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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

韓国併合を地元の中学校で学んできた

2019年11月12日 19時31分23秒 | えいこう語る

▼私の地域には、住民も参加できる小中学校の公開授業がある。生徒数は小中合わせて50名に満たないようだ。学校と地域の連携事業の「コミュニティ-スクール」の委員をしている関係で、授業参観に出かけてきた。

▼小学校では3年生が、コンピューターを使い、私が小学生の時なら、絶対理解できないようなことを教えていた。やがてやってくるAI社会に対する準備なのだろうが、3年生はわずか2名なので、丁寧な授業が行われていた。

▼廊下には、戦前からの地域のまち並みの写真が貼られている。何度も見ているのだが、大きな熊が撃ち取られ、小学校の鉄棒にぶら下げられ、子供たちや住民が集まっている写真があった。

▼その中に私の母がいるではないか。私の家は学校まで歩いて5分ぐらいのところだが、熊の死体を見るに出かけるような母ではなかったような気がする。背が高く眼鏡をかけていた。私が思い出にあるちょっぴり強面の母の感じとは違い、笑顔の母親がいた。

▼近くに隣のおばさんもいたので、一緒に出かけたのかもしれない。女性の教師が近づいてきたので、母がいたのに今まで気付かなかったというと「お母さんはきれいな方ですね」といわれた。小学生に戻ったように、素直にうれしかった。

▼廊下には細字の書道の練習か「この道や行く人なしに秋の暮」とあったので、メモに書き留めておいた。先生に誰の句ですかと訊ねたら、生徒が「松尾芭蕉です」と答えてくれた。

▼次は中学2年生の歴史の授業だ。ちょうど私も読みかけていた「日韓併合」についてだ。一方的に先生が教えるだけではなく、つど生徒に質問しながら、生徒の考えも述べさせながらの授業内容だった。

▼終了後、先生に「公平な授業内容でしたね」というと「偏らないようにしています」との返答だった。子供たちは「韓国併合」については、一様に「日本が悪い」という認識を示していた。

▼日韓併合の教科書の隅に、石川啄木の「地図の上朝鮮国に黒々と墨を塗りつつ秋風を聴く」という句があった。黒板の横にあったこんな句も目に付いた。「老いたる馬は道を忘れず」出典「韓非子」。

▼子供たちも歴史に親しみ、次の時代も平和であるよう、正しい歴史認識を身につけてほしいと思った。

▼午後からは函館市内のホテルで、建設中の大間原発に対し、函館市が国に提訴してから5年目を迎えたので、担当弁護士による、初の説明会が開かれるので出席した。

▼函館市長も参加していたが、最後に会場から「市長自ら先頭に立ち、大間町で反対行進をしたら市民もついていく」という高齢者からの発言があった。

▼長い戦いになるという市長の発言に「自分の目の黒いうちに」という、市民のせつなる思いからだったのだろう。それに対し市長は「相手の事情も考えなければならない。自治体同士で喧嘩はしたくない」という答弁だった。

▼原発建設に対し、自治体初の国への提訴には、市長の手腕に拍手を送る。だが喉に引っかかるのは「私は原発反対論者ではない。大間原発に反対するだけで、よその原発は関係ない」と、当初発言していたからだ。

▼我が国の原発問題は、トランプ大統領がカギを握っているようだ。日米安保を見直してもいいという発言や、日米原子力協定も、米国が破棄すれば、日本は長崎原爆6000発分が製造できる量のプルトニウムが残ることになるからだ。

▼そうなればIAEA(国際原子力機関)の査察を受けることになり、北朝鮮以上の「核保有危険国」の烙印を押されてしまうだろう。

▼我が国は米国に運命を左右されているような気がする。トランプ大統領の再任が有利になってきたといわれている。そうなると、アベ総理の2021年以降も続投という可能性が出てくる。

▼「トランプとアベ」このコンビは、世界を不安定にするような気がする。もし私が地元の中学の歴史の先生なら「韓国併合」についてこう教えるかもしれない。

▼「徴用工の計画をつくったのは、アベ総理の祖父の岸信介だ」と。こんな授業内容だと萩生田文科相から、相当きつい指導があるのではないだろうか。

▼原爆を落とされた日本が、安全で安心でクリーンエネルギーと言われ「原子力の平和利用」で原発を推進してきた。それが日米安全保障や原発問題、さらに核保有まで関連してきた。なんという「歴史の皮肉」だろうか。

