

▼私もよく分からない。だが、時代背景が人間の行動に、大いに関与するのではないかと考える。歴史に記載されているものは、その時代に起きるから、その時代の様相が分析できるからだ。歴史とは「時代の証言」なのかもしれない。

▼Aさんの遺書が果たして今のアベ政権下で、決定的な証拠となるのだろうか。子供たちのイジメによる自殺を考えてほしい。今の世の中では、死んだ者より生きた者中心の、世の中になっていやしないだろうか。

▼学校も教育委員会も自治体も、遺書があるにもかかわらず、死を選んだ者へ「命の大切さ」を解き、死に関与した者には、寛大さを強調し過ぎる傾向はないだろうか。

▼イジメの問題が止まない背景には、今ある秩序の維持が大事だという、民主主義の多数優先原理のようなものが、今の世情の中でバランスを崩しているような気がするからだ。

▼Aさんに自死せず、自分に正義があるなら戦ってほしいというのは、第三者のエゴだろう。三島由紀夫の自死さえ、人前で解説できる人間が、どれほどいるだろうか。私は、三島の自死を当時東京でテレビで観ていたが、それでもいまだに理解できないでいるからだ。

▼自死する者は、自分の考えが狭くなって自爆したという社会的合意が蔓延している様な社会では、何んの問題解決にもならない。ただ閉塞状態が続く五里霧中の社会ではないかと思う。

▼たぶん、佐川元局長は【自分はそう指示はしていない。私が反省すべきことは、Aさんをそんな過酷な心理状態に陥らせてしまった、上司としての管理責任を十分感じている】と、話すに違いない。

▼結果は子供のイジメ問題と同じく、生きる者に、正義の匙加減を少し増やすのだ。その背景はアベ政権下だからだ。

▼しかし、納得がいかないのは、森友問題で籠池夫妻にすべて押し付ける判決だ。「昭恵夫人」が関与しているのは国民の多くが理解している。このレベルで逃げおおせるなら、アベ政権は習近平下での【中国化】しているといわざるを得ない。

▼そんなアベ船頭が舵をとる船が「日本丸」だと思っていたら、実は「プリンセス・ダイアモンド号」であったという、驚きの夢を今夜見そうだ。・・・あまりにも恐ろしい、今夜の夢の予告だ!。

▼私は今夜、プッチーニ作曲の歌劇「ツゥーランドット」の中の【誰も寝てはならない】のユーチューブを観ようと思う。あの歌の日本語訳に、アベ総理の権謀術数から逃れる、ヒントが隠されているような気がするからだ?。

本音を引き出す会話

2020年03月18日 14時37分14秒 | えいこう語る
▼いい大人が、気色ばって相手を言いくるめるのは、あまり関心はしないというのが、常識的な大人の感情だろう。しかし、常識的な大人というのも基準が曖昧だ。人それぞれの受け止め方で、常識的だったり非常識に見えることがあるからだ。

▼あまり常識ぶっていても、前進はない。常識的だろうが非常識に見えようが、討論の内容を深めていく努力が必要だ。その相反する意見から、極端すぎない常識的で一・二歩前進する結論を、導き出せばいい。

▼常識論ばかりだと、組織は安泰しているように見えるが、組織は細部から徐々に壊死してくる。壊死した部分はそのまま蘇らせるのではなく、新たに補充しなければならない。それには反論は「必須条件」だからだ。

▼公的な会議に、市民の立場で参加していると、極めて常識的な意見が目立つ。まず議長たる人物が先に決められ、その会のリード役を務めるからだ。ここで結論は決まってしまう。異論が出ても「参考意見」として処理させられてしまう。

▼公的会議という「大河」の中で、反論は木の葉のように流れに巻き込まれ、やがて大海に吐き出されて、会議は終了してしまうのだ。「忌憚のない意見を」という言葉をたくさん聞いてきた。【忌憚ある意見を期待したい】というような議長にあってみたいものだ。

▼だがそのような面白い議長に出くわすと、大概、議長が持論を展開し続け、独壇場になるというのが定番だ。むしろ【“奇譚”ある意見を拝聴したい】といい、その内容から会議を有効的に進めていく議長が望ましいと思うが、そんな「真打」のような議長は、お目にかかったことがない。

▼「忌憚のない意見」とは、単なる気候の挨拶と変わらないからだ。「事後承諾会議」の連続の上に「新たなまちづくり」など生まれてこないというのが、多くの公的会議に出席してきた私の実感だ。

