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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

片手落ち

2016年02月11日 12時20分30秒 | えいこう語る

 

アベ総理の憲法解釈がおかしいといと指摘する学者が多い。国民の常識でいえば、自分の考えが学者におかいいといわれれば、自分の考えが間違いだと思うのが普通の人間だ。だがアベ総理、我が国の憲法学者の7割からも、変だと言われても意に返さない。それどころか、憲法学者の解釈が杓子定規だとも言い張る。そうなれば、国民だって変な総理だと考えていいのではないかと思う。

憲法学者の長谷部恭男氏が「理解不能な発言をする表現の自由も現行法によって保証されているが、理解不能な話にもとづいて憲法を解釈すると、憲法自体何を言っているのかわからなくなってしまうので、止めておいたほうがよいであろう」と、その著「憲法とはなにか」に記している。つまりアベ総理は、立憲主義にもとづいた正確な理解ではなく、自分自身に都合のいいように憲法を解釈をして、憲法を混乱しようとしているのではないか。自民党には「改憲インフルエンザ」が蔓延しているようだ。その閣僚の発言もなんだかおかしい。おかしいままでほっておくと、おかしいのが慣れっこになる、国民が増えてくるのが心配だからだ。

だが、心配はすでに現実味を帯びている。学者におかしい総理といわれても、内閣支持率が50%を超えているからだ。さらに心配は我が国ばかりではない。同盟国の米国が、なんだか変だ。大統領予備選で、これまた憲法など勝手に解釈してしまうようなトランプ氏が、有望視されている。トランプ氏とアベ総理がタッグを組んだらと思うと、背筋が凍る思いがする。世界最強の極東最大基地に、我が国を変身しそうな気がする。沖縄から北海道まで、ずらりと核ミサイルを並べ、世界中を威嚇する。そんな悪夢を毎日見そうで、椴法華村と同緯度にあるニューヨークの方を見つめながら、トランプ氏の落選を、神仏に祈っている毎日だ。

ところで今日の話題は、総務大臣の高市早苗姉御だ。自民党議員の育児休暇での不倫騒動も、清原問題以上に世間を呆れ返させているが「政治的公平性を欠くと判断した場合に、放送局に電波停止を命じる可能性がある」と言及したからだ。それに対し、兄貴分のアベ総理は「憲法第21条には表現の自由が保証されているので、早苗姉御の言い分は一般的だ」と、色をなして野党に食いつく。野党が表現の自由をかざすなら、自民党にだって表現の自由はあるはずだという、単なるそのへんのおやじのケンカだ。しかし、憲法学者の見解は「放送による表現の自由は放送局自身が行う倫理規範」というのが通説だという。

高市早苗・稲田朋美・丸川珠代といい、自民党は啖呵を切る姉御たちがいて、いやに威勢がいい。島尻安伊子沖縄・北方担当大臣などは、北方領土の「歯舞」が読めなかったぐらいは、愛嬌だ。沖縄の地名はもっと難解だ。沖縄は、米軍基地問題で裁判が行なわれているので、間違ってはいけないので、地元の島尻お姉様を大臣にしたのだろう。ほとんど返還の予定のない北方領土は、よくわからなくてもいいのだ。それに対し、我が北海道のはるみ知事が小姑根性を発揮する。「何回も言って覚えて」なんて苦言を呈しているが、富山県出身のはるみ知事だって、多分知事になり始めは「妹背牛」や「椴法華」などという地名は、読めなかったはずだからだ。

早苗姉御の「いうことをきかなかったら、電気を止める」というのには、野党議員も全員で「お代官様勘弁してくだせえ」というぐらいの、ジョークが必要だ。まるで時代劇を観ているようで、笑いがこみ上げてくる。そのうち、アベ総理が、神主で白装束を着て、早苗姉御、朋美姉御と珠代姉御、そして島尻お姉様を官女として従え、靖国神社参拝をしそうな気がしてきた。

