函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

記念碑について考える

2012年07月12日 12時32分01秒 | えいこう語る
昨年の東日本大震災の被災地で、津波の被害を後世に伝え、二度と再びこのような被害を繰り返さないための、記念碑をつくろうとの動きがある。
例えば、津波で陸に上がった大型船や、主要構造物だけが残った役場庁舎などを保存し、記念碑代わりにしようとする動きだ。
一方では、家族を奪われ、それらの構造物を見るたびに心的ストレスに襲われるという、人たちの反対意見もある。
私たちのように直接被害を受けなかった、全国の人はどのように考えるのだろう。
被災地の映像は目に焼きついているが、それは過去の残像のジャンルにしまい込み、今では復興が着々進んでいるのではないかと、思っていやしないだろうか。
東京スカイツリー効果での明るく楽しい雰囲気が全国に伝わり、福島原発が現在どのようになっているのかも報道されず、政府は原発再稼動を強行した。
これからは夏の電力不足の節電を懸命に煽り、電力不足に国民が根を上げるのを待つ狙いのようだ。
なんだか政権交代させた新政権、大事なものを忘れさせ、自分たちがしたいものだけやろうとする「自分勝手政権」に見えてきた。
悲劇を忘れないための、何等かの記念碑のような目に付くものは、必要なのかもしれない。
※花は何も言わないが、人々の心に話しかける。椴法華中学校前の庭。


広島の原爆ドームを思い出す。
初めは残すことに反対する人が多かったという。忘れたいことに違いないが、それが後世被災者に及ぼす影響の重大さを、世界中に伝えなければならないという思いに、代わっていったのではないかと思う。
津波の被害の記念碑は、そのような精神作用を涵養できるものなのだろうか。
私の勝手な想像だけど、気象台で発表された津波予想がある。
私の村なら、10メートルだ。10メートルの高さの記念塔のようなものを、人目のつく場所に立てて置く。これを見れば、誰もが自分の避難場所を考えることができるに違いない。
都市部で10メートルの予想なら、ビルの壁に横線を引いてもらい、10メートルと表記する。誰もがどこにでも目に付く環境にしていれば、それなりの効果はあるように思う。
昨日テレビで、被災地の記念碑についての報道があった。
自分自身が当事者であれば、どう考えるかを考えてみたが、これといったいい案は出てこなかった。
でもこのことを妻と話し合って、津波があったという記念碑の建立はいいが、陸に上がった船や、廃墟のような役場庁舎の保存はしなくてもいいのではないかというのが、我が家の率直な意見でした。