▼映画「新聞記者」のモデルとなった東京新聞の望月衣塑子記者の、記者会見における質問だ。彼女の政府高官への歯に衣を着せぬ質問で、政権の暗部が少しは見えてきた。

▼この反権力映画が【日本アカデミー賞】の主演男・女の優秀賞受賞につながったのは、芸術や文化の持つ力を弱体化させようとする、昨今の政権批判への表れでもある。このような映画が作れなくなる世の中は、民主主義が崩壊し始めているからだ。

▼この映画が訴えるのは、このようなレベルの政権下で「憲法改正」などしてはならないという、メッセージに思える。月刊誌【WiLL】4月号に、ジャーナリスト安積明子の、望月批判が載っている。

▼「相手の言い間違えや言葉尻をつかまえて、ニュースに仕立てていく。政治家のコメントを引き出すのが役割だったが、自分の考えを主張する場にすり替わっている。昔は国会の取材で記者と政治家の間にはきっちりした紳士協定があった。それまでの政治家のオフレコ発言は、一切記事にしないしメモを取るのこともなかった。それがマナーだったし、記者の仁義だった。最近はメモどころか録音をしている」と批判している。

▼「紳士協定」とは何か。手のいい「忖度」ではないか。むしろオフレコ発言を聞き出すのが、記者の資質であり使命ではないか。国会議員と記者に緊張感がなければ、真実は国民には伝わってこないからだ。

▼新聞記者が「忌憚のない話」をしなくなれば「♪歌を忘れたカナリア」ではないか。記者としての常識とは何か。政治家とのバランスが取れた関係を持つジャーナリストは「♪後ろの山に捨てましょう」ではないか。

▼昔から「御用00」というのはいた。権力側について、メッセンジャーとなり、政府広報担当を努める輩だ。私が思い出すに【福島第一原発事故後】それらの活躍ぶりが、メディアに跋扈するようになってきたような気がする。

▼さらにここに来て、政治の最大課題に【憲法改正】が出てくると、動きがあらわになってきたようだ。憲法は、国家の基本秩序だ。もし憲法が改正されれば、改正派が主流となり我が国の常識となる。

▼そうなれば、改正派の身分は保証されるが「憲法改正」がなされないと、自分たちは非常識で居場所を失うことになる。だから改正派の「御用00」は、政権擁護をあからさまにし、反権力を抑えようとする。

▼今のテレビに出演するのは【憲法】の「改正派」か「阻止派」のどちらかと言ってもいい。白か黒かの社会は、あまり好ましいことではない。だから「多様性」という言葉が入り込んで、世の中を濁すのだ。

▼コロナウイルスのパンデミックで、世界や我が国の政治的背景も大きく変化しそうだ。国家の危機に「ワンチームで対抗」するというのは、野党の勢力が与党にすり寄らざるを得なくなる。

▼政局は「左派勢力の弱体化」で「右傾化」に大きくシフトしてしまう可能性がある。内閣支持率が8ポイント以上上昇したのも、国民も「右傾化に感染」している証拠かもしれない。

▼シンゾーの「美しい国へ」というスローガンはどこに行ったのだろうか。桜が満開になる我が国だ。みんなで花見に出かけ、日本の未来はどうあるべきか、桜の下で議論を重ねてはいかがだろうか。上野恩賜公園には「西郷さん」もいるからだ。

▼さらに「WiLL」の中に、シンゾーの大先輩「慎太郎&静香」の「甘辛問答」と題した、まさに“爺砲弾”がある。「シンゾーよ国滅ぼしたもうことなかれ」と、言いたい放題だ。こんな新聞記者がいれば、世の中も健全になると思うのだが、この二人は「騒乱罪」の適用が必要のようだ。

▼本音を引き出す会話というのはなかなか難しい。識字能力のレベルの平均化という前提がなければ、意思疎通はうまくいかないというのが、世の中というものらしい。

     すべて本音という世の中も空気が薄い
                     三等下

新聞休刊日もあわてなくなった自分を振り返る

2020年03月16日 15時37分10秒 | えいこう語る

▼極寒の北海道の漁村の早朝は、波の音しか聞こえない。だが、新聞配達の車が玄関前で止まると、新聞受けにコトンと音がする。その音だけは、私の心に響く。

▼人口約800名の田舎。世の中の様々な出来事は、テレビに依存することが多い。しかし、テレビは出演者の個性やスポンサーの影響が大きい。やはり新聞の「筆の力」に期待する。