今日の表題の「片手落ち」とは、遠藤い話となってしまったが、野党が表現の自由が許されているなら、自民党だって同じ表現の自由があるという、あまりにも稚拙なアベ総理の憲法解釈が笑い草だと厳しく書く予定でいたが、なんだかそんな指摘もする気力がなくなったので、時代劇風な落ちにしてしまいました。私のは「片手間の落ち」と言ったたぐいのものでしょうけど。


杞憂に過ぎないのだろうか

2016年02月09日 10時42分08秒 | えいこう語る

 

「杞憂」とは、杞の国の人が、天が落ちることを恐れた故事から出来た言葉で「取越し苦労」のことをいう。戦争が終わり、70年間も戦争を放棄した我が国が、また戦争を始める「憲法改正」が現実味を帯びてくれば、杞憂といういう字は「日憂」と書き換えてもいいだろう。「日憂」とは、いつ戦争が始まるかもしれないと憂う、日本国民の日々という意味だ。

2月7日の北海道新聞に「民間船員有事に徴用」というのがあった。防衛省は日本が攻撃を受けるなどの有事が起きた場合、刈り上げた民間フェリーを操船する民間船員を「予備自衛官補」に採用する制度を、本年度から導入するという記事だ。こんな記事を見ると、「憲法第9条」を改正し「戦争放棄」を「戦争遂行」と変えるのではないかと思い込んでしまう。団塊世代の私は、近年、記憶が甚だしく曖昧なことを自覚している。そこで思い込みが激しく、多少勘違いしていることもあるかもしれないが、私の記憶の範囲で、この問題を考えてみたい。

防衛省は部隊の移動に、フェリー会社と年度ごとの契約をしてきた。16年度からは10年間契約で、2隻を250億円の予算で借り上げるという。さらに、1隻あたり21人を予備自衛官補として採用する費用も盛り込んだという。世界最大の借金の海に溺れそうな国民を尻目に、なんとも戦争に対しては手回しの良い、大判振る舞いの「大日本帝国」だ。

まず契約の1隻は、会社が倒産間違いなしといわれていたのに新造した、津軽海峡を走る大型豪華フェリー「ナッチャン」だ。私も乗ろうと思っていた矢先に、採算が取れないと、あっという間に運航停止してしまったのだ。だが、所有する津軽海峡フェリーが新会社を作り、入札に参加したのを発表している。もう1隻は、私が予想するのは、室蘭港に係留されていた、災害用の救助船だ。先日、国の無駄遣い予算として、廃止されたからだ。確か一度も利用されていないのに、年間12億円も支出していたというシロモノだ。こういう計画性もない無駄遣いの最たるものでも、日本人特有の「もったいない」精神を逆手に取り、軍事目的に転用とする可能性があるのが、今の我が国の特徴だ。最も、この計画ありきの船だったのかもしれないが。

海員組合は予備自衛官補に反対を表明しているが、運営予算が確保され人件費も確保されていれば、こんな安定した経営を見逃すことはないのだ。ただ、函館市民の私として心配なことがある。1994年8月29日の朝日新聞だ。日米新ガイドラインの協議中に、米軍は日本側に対し、有事に際して空港・港湾を使用停止し、米軍に供することを要請している。

北海道では千歳空港、港湾は苫小牧と「函館」を挙げているからだ。昨年も函館には大型客船が入港している。経済効果を見込むためさらなる入港を望んでいるが、大型船入港には湾内の深さを確保しなければならない。だが深さがあれば、米艦隊も入港可能となるだろう。先日も、湾外に停泊したが、米戦艦が小樽入港のため、行き帰りに2度も函館に立ち寄っている。

函館市は大間原発で、沖縄県は米軍基地で、国に対し裁判を仕掛けている。交付税に頼る自治体にとって、国に対し何でもかんでも反対とはいかないだろう。だが市民の知らない間に、軍事基地として函館の港が、米軍の傘下に入ることなどあってはならない。戦争が始まると、真っ先に軍事基地が狙われるのは、必定だからだ。