▼こんな現状にあって、アベ総理は「憲法改正」を政治の最優先課題に持ってきた。我が国の歴史は「韓国併合」あたりから、大戦へとアクセルを踏み込んだ。

▼そのあたりも、私が先生なら中学の授業で少し触れていたのだろうが、担当の先生は「これ以上は高校に行ってからもう少し深く勉強してください」と、授業を閉めた。

▼「日本会議」が11月3日の文化の日が、明治天皇の誕生日なので【明治の日】に変更するための署名「101万筆」を政府に届けたという。まもなく雪の季節が到来してきそうな昨今。

      降る雪や明治は近くなりにけり
                  三等下

▼そんな戦争の寒い季節は、まっぴらごめんだ。

令和天皇即位の祭典と私

2019年11月11日 18時45分39秒 | えいこう語る

▼私は昭和23年に生まれた。生涯4回の大きな手術をして、令和まで生きてきた。昭和天皇が崩御され平成に代わった時、新天皇は私より15歳ほど年上だった。

▼昭和天皇に長く慣れ親しんでいた私は、天皇制の在り方について、疑問は持っていたが、踏み込んで学ぶということをはばかっていたように思う。

▼なぜなら「オソレオオクモ天皇陛下・・・」という言葉が、戦後間もない生まれの私の心の片隅に、引っかかって生きていたからだ。

▼そして令和元年になり、天皇が私より年下になった。この事実は、天皇制について少しは学び直してみたいという、思いを大きくしている。天皇が年下になったことで、今は存在しないが「不敬罪」という潜在意識が、なおさら希薄になった感じがするからだ。

▼日本人は天皇の存在抜きにして「日本人という私」を考えることができないように思う。まして戦後の日本は戦前の日本と違い、米国の傘下の中でのあらたな天皇像、限りなく不透明な「象徴」という、位置づけになったからだ。

▼令和天皇という戦後生まれの天皇が即位したことは、国民の多くが戦後生まれとなった現在、より平和で安全な国家づくりを、天皇と共に歩むことを、自覚することが必要な時代になったのではないかと思うからだ。

▼そう実感するのは、アベ長期一党独裁政権下での【憲法改正】が、政治の最優先課題に上がってきたからだ。戦前の「天皇主権」から現憲法での「国民主権」。アベ政権はさらに「国家主権」の移行を考えているようだからだ。

▼それはアベ政権が「戦前回帰」に移行させる、現憲法へのクーデターを計画しているように、私は「妄想」してしまうからだ。「美しい日本へ」「戦後レジームの解体」「道徳教育の教科化」などは、その行動への布石のように感じるからだ。

▼アベ政権下の最大の応援団は、日本最大の右翼団体と称される「日本会議」というのは、もはや間違いない。閣僚メンバーには、その系列の人物が多数を占めている。アベ総理自身が、日本会議に最も近い人物だからだ。

▼ということは、我が国はアベ政権下でますます右傾化していく傾向にあるということだ。だが、アベ総理は「真の保守」とは違うという、保守の論客と言われた故西部邁は、遺言のように指摘して去っていった。

▼アベ総理こそ【曖昧な日本の曖昧な総理】ではないか。というところで、アベ政権が今後日本をどのように変えていくかは、日本に留学していたコロンビア大のケネス・ルオフ教授に登場してもらうことにしたい。

▼ケネス教授の著「天皇と日本人」からの抜粋だ。1954年(昭和29年)の憲法審査会、首相は吉田茂で審査会会長は岸信介だ。その時の自由党に呼ばれた歴史学者平泉清の発言内容が、今のアベ政権の「憲法改正」の目的に酷似している様に思われるので記載したい。

※【もしマッカサー憲法がこのまま行われていくということでありますならば、国体は勢い変わらざるを得ないのであります。民主主義はこれを強調する、天皇はわずかに国の象徴となっておいでになる。歴史は忘れられ、家族制度は否定させられている。人権はほとんど無制限に主張せられ、奉仕の念というものはない。忠孝の道徳の如きは弊履(へいり=やぶれた履物)の如くに棄てて顧みない。かくのごとき現状において、日本の国体が不変不動であるということは万ありえないところであります。この憲法の下につくられております幾多の歴史、教科書、それは文部省の検定を経ておるものでありますが、それらは共産主義の歴史理論を採用し、日本人でありながら祖国の歴史を侮辱し、嫌悪し、罵詈雑言しておるのであります。世間に氾濫しておる俗書の中に、天皇を誹謗し皇室を侮辱するものの多いことはいかんともいたし方のないことであります。

