▼「マラソンを北方領土でやったら」と、大放言?した百合子東京都知事。画家の故片岡球子なら、富士山にまたがり腸が煮えくり返え、鬼の形相をした百合子知事の肖像画を描くだろう。
▼「腹が立つ」というような問題ではない。どんなに酒を飲んでも、頭が冴えて怒りはおさまらないだろう。「サッポロ開催」を告げられたその夜の百合子知事を想えば、頭が変になりそうだったに違いない。
▼「サッポロ変更」の裏には、モリキロウ・アベシンゾウ・スガヨシヒデの「百合子イジメ」があり、北海道IR法の導入の足がかりにするのではないかと、私は妄想をするが、そこには今日は踏み込まないことにしよう。
▼東京マラソンまで1年を切った時点で、ボランティアを含め、ほとんどの準備は整っているに違いない。私が都知事なら、サッポロ開催と同日に【五輪開催記念・東京大マラソン】の独自開催を企画しいたい。
▼もちろん参加費はいただく。順位は付けるが、完走できた人の中から、抽選で10組をマラソンの誕生地である【マラトンへのペア―旅行券】が当たるというのはいかがだろうか。サッポロ・マラソン以上に、東京は盛り上がり、開催変更も納得の、東京五輪が終了するのではないだろうか。
▼五輪は「国威発揚」という側面がある。【民衆の熱狂】というのは、先日のラクビ―日本代表への熱狂的な応援、その後の決勝でも、私たちは実感できた。ラグビーなど見たこともないに妻も、テレビの中の選手に熱い声援を送っていた。
▼【民衆の熱狂】がマックスに達するのは「戦争」であり「ナショナリズムの台頭」だ。【人一人の心の中で、自分の置かれた立場とその行く末を案じ、熟考し、やはりどうしても立たざるを得ないと、静かな青ざめた決意をもって戦う意思を固めたのではなかった。人々は、ちょうどかつて革命(フランス革命)のうちに飛び込んだのと同じ熱狂をもって・・・そして熱狂以外の何物によってでもなしに、戦争(第一次大戦)へと飛び込んでいったのである】。・・・フランスの政治思想家、アレクシ・ド・トクヴィル。
▼トクヴィルは、そのような流れを【民主主義の大洪水】と語っている。長い間【平和の祭典】と思われてきた五輪。振り返っても、開催は政治的であったことは事実だ。
▼「トウキョウからサッポロへ」、開催を目の前にしての変更は、政治的力学が働いたのは間違いないように思う。『フクシマ第一原発事故の汚染水は、完全にコントロールされた』という【世界規模のウソ】から始まった2020年東京五輪だからだ。
▼【民主主義の大洪水】を誘因させているのは、金権至上主義にまみれ、スポンサーに忖度するメディアだ。その源は【アベ政権】なのだ。また私の妄想は、何物にも忖度することなく、果てしなく続きそうな勢いをみせてきた。
▼アベ政権が目指す「憲法改正」とは、日本国民が戦後長い間慣れ親しんできた「日本国憲法=国家の基本秩序」を変えることだ。つまりアベ総理は【革命】を起こそうとしているのではないだろうか。それは「日本国憲法と国民主権への反乱」なのではないか。
▼その革命の最大目標は『第9条』を破壊し【戦争する国】への改変だ。つまり、現国家を転覆しようという「革命」を起こそうとしているのがアベ政権の真の姿だ。・・・という過激な妄想は、この辺で止めておこう。これは忖度ではない、ただ単なる自制だ。
▼【「革命」と「戦争」名称は異なっても、その心理力学ともいうべきものの形においては、知と情と意がほどほどのバランスをとって生きているはずの人間たちが「大衆」となった瞬間にそのバランスを完全に失って「情」のみ、あるいは「意」のみに動かされて走り出す】。これはトクヴィルの言う【精神の病理】と呼ぶほかにない現象だ。・・・というのは、極右派の哲学者と言われる、長谷川三千子著「民主主義とは何なのか」の中にある。
▼2020年東京五輪には、三つのキーワードが出たような気がする。トクヴィルの【民衆の熱気】【民主主義の洪水】【精神の病理】だ。その後に来るのが【憲法改正】だ。
▼もし私が東京都知事なら「サッポロ・マラソン」と同日の【五輪記念・東京大マラソン】の開催だと言った。サブ・テーマは『平和の祭典・五輪とは何か』だ。2020年、世界中でこのことを考えるのを、首都東京が発信することだ。
▼1964年の東京五輪、私たちは高校1年生だった。日本が急激に進化するのを、身体で感じていた。卒業後、青春の未熟な堤防が決壊し、多くの友人たちが東京に流された。いや、自らの意志で流れていったのだ。
▼函館という田舎まちから大都会東京。味わったのは、トクヴィルの「民衆の熱狂」「民主主義の大洪水」「精神の病理」だったように思う。
▼昨年亡くなった、高校時代からの親友と、病棟での私の会話だ。「アベ総理での五輪は見たくないな」。「同感だな」。
▼湖に浮かべたボートをこぐように
人は後ろ向きに未来に入っていく
目に映るのは過去の風景ばかり
明日の景色は誰も知らない
詩人ポール・ヴァレリー
▼もし私が都知事なら、都庁にこの詩の垂れ幕を掲げて置きたい。・・・次期選挙は落選間違いないが。