2月7日の北海道新聞の記事は、結構大きなスペースを割いている。だが内容は、市民が危機感を感じる報道にはなっていようだ。もっと、関心を抱く関連内容を調査し、国民の戦争参加防止のアンテナを、敏感にしてもらいたいものだ。そんなこと、杞憂に過ぎないというかもしれないが「日憂」に対しては「老婆心」と「老爺心」を発揮し、戦争臭さが匂うものをに敏感でいたいものである。


どう思われているのか我が国は

2016年02月08日 11時10分54秒 | えいこう語る

 

7月の参議院選挙が近づいてきた。そこで、与党が3分の2の議席を確保できれば、国民投票に持ち込める。さらに、投票の過半数を得ると憲法改正が行なわれる。現憲法制定以来、初の改憲を目論むアベ総理は、7月の選挙に全勢力を傾けているに違いない。それを阻止する野党連合を国民が期待しているが、国民の期待に応えるだけの対抗陣営を構築できずにいるのが今の野党だ。そこに、与党に不利な、甘利大臣の金銭授受問題が発生した。野党が勢いづくと思いきや、TPPの粘り強い折衝で名を上げた甘利氏の潔い辞任劇に、さらにアベ政権の支持率は高まったようだ。

だが、真面目タレントのベッキーの不倫騒動が世間を騒然させている間に、早期の決着を見せたかのような甘利辞任劇だったが、国民の政治不信は治まらない。そこに、富士山が噴火した如くの大スキャンダルが勃発した。日本野球界のスーパースター、清原和博の覚醒剤問題である。マスコミの話題はそこに集中する。こうなれば、戦後我が国の平和主義が崩れ去るかもしれない重要問題の改憲論は、蚊帳の外状態だ。

清原問題は相当前から警察が捜査を続けていたという。入手ルートやスポーツ界や芸能界への波及経路を徹底的にあぶり出し、覚醒剤の根絶を図るため、泳がされていたようだ。ベッキー・甘利・清原と、立て続けに世を騒がせる。もしかして、政府による改憲論への注目をそらすための策略ではないかと、私は邪推してしまう。かつて報道各社も、戦争への片棒を担がせられた歴史を思い出すからだ。だが、そんなことが今の世の中でありえないという方もいるだろうが、戦争は用意周到に国民を囲い込み、覚醒剤のごとく思考をもコントロールしてしまうからだ。

さて、こんなにスキャンダラスな我が国を、世界はどう思っているのだろうかと考えたら、昨夜は、北朝鮮の若大将になった夢を見てしまったのだ。「大臣室で堂々とお金を受け取ったのは、我が国では即粛清だが、日本ではほとぼりが覚めれば、然るべき地位に復帰の可能性があるようだ。そんな不実な国に、拉致被害者を返すことは、かえって不幸にさせる。人道的にみて、今は返すことは出来ない。さらに、日本は宇宙ロケットの打ち上げというが、我が国が撃ち上げると、軍事ロケットだと非難する。閣僚の靖国参拝もそうだ。他国に侵略をした日本の兵士を英霊としてあがめ奉ることを、正当化しているのだ。侵略を美化するのは健全な国家とはいえない」等、日本側から考えると悪の権化のような北朝鮮だが、北朝鮮から考えるとそっくりそのまま、お返ししたいという状態のようだ。

憲法改正後には、国防軍の創設を真っ先に行い、戦争で犠牲になる兵士を英霊とし、殉死を美化するため、アベ総理自ら靖国参拝を行うに違いない。日本は先の戦争で、世界の自爆テロの見本となった国だ。有志連合に実戦参加してくると、イスラム国でさえ恐怖を感じるに違いない。国中が英雄と称える野球の清原も、覚醒剤に染まる国民性だ。我が国では即粛清だが、どうやら執行猶予で済みそうだという。自国民に甘く他国には無慈悲な国民性だ。小さな島国にも関わらず、大国の中国に対しても「日出ずる国」と虚勢を張る。そんな潜在意識が、先の戦争では中国民を虫けら同然に殺害した。我が北朝鮮が、もしどこかの国から侵略されそうになったら、我が国はありったけのミサイルを攻めた国ではなく、日本の原発施設に打ち込んで、日本全土を更地にしてしまおう。戦争が終了した時、日本が地球から消滅したことに対し、我が国は世界から称賛を浴びることになるであろうと、北の若大将は国民に向かってそう叫ぶと『マンセイ』の声が沸き起こったところで、夢は終了した。