▼さらに、このことが行われて、日本がアメリカの従属より独立し、天皇の権威を取り戻し「天皇陛下万歳」を唱えつつ、祖国永遠の生命の中に喜んで自己一身の生命を捧げるときに、初めて日本は再び大国として立ち、他国の尊敬を勝ちえるのであります。

▼平泉の解釈は、乱れた現状の解決には「明治憲法」に置き換えればというものだ。この調査会は7年間にわたって徹底的に検証した末「改正の必要なし」となったという。当時の政権与党も、時代を正確に見据えながらも、憲法の解釈に確かな目を持った人物が多かったようだ。

▼当時の会長が岸信介といえばアベ総理の祖父だ。歴史家平泉澄の発言内容は、アベ総理の寝室やトイレに飾っているかもしれない。この発言内容はアベ政権のブレーンや「日本会議」のメンバーの考えを、正確に表現したもののようだ。

▼「日本会議」の基本目標は【皇室の尊崇】【憲法の改正】【国防の充実】【愛国教育の推進】だと、青木理著「日本会議の正体」に記載されている。

▼さて、私が2日間に渡る【令和天皇即位の祭典】で感じたのは、過去の戦争の誘因となった【民衆の熱狂】だ。それを煽る巨大装置が【自己批判薄きメディア】だ。

▼ルオフ教授は米国人の目線で、天皇にまつわる【政教合体行事』を解説する。「極右派はその政治目標を推し進めるために、民主主義のゲームに加わることを学んだ】という。

▼戦後民主主義なるものは、右派勢力なるものすべてを排除しようとした。右派勢力も左派勢力排除に出た。「排除の理論」だけでは、戦いが終わらないと考えたのは右派の方かもしれない。

▼現在は右派が左派に近づき、左派も右派化している我が国の政治状況だ。ベルリンの壁が崩壊してから30年経ったが、その時世界は「パラダイムの変換」が起きるといわれた。なんのことよくわからなかった。

▼壁の崩壊は金沢市内のホテルで、朝起きてテレビで知った。なぜか涙がこぼれて止まらなかったのを記憶している。我が国の「右派と左派の混在化」も、その後のグロバル化やボーダレス化の影響なのかもしれない。

▼テレビの皇后陛下は国民の期待に涙を流した。私もベルリンの壁崩壊と同様、意味はあるのだろうが、よく理解できないまま目頭が熱くなった。「さっきあなたは、涙を流したでしょう」と妻に見破られた。

▼国民統合の象徴というが、誰かにつくられた象徴ではなく、国民と天皇両陛下が協働で作り出す象徴こそが「令和」という時代の、民主主義下の天皇制ではないかと思う。

▼日本国民の統合の象徴であって、アベ政権や日本会議の「使い勝手のよい天皇制」であってはならない。【天皇は国民のために、国民は天皇と共に】そんな令和天皇であってほしいものだ。

カラオケと人生と町会活動

2019年11月10日 16時24分21秒 | えいこう語る

▼毎週木曜の午後に、私が会長を務める町会館で「ふれあいサロン」を開催している。とかく出不精になりがちな老人(私も)たちに、カラオケで歌ってもらい、大きな声を出すことで、健康増進と認知症の防止も兼ねてのことだ。

▼初めて数ヶ月になるが、顔の皺や腰の曲がる長い人生の深みは、なんともいい味を出しながら、それぞれが持ち歌を競っている。

▼選曲する時のタッチパネルも、使い方は人に頼らず自分で行なうことにしている。「会長さん『みやまひろし』の歌を出そうとしているんだけれど、ちがう曲目ばかり出るんだけど」と、困惑している。

▼インプットした「みやまひろし」が「いつきひろし」になっている。頭の中では「みやまひろし」と思っているが「ひろし」といえば「いつき」と打ち込んでしまう。

▼大笑いが起きて、これも認知症予防の効果になるのではないかと、ちょっぴりうれしい気がする。大半は夫に先立たれた未亡人だ。一人暮らしの男性の参加は少ない。

▼「会長は男一人で退屈ではないの」と聞かれる。だが私は、毎回楽しく参加している。ほとんどが演歌を歌うのだが、演歌の歌詞が「人生の応援歌」なので、詩の内容が画面に映し出され、それを熱唱する女性たち胸の内を、勝手に推測するのが、無上の楽しみだからだ。

▼いつも同じ曲ばかり歌うSさん。歌い込んで、完全に自分の持ち歌にしている。「いつも同じ曲ばかり歌って」という非難の声?もあるが「わしはこの歌が好きだからしょうがないべさ」といいながら、熱唱する彼女の歌が、何度聞いても私は大好きだ。