▼つまり、田舎にあっても我が国がいつまでも平和であることを願い、細々と暮らしている。国がどのような未来に向かっているのか、新聞で確認することが、朝起きてからの最初の勤めだ。

▼そんな私は、よく夢を見る。日本の未来を「妄想!」しているので、夢の内容はアベ総理が主人公のものが圧倒的に多い。その悪夢?から覚めれば朝刊を開き、我が国が再び戦争の惨劇を繰り返すようなことが起きていないか、つまり紙上から「キナ臭い」匂いがしてないかを調べるのが日課だ。考えれば【地雷探索犬?】のようなものだ。

▼毎日がそうであるから「休刊日」には「探索犬」が、匂いを消されたように、妙にうろたえてしまう。活躍の場が消えてしまうからだ。「休刊日」の前には、必ず飼い主である「妻?」から「明日は新聞が休みなので、あわてないように」との指令が届く。

▼とはいっても仕事?に忠実な「探索犬」は、新聞受けをうろついて、物がないことにただうろたえるばかりだ。数日前からの新聞を漁りだし、匂いのついた記事を嗅ぎ、その匂いを忘れぬよう嗅覚をとぎすます。それが「田舎生活」での「新聞休刊日」のいつもだ。

▼だが、今日(15日)も飼い主?から「休刊日」を伝えられていたが、習性で新聞受けを見に行ってしまった。しかし、いつものような、慌てふためく心の動揺がなかった。始めて味合う不思議な感じだ。

▼「新型コロナ騒動」や「五輪開催」それに続くであろう、我が国の平和を脅かしそうな「憲法改正」など、探索犬の仕事が休みだったにせよ、今日の休刊日はまるで嗅覚の機能が壊れてしまったかのように、今までのあせりは全く消えていた。

▼老犬とはいえ、探索犬としては用済みで、裏山に捨てられてしまうのではないかと思ってしまう。前日の新聞も読み返すむ気力もなくなっているからだ。

▼テレビで参議院予算委員会を観た。舌鋒鋭い野党のNO1「キツツキの蓮舫」の質問だ。矢継ぎ早のきつい質問が飛ぶ。もはや木の中の虫を、すべて引き出そうという、激しい突き方だ。だが、腐ったとはいえ、大樹「自民党」。虫が隠れる場所は広いようだ。

▼「キツツキ蓮舫」が突いても、木の中をのらりくらりと逃げているようだ。アベ総理などは「キツツキも突き過ぎて、そのうち細い首が折れるだろう」という、余裕の態度にもみえる。さらにアベ総理の「うんざり顔」は、言葉には出さないが【意味のない発言だ!】と顔に書いてある。

▼つまり野党の質問がどんなに的を得ようが、アベ政権の流れがきつく、棹差しても折れるだけのようだ。「五月雨を集めて早し最上川。野党の小舟は流されるまま」というような状況だ。

▼休刊日の私の戸惑いのなさは、新聞が数日間休みになっても、アベ政権の流れを、野党は止まらせることはできないという無力感が、私の心にも生まれているという、証左なのではないだろうか。

▼コロナウイルスの感染や死亡者数は、海外の方が大きいという数字が出ている。これはアベ総理の独断的な対応が、批判から評価に変換される可能性が出てきたということかもしれない。

▼野党は「対策も出せないでただ批判するだけ」という、イメージ操作をされそうになってきた。それに海外のウイルスの感染拡大で、五輪の開催も危ぶまれている。

▼もしかして「五輪中止」のイニシアチィブも、感染予防と世界の健康の維持に、開催国「日本の決断」で、中止したというのを世界に発信し、アベ政権の存続につながる【ウルトラC】の演出になるような気もしてくる。

▼私の「新聞休刊日」の無力感は、アベ政権へのあきらめより、野党の無能さが大きく作用しているのかもしれない。そんな政治への無関心さが、再び主権を国民から国家主権へと変更させてしまう、大きな要因ではないかと考える。そんな自分の倦怠感に鞭を打ってみた今日の私だ。

▼一日休んだ新聞も、コロナウイルスの感染ばかりにとらわれず、一党独裁色が濃くなってきたアベ政権の大樹を、切り倒すような切れ味鋭い文面を、明日の紙上で書きなぐってほしいものだ。