日本人としてこんな売国奴的夢を見るのは、もちろん私の本意ではない。夢の原因は、最近のマスコミ報道とアベ政権一強の政治の流れが、私を不安にさせるからだ。この精神不安定症状を、私は「アベ・シンゾローム」と自己診断している。この症状から開放されるには、総理の座から、アベ総理がいなくなることだと思っているのだが、実は嫌いな人を好きになれないという、私の不寛容の精神が、この症候群の最大の原因かもしれない。

「夢は誰の心も止めることは出来ない」というのは、映画・居酒屋兆治での、昔の恋人を慕う高倉健さんの名セリフだ。そんな夢ならいいが、北朝鮮の若大将の夢など、二度と見るのはゴメンである。


国家と国民

2016年02月07日 12時18分39秒 | えいこう語る

 

毎朝、午前5時に起床する。最初の仕事は外に出て風と波の状況を確認することだ。なぜなら、ウニ漁の手伝いに沖に出るためだ。布団から抜け出たばかりのぬくもりのある頬には、真冬の風は微風であっても敏感に感じる。風の吹き具合と、海面の波の動きで、出漁が決定される。夜が明け始め、海面の動きが見えてくる時に、出漁か中止かの判断がされる。身体全体でその判断のために神経を集中するので、人間が持つ動物的感覚を意識させられる、極めて静寂な時間だ。海面から明け方の空に目線を移すと、まるで切った爪が、空に飛んだような細い三日月が、心細そうに空に張り付いていた。

そんな消え入りそうな月を見て、アベ総理が打ち出す「憲法9条改正」に思いが移った。「国家は理性を重視する。それは一国の内部における秩序を保つためである。国家、それは理想としては理性の体系であり、そこに住む人間の悪の衝動を抑えるのに役立つはずである。しかし内に理性の支配を強要する近代国家が、外なる他の国家に対して、理性的であっただろうか。国家と国家の競争において、有史以来い運命を決したのは、いつも暴力だった。人間は集団となるとひどく悪くなるようだ。集団の利益追求のために、人は最も破廉恥なことを平気でする。こういうエゴイズムの集積の最たるものが国家である」。・・・梅原猛著作集17「日常の思想」より。

アベ総理は憲法九条を改正するため、現憲法で「自衛隊は憲法違反」だとの発言を始めた。自衛隊の存在はすでに国民が認知している。その自衛隊が憲法違反だとすれば、自衛隊の存在を確保するためには「憲法改正」しかないという理論だ。「安保関連法案」も制定し、集団的自衛権の行使容認も可能とした。憲法改正には衆参両議院の3分の2以上の賛成で「国民投票」に持込み、国民の過半数で改正が出来る。今最大の山場は、7月の参議院選挙だ。ここで一気に人員を確保できると、後は国民投票だ。現在の内閣支持率が50%を超えている。参議院選で勝てれば、国民の改憲への支持を確保できたと考えていい。そこに持ち込むため、アベ総理は「自衛隊を違憲」だとする「逆転の発想」の大勝負に出たのだ。

アベ総理は、日本国憲法が米国に押し付けられたので、敗戦後の米国に追従する日本を、独立した国家にするために、自主憲法を制定することが主権国家の在り方だと主張する。もしかして、自分は「革命児」たらんとしているのではないだろうか。「ほとんどの質問にはそういうことはありませんと答え、どうにも否定できないことには、そういう記憶はありませんと答え、少しおかしな質問者には、ニヤニヤ笑って質問者をからかう。すべての答弁は嘘と空トボケで固まっていると思われるが、何ら良心に恥じるところがなく、でたらめを言った」とは,上記の梅原猛著に書かれている、ロッキード事件の時の小佐野賢治の素顔だ。