▼その歌が、川中美幸の「あなたひとすじ」だ。♪あなたのそばで暮らせるならば 何もいらない欲しくない 抱いてくださいおんなの夢を 寒い北国吹くゆく道を 愛を探して歩いてきたの♪・・・私の口笛が炸裂する。

▼「会長の口笛が励みになる」といってくれたSさん。口笛を吹きたくなるほど、歌唱力は私の琴線を揺さぶるのだ
。そのSさん、若い頃から夫と二人で、出稼ぎに出た。

▼Sさんは、飯場の仕事をしていた。海の近くの現場でイカが採れた日は、大盛りのイカ刺しで皆を喜ばせたという。「社長から「感謝状」を貰ったのさ」とも話していた。最愛の夫は、数年前に他界している。

▼このご主人と話したことがある。北海道の作家三浦綾子の大フアンだという。北海道各地で仕事をしたので、三浦作品に出てくる地名をよく知っているからだという。「うちの父さんは本が大好きなんだ」と話してた。

▼今年83歳のSさん、今でもご主人を愛し尊敬しているのだ。歌詞をかみしめながら熱唱する、それが私の心を揺さぶる。「あなたひとすじ」実にいい曲なのだ。

▼もう一人はYさん77歳だ。20数年前にご主人を事故で亡くした。本人は日本酒が好きだという。ちょっぴり飲んでテンションを上げ、周囲を朗らかにしたいという。

▼このほがらかさの裏に、人に言えぬ悲しさがちょっぴり漂うのだ。Yさんは津軽出身だ。実家の近くが駅で、列車の音で時刻を感じ、学校に通ったという。この思い出そのものが、私を演歌の世界に引き込むのだ。

▼彼女が熱唱するのは同郷の歌手、吉幾三の「酒よ」だ。
Yさんのご主人は漁師だった。若い頃は二人で下北半島近くの漁場まで出かけたという。

▼潮流がきつい津軽海峡だ。ある日一人で沖に出たご主人は海中に転落した。三日三晩、漁師総出で捜索したが遺体は上がらなかった。

▼♪あの頃を振りかえりゃ夢積む船で 荒波に向かってた二人して 男酒・手酌酒演歌をききながら なあ酒よお前にはわかるかな酒よ♪。

▼彼女の心の中を覗くのは野暮というものだ。決して上手だとは言えないが、心が伝わる歌唱力だ。そんな人生を歌い込む歌手たちがたくさんいて、会長の心は快調にさせられるのだ。

▼いずれは近隣のまちの町会へ、歌合戦を挑みたい。女心の溢れる歌声で、ステージに立たせたいからだ。ところで会長の私はというと、得意分野の歌といえば、グル-プサウンズの曲ばかりだ。

▼これは場違いなので、選曲は迷いに迷っている。そんな私の町会のふれあいサロンの風景だ。

スポーツは潔さがいい

2019年11月09日 08時33分11秒 | えいこう語る

▼ラグビーW杯での決勝。選手は身体中から汗を吹き出し、観客は心が汗まみれになった。汗を流した後のビールは実にうまい。選手も観客も互いに酔いしれた。

▼戦いすんで「スカット爽やか」というのがスポーツの良さだ。勝ち負け問わず、お互いの健闘を称える。スポーツの良さは「潔さ」に尽きる。

▼「イングランドVS南アフリカ」。ボール一つを追い肉体がぶつかり合う、まさに武器を持たない「戦争」を観た。「ノーサイド」実にいい響きだ。だが、終了後のイングランド選手が、首にかけたメダルをほとんどが外した。

▼まさに、世界最高の感動に水を差す行為だ。かつて南アフリカ共和国は英国の植民地だった。この国の舞踊団の公演を観たことがある。言葉が通じなくても、アパルトヘイト政策(人種差別)の、非人道的行為を十分実感できた。

▼その感情が今にも残っているかのような振る舞いだ。もし「韓国VS日本」の決勝なら、日本が勝利したとしたら、韓国はメダルを踏みつけるのだろうか。

▼歴史の過ちを真に謝罪したなら、「ノーサイド」であってほしいものだ。過去という字は「過ちが去る」と書いてあるからだ。

▼スポーツマンシップとは「潔さ」がなければならない。それがアスリート魂だからだ。アスリートとは「潔さ」の象徴といっても過言ではない。

▼などと鼻息の荒い私だが、私のスポーツでの潔さは、自虐的潔さだ。潔さに自虐というのは変に感じるだろうが、W杯を観て自分自身のスポーツマンシップについて、少年の頃を思い出して分析を加えてみた。