  
     新聞は戦争防ぐ盾となれ
                三等下

国民が見えなくなった総理の目

2020年03月14日 21時07分33秒 | えいこう語る

▼アベ総理がトランプ大統領に電話した。「オリンピックは出来ないので、大統領から発信してもらえないか」と。もちろん大統領は【3】=スリーと答える。「約束は守ってくれるよな」という大統領の言葉に、アベ総理も【3】と答える。さて【3】の意味とは?。

▼日本語の会話では、二つ返事とは「はい」で、了解という意味だ。三つ返事は「いいえ」で、断りの意味だ。そこで、アベ総理から、自分の電話が野党側に盗聴されると困るので、反対で行きましょうと提案した。「シンゾウそれは名案だ」と、同じような識字能力の大統領は納得した。

▼二人の約束の【3】とは「いいえ」と思わせ【はい】の意味だ。つまり【3=YES】という意味だ。こんな単純な暗号を使う、日米のトップの「秘密電話会談」の内容が次だ。

▼トランプはすかさずWHOのテドロス事務局長に電話する。「パンデミック宣言してオリンピックを中止せよ」と。WHOは米国大統領の指示に従う。次にトランプはIOCのバッハ会長に電話する。もちろん「WHOの指示に従う」と約束する。

▼そこで、アベ総理の【コロナ特措法改正緊急事態宣言】の、気合の入った会見だ。「コロナウイルスはパンデミックになって我が国を侵略してきた。我が国はその猛攻撃に対し「緊急事態宣言を」を、準備してまでも、国家が総力を挙げ戦うことを決意した。我が国は世界に先駆けてコロナウイルスを撲滅し、2020年東京五輪を成し遂げたい」という、まるで戦争宣言のような勢い溢れる総理の記者会見だ。

▼昨日の記者会見の総理の勢いをみて、内閣支持率は8ポイントほど上昇するではないかと身震いし、昨夜、アベ総理→トランプ大統領→WHO会長→IOC会長という「秘密電話会談」の夢を見てしまったのだ。

▼この夢が正夢だとしたら【東京五輪中止】という筋書きは決定だろう。アベ総理は、WHOの発表で「大会中止」をせざるを得なかったことを、自分の非力に尽きると、国民に向かって涙を流せばいいのだ。

▼五輪開催の「国威発揚」で、支持率を上げ「憲法改正」へと、進む筋書きだったが、コロナで「五輪中止」となった。しかし支持率は上昇した。さらに一番の成果は、私権を制限する「緊急事態宣言」を、野党の協力で成立させたことだ。つまり野党の無能さを、国民に見せつけたことだ。

▼ウイルスは間もなく収束するはずだ。その時、次の非常事態に対処するため【9条改正=自衛隊を国防軍に昇格】の行動に出るに違いない。その準備に、ありとあらゆる政権強固の体制を確保するに違いない。

▼コロナ感染の最中に、公務員法の改正で、アベ政権に近いという黒川検事長を、検事総長へと滑り込ませる強権などは、国家主権への第一歩とみてもいいだろう。

▼昨日の会見で、力説するアベ総理の目には、国民の姿が見えなくなっているのを感じた。もはや、アベ総理の頭の中も【憲法改正】で、脳みそが溶け出し、こぼれはじめているように思えた。

▼今夜の夢の予告は、トランプ大統領に電話をする夢だ。「あなたは知らないだろうが、日本国憲法は、占領地の日本を米国がコントロールしやすいように作った、米国製の憲法だ。シンゾウはそれを廃棄し、自主憲法を作ろうとしている。だから、それを阻止したほうがいいのではないか」と。つまり告げ口の電話だ。

▼「日本国憲法が米国製だったとは知らなかった。教えてくれて感謝する。だが心配しないでほしい。日本の自主憲法と見せかけて、今後も米国のためになるような憲法にするつもりだからだ。それを【対米従属・新日本国憲法】というのだ」と、トランプが言うような気もする。

▼そうであれば、今夜の夢のシナリオも、変更しなければならない。実にめんどくさいアベ・トランプの同盟関係だ。今こんなニュースが飛び込んできた。大相撲の関取が「39,7度」の熱で、休場し隔離されたという。

▼大相撲が中止しとなったら、これもアベ政権は自分の政権強化に有利にするような気がする。もはやアベ政権の思いのままの我が国になってきたようだ。

▼再度確認するが、アベ総理の目に「国民」が見えなくなったような気がするのは、単に私の視力が弱まっているせいだろうか。