私はだんだんアベ総理が、小佐野賢治に似た人物になってきそうな気がしている。さらにアベ総理は、我が国の戦後最大の「革命家」だと、この頃確信しているのではないだろうか。だがアベ総理は「革命家」にはなれないのだ。「真の革命家は、偉大なる愛によって導かれている。人間への愛。正義への愛。真実の愛。愛のない真の革命家を想像することは、不可能だ」と言ったのは、医師から革命家になった、チェ・ゲバラだ。アベ総理からは、真の革命家が保有している「愛」を、微塵にも感じない。今のアベ総理は、小佐野賢治の考えに近い政治家ではないか。

今日、北朝鮮がミサイルを発射した。自国防衛のために地対空ミサイルの配備をアベ総理は配置したことに、国民は支持をするが反対はしないだろう。だが、戦争は他国への脅威を煽り、自己防衛を正当化することから始まる。国家とは国民の生命を守るという大義名分が出来上がった時、戦争に移行する。

戦争を決定するのは国家だ。だが、その国家をコントロールするのが主権の存する国民だ。国家の理屈にだまされてはならない。だまされないためには「憲法第九条」をもう一度、読み返してみたい。軍備は禁止されているが、自衛隊は必用とされている存在だ。自衛隊を容認するためには「九条」を歯止めとして保持するのか、それとも「九条」を改正し自衛隊を強化するかを、参議院選挙の前に有権者一人ひとりが、しっかり確認をして欲しい。

「ソ連がチェコで何をしたか。米国がベトナムで何をしたか。ヒットラーのドイツはどうであったか。我が国も中国や朝鮮や東南アジアで何をしたか。国家は人類の業である。その業により人類は今まで発展してきた。しかし、その業は必要悪として放置するには、あまりにも人類にとって危険となった。この国家のエゴイズムを人類は自らの手でくいとどめる道を講じなかったら、世界は破滅に近いかもしれない。私は無我と業の思想が個人の立場ではなく、国家の立場においても展開されるべきだ」と主張するのも、梅原猛さんだ。

でも、国家は暴走する。やはり国民が暴走を止めるという自覚が必要ではないかと私は思う。それが「主権在民」ということだと、戦後民主主義教育の中で生きてきた私は、そう確信しているからだ。


納得がいかない従軍慰安婦問題

2016年02月06日 10時57分21秒 | えいこう語る

 

我が国と韓国の間には、竹島をめぐる領土問題がある。それと同様に難しい外交問題が従軍慰安婦問題だ。安保関連法案の次に憲法改正し、国防軍にしようと目論むアベ政権としては、慰安婦に対する軍の関与を認めたくないのが本音に違いない。軍隊には常に女性に対する性問題が付きものだからだ。朴大統領とアベ総理は、犬猿の仲だというのは、テレビから観えるお互いの態度でわかる。なのにこの和解の早さは異常だ。それに和解金が10億円というのも、とても低い金額に思える。さらに、現在生存している従軍慰安婦たちが、国が自分たちに相談もなく勝手に和解したのは、納得がいかないと声を荒らげる。根本的なことはなんにも解決されないのではないかと思わせる、今回の問題解決劇だ。

アベ総理は難問を解消したということでポイントを稼いだと思っているだろうが、朴大統領にとっては、日本に譲歩したことで、マイナス要因に違いない。日・米・韓の軍事同盟に中で、米国が行事役を果たしたともいわれるが、詳しいことは依然不明だ。外交など無縁な私などは、今回の和解には、独身の朴大統領をアベ総理が巧言令色を使い口説き、和解を促進させたのではないかと、下世話な勘ぐりをしてしまう、なんだかよくわからない、日本外交の七不思議的出来事だ。岩波書店の「新書」編集部が「私の昭和史」という題で読者から文章を募ったことがある。その編集に関わったのが「九条の会」の発起人でもあった、故加藤周一さんだ。その本に、こんな文章が記載されていた。