▼私は小さな漁村で生まれた。昭和30年代の小学生の頃は、同級生が120人もいた。今は、一クラス数人で、新入生なしという年もある。

▼一年中で一番楽しかったのが、運動会だ。開始の花火が青空で炸裂すると、私の血が燃え上がった。前夜購入した運動用の白足袋で、スターの練習を入念にチェックした。

▼村中総出の大運動会が始まる。いよいよ私の出番だ。スタートライに並ぶ。スターターは私の祖父の弟だ。村の名士ということなのだろうか、ピストルを持って、にやにや笑っている。

▼このおじさん、私と碁ならべをすると、私の目をそらす仕草をして、必ず碁石を多く使う。つまり八百長おじさんなのだ。遊んでくれるから仕方がないなと諦めていた。

▼だが運動会にも、この性格がもろに現れるのだ。「用~意」といってからやたらに長いので、ほとんどがフライングする。スタートラインに戻ろうとしたところで、ピストルを鳴らすのだ。

▼その慌てようを見て、観客は青空が抜けるような大笑いをし、それぞれの子供たちに声援を送る。親戚のおばさんたちが、グランド飛び出して私を応援する。「歯を食いしばって走れ!」「笑うな!」などという叱咤激励だ。

▼自慢ではないが、私は小学校6年間は、ほとんどビりだった。「笑うな」と言われたのは、おばさんたちの声援に感謝しての笑顔だったが「笑う暇があったら、全力を出せ」という、大声援で、周囲の人たちの大きな笑い声も聞こえていた。

▼マックスで走っても、同級生たちは私に負ける者など一人もいなかった。でも、足の早い友達を見て、感動し拍手を惜しまない私だった。みんなのすごさを見て、運動会を楽しんでいたのだ。

▼劣等感などこれっぽっちもなかった。優れた運動機能を持つ仲間にあこがれを持っていたからだ。劣等感というが、自分が劣っているなんてことを想わない方がいい。周囲に優秀な人がいれば、それはいいことなのだ。

▼もし周囲に、優秀でない人が大勢いたら、それこそ不幸だからだ。今になって思うのだが、優秀な人が周囲にいて、自分は楽しめて、さらにそこに近づきたいと思ったからだ。

▼これは一種の「諦念」だ。「あきらめは敗北」のように見えるが、もしかしたら「潔さ」ではないかと思う。優れたものを素直に褒めたたえる精神こそ、真の「スポーツマンシップ」ではないかと、ラグビーW杯決勝を観戦して、実感した次第です。

▼3年前に亡くなった、私の高校時代の1年先輩のIさんは、全日本のラグビー監督も務めた我が校のスーパースターだった。先輩なら私の「諦念」を、笑って理解してくれるに違いない。

IR法と原発と環境倫理学

2019年11月06日 08時41分35秒 | えいこう語る

▼一歩も二歩も先を走る大阪に次いで、長崎と横浜がIR法の誘致に向け、行政と経済団体が一丸となってスクラムを組み、猛突進を見せている。

▼しかし、カジノ(賭博)をメインとするリゾート施設の誘致には、市民の熱狂的応援は期待できないようだ。道徳教育が教科化された我が国にとって、賭博容認などいうのは、子供に顔向けできない行為だからだ。

▼IR誘致の説明会に二度出席したが「IR法とは、違法な賭博行為を合法にした法律だ」と説明されれば、我が国政の道徳の点数は、極めて低いことを認識させられる。

▼IRは2021年に、3ヶ所が決定される。そこに割り込もうとしているのが、北海道苫小牧市だ。このダークホース、私が予想するに、相当な穴馬とみてよい。

▼北海道鈴木知事(38歳)は、いまだに誘致を表明していない。他の県はすでに疾走しているにもかかわらずだ。だが、心配することはない。鈴木知事は、菅官房長官という強い見方があるからだ。

▼官房長官のリードで、すでに道内7空港の一括民営化は終了した。それは、新千歳空港のハブ化を目指し、世界からギャンブラーを向け入れる体制を、すでに準備しているからだ。それに候補地苫小牧は、新千歳空港のすぐ隣という地の利だ。

▼地の利で言えば、大阪や長崎や横浜などは、お呼びでもない。広大な大地・北海道が「日本のラスベガス」たる要素は、NO1だからだ。私は、北海道が選ばれることは間違いないと「妄想」する。いや、ついいつもの癖が出てしまったが「断言」する。

