▼相次ぐ芸能人の「薬物中毒」。子供たちや若い人に与える影響が大きいので、なんともいやな感じになる。だが中毒でも、国家的に迷惑がかかるのが、アベ総理の【対米中毒】だ。
▼「長期政権維持」のため、米国の要望通り税金を支払い
続ける。米国抜きでは、自分の政治生命を維持できない状態になっている。
▼アベ総理を「対米中毒」から救うには、一刻も早く総理の座から引きずり落とすしか方法はない。そうでなければ、アベ総理は、頭も体も心も米国に蝕まれ、ボロボロになり使い捨てにされそうだ。
▼「総理の私がお世話になっている人たちを、桜を見る会に招待するのがダメなら、大嘗祭の公費支出や政教分離はどうなるのか」と、心の中で叫んでいる、意識朦朧とし目もうつろなアベ総理を思い浮かべてしまう。
▼人のことはともかく、自分自身の「中毒」について考えてみたい。「禁煙ほど簡単なことはない。私はもう何十回もしてきた」こんなシャレたジョークがあるぐらいなので、何度も禁煙したので「タバコ中毒」にはならずに済んだ。
▼だが、酒は半世紀以上もやめれないでいる。何度かやめようと試みたが、周囲の悪友?がそうはさせない。悪友と断絶すれば孤立してしまい、人生はさびしくなってしまうからだ。つまり、友達が欲しいので「アル中」予備軍?になったといってもいい。
▼大きな手術を4度行った。そのたび入院期間は完全に断酒できたので、いわゆる「アル中」ではないと思っている。だが夜が更けると、恋人に逢いたくなるのと同様?恋しくて恋しくて、つい酒に唇が触れてしまうのだ。
▼50歳で少し控えようと思ったが、60歳でも同様だった。ところが70歳を過ぎれば、体力も思考力も極端に減退する。
▼若い頃は飲んだほうが、脳の回転もよくアイディアも溢れてきたが、最近は酒を飲むと、頭の中が空っぽになってしまう。
▼そこで友人と飲む時以外は、飲まないよう決心した。そうなれば読書しかない。若い頃は感性が鋭く理解力も早いと思っていたが、老練になり経験を踏んだことで、読みが深くなったのではないかと思う。
▼少し難しいものでも、読みこなせるのだ。そうなると読書欲が増してくる。という気がするのだ。でも、気がするというのは、ちょっぴりうれしいものだ。
▼先日お客様と話していたら、退職後読書に目覚め「若い頃これぐらい読書をしていれば、もっと違う人生を歩めたかもしれない」といっていた方がいた。実際、そう思う。
▼「少年老い易く灯台下暗し」というのが、私が作った迷言だ。「人生はあっという間だ。酒を飲んでいる間に、学問は遠ざかる。老境になり学んでも、自分の足元さえよく理解できない」。
▼昨日読んだ本の中から。イタリア統一の軍人ジュゼッヘ・ガリバルディの言葉だ。「古来バッカス(酒の神)はネプチューン(海の神)よりもずっと多くの人を溺死させた」。私は海の村で生まれたので、泳ぎは達者なので、溺れることはなかった。
▼しかし、ネプチューンを愛しながらも、バッカスにも強く魅せられた信者としては、実に心が痛む言葉だ。でも、残された人生はバッカスに溺れることなく、ブックス(本の神?)に救いを求めたいと思う。
▼そう決意して1ヶ月だが、先日研修旅行で、しこたま飲んでしまった。だが、その後はブックスの敬虔な信者として、バッカスとは距離を置いている。
▼夕飯の前に、近所から釣ったばかりの「黒ゾイ」をいただいた。さっさく刺身にしたが、バッカスの誘惑を断り、夜はブックスと語り合うことにした。ちょっぴり刺身のうまさが欠けるような気がした。
▼薬物中毒の沢尻エリカは、随分前だが札幌からの帰り、時間つぶしに観た映画で、はじめて知った。その映画は直木賞受賞作の映画化で、その演技に将来の大女優への資質を垣間見た。
▼製薬会社の人から聞いたが「薬によく効くものなどない
。なぜなら医者がいらなくなるからだ」。そこで私の考えだ。「クスリはやめれる。なぜなら、それは幻覚だからだ」。
▼というわけで、今日は中毒について考えてみた。だが、充実感溢れる本に出合うと、読後にはやはりバッカスの誘惑に負けるような気がする。なんとも意志薄弱な私だ。
▼私が師と仰ぐ、山頭火に登場していただこう。
酔えばあさましく酔わねばさびしく
種田山頭火