昭和18年に22歳で軍隊に参加した酒井與郎さんの「鮮烈な記憶」という題で投稿した文章だ。酒井さんは学徒兵で獣医官として地獄の戦いに参加していた。敗戦を迎えたが、すぐに日本に帰れず、ある農村に分宿していた昭和20年10月の話だ。自分がいる将校宿舎に、一人の元従軍慰安婦が怒鳴りこんできたという。元慰安婦の言葉はひどくらんぼうで、その態度はひどく横柄だった。そしてこう言うのだ。

『お前ら、日本の将校よ。お前らの国日本は戦争に負けて四等国だ。そして朝鮮は一等国だ。もうわしらはお前らの自由にはならんぞ。お前らは戦争に負けたが、それでもお前らには帰る国日本がある。それにくらべ、朝鮮は一等国になったというが、わしらのような女に帰れる国が一体どこにあるのか。わしらをこんな身体にしたのは、いったい誰なんだ。こんな身体でどうして祖国へ帰れるか」と、泣き叫んだという。

ナチスがフランスを占領した時、ナチスに媚を売る女性が大勢いた。ナチスが敗北すると、それらの女性は坊主頭にされ、街中の晒し者にされた。戦争で犠牲になるのは、戦う兵士ばかりではない。女性の人権が蹂躙されるというのが戦争の実態だ。昔ばかりではなく、現在の中東の戦争でも、女性や子供が犠牲を強いられているのだ。戦争は同じ過ちを繰り返す。人間が人間でなくなるのが戦争なのだ。

靖国神社の英霊たちも、国家のために多くの人間を殺害せざるをえなかった。兵隊たちは死んでも、祖国靖国神社に迎え入れられるという仕組みがあった。生き延びた従軍慰安婦たちが、帰る祖国もないと叫んだのを、忘れてはならない。兵隊として多くの人の殺害に駆り出された者は『英霊』となり祖国へ帰った。騙されて戦場に送られた女性は『従軍慰安婦」呼ばれ、戻った故郷でも、差別されて生きてきたのだろう。靖国神社参拝問題も、自国のために犠牲になった人々に哀悼の意を称するためという、閣僚参拝の狭義な政府見解では、問題の本質をますます曇らせる事になるだろう。

今国会では、憲法第9条第2項について議論が沸騰しているようだ。アベ総理は、今の憲法では自衛隊の存在は憲法違反だとし、合憲にするためには憲法を改正しなければならないと、アベコベの討論を仕掛けてきたようだ。だから、多くの憲法学者に、総理の憲法解釈は間違っていわれるといわれるのだ。このような総理が、従軍慰安婦問題を解決することが出来るはずがないのだ。10億円はとりあえず7月の参議院選挙を自民の勝利に導く、手付金と勘ぐられても致し方ないであろう。

私ごときが、声を荒らげてもなんの影響もないが、ノーベル平和賞受賞者の、マララ・ユフザイさんが、シリア難民の子どもたちへの支援を各国に呼びかけた、この言葉をアベ総理に聞いてもらいたい。「武器にだけお金をかけていては何も変わらない。教育で応戦しなければいけない」。マララさんは、現在18歳だ。日本人なら選挙権を持てる年齢だ。マララさんのような人が、我が国の国会議員になってほしいものだ。

だが、若者の票を集めるため、人気音楽グループ「グローブ」の今井さんや「元AKB48」の前田敦子さん、「おもてなし」の滝川クリステルさんを自民党から出馬させるという声も聞こえている。憲法改正のためには手段を選ばないというアベ総理であれば、従軍慰安婦問題の根本的な解決など、全く期待できないということになる。

甘利大臣の辞任にも関わらず内閣支持率が52%と高い。「アベノマジック」に翻弄さられる国民が多いせいなのだろうか。憲法解釈が稚拙だといわれている我が国の総理、この程度の国がアベ総理が言う「美しい国」というのであれば、私たち国民もマララさんに叱れれてしまうだろう。・・・「武器でなく教育で」と。