▼1970代に「環境倫理学」という学問が出来た。環境を保全するためには、人間中心主義の地球に、倫理を持ち込まなければ環境は保全されないという考えだ。

▼振り返れば人類は自然環境を破壊し、より快適で豊かな環境を拡大してきた。【環境保全とは、成長なき経済という重荷を背負う】というのが、20世紀までの人間中心主義の考えだった。

▼環境倫理学とは、何が問題になるかを解明する学問で、人間中心主義を改めることにあるという。仏教の立場には『一木一草に仏性あり』という考えがある。生命をもつあらゆる個体に掛け替えのない尊厳があるという考えだ。

▼「人間のために絶滅の危険にひんしている動植物の種を保護することは、人間の完全な義務である」という考え方が、世界の支流になって行くと思われる。根本的な問題は「自然保護は人間という種の保存のための手段である」と考えるか「自然を保護するのは、人間という種のエゴイズムを守る手段として考えてはいけない。人間にとっての利益を離れて自然そのものが保護に値するものとして扱われなければならない」と考えるか、どちらかということである。 加藤尚武著「環境心理学のすすめ」より。

▼むずかしい話になってしまったが、環境倫理学とは【自然生存権の問題】【世代間倫理】【地球全体主義】を考えることにあるようだ。

▼原発は、人間の生存と相いれるものなのか。未来世代に高レベル廃棄物を残していいのか。事故が起きると地球全体の問題になりはしないだろうかなどと考えるのが、環境倫理学のだろう。

▼苫小牧市のIR誘致も、経済効果を優先に主張するばかりで、人間にとって最も必要な「倫理」が欠けている。大規模な開発は、環境破壊と同時に【倫理破壊】につながるのではないかという、視点が欠けているように思う。

▼以前、北海道のキャッチフレーズは「試される大地・北海道」だったが、たぶん意図的に前任のはるみ知事が「その先の、道へ・北海道」に変更したようだ。その先には「IR誘致」があったからに違いない。

▼北海道は泊村原子力発電所の再稼働、高レベル廃棄物の地下埋設(幌延町)などの、国策的問題が控えている。さらにIR誘致だ。そうであれば「試される大地。北海道」というキャッチフレーズは、国策推進の知事にとっては、不要なものだったに違いない。

▼【北海道のラスベガス化】は「その先の、道へ・北海道」にとってはぴったりだ。そこにもってきて「旧土人法」も「アイヌ新法」に改正され、ウポポイ「民族共生空間」なる巨大な施設も2020年に、苫小牧の隣り白老町にオープンする。

▼私の知人が、平取町二風谷のアイヌの方から聞いた話だ。「ウポポイも国とゼネコンが建てた。あっちの方に観光客が来て、二風谷に来ないのではないか」と心配していたという。

▼明治に入り、和人がアイヌが住む北海道「アイヌモシリ=人間の静かな大地」の、快適な土地を没収した。優秀な競走馬が生まれる新冠などは、天皇家の御料牧場として、アイヌを追い出したところだ。元参議院議員。茅野茂著【アイヌの碑】より。

▼二風谷から白老町「ウポポイ」へと、観光客の大移動が始まる。かつてインディアンが、居留地を奪われ移動させられた「ロング・ウォーク」の歴史を思い出す。

▼ウポポイとは「大勢で歌うこと」という意味だ。世界中の異なった民族がIRにやってくる。歌わせられるのは、アイヌ民族ではないだろうか。

▼我が国の「一木一草にも仏性がある」という考え方は「自然との共生」という、アイヌ民族の精神文化と酷似する。未来世代に持続可能な生存権を与えるのが、私たち道民がアイヌ民族の歴史から学ぶことではないだろうか。

▼「賭博する北海道を未来の残すか、倫理観に満ちた北海道(アイヌモシリ)を後世に残すか」。今北海道は【自然との共生】という地球的テーマが、道民一人一人に問いかけられている。

▼IR法の是非は、先住民族であるアイム民族の声にも、耳を傾けるべきだ。先住民族とは、北海道の大地の開発に、参加する権利を有しているからだ。IR法を考える時、やはりこの言葉が浮かんでくる。

▼湖に浮かべたボートをこぐように
 人は後ろ向きで未来に入っていく
           詩人ポール・ヴァレリー

▼この詩の石碑を、北海道庁前の池のそばに設置してほしいものだ。さらにウポポイの池のそばにも。