函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

校名について考える

2012年07月22日 11時21分33秒 | えいこう語る
平成19年、私の出身校「函館北高」が、44年の歴史に幕を閉じた。
戦後ベビーブーム世代の私たちが入学したのは、昭和39年だ。進学する生徒数が多くなり、学校を増やしてほしいとのPTAからの要望があったと聞いている。
時代は変わり、少子化。今年なつかしの校舎も解体することに決まった。
来月の8月25日「最後の思い出を作ろう」というテーマで「北高祭ファイナル」というイベントが行われる。
1万を超える卒業生が、仲間を募りパーフォーマンスをするそうだ。
※私が憧れていた、北高の「マリリンちゃん」はやってくるのだろうか。


もちろん私も1ブース確保し、戦後民主主義世代の一員として、時代を振り返えようと思う。テーマは「脱原発」だ。
函館市立北高等学校というのが正式名称なのだが、実は先輩格の函館市立東高校に吸収合併され、公募により「市立函館高校」と改名したのだ。
函館には様々な高校がある。「函館高校」などと、市内全校を包囲した名前に私は馴染めない。廃校になったのだから「函館北高」という名前は、自分の心の中にしまいこんでいればいいと思っているからだ。
先日、東高校出身の先輩と話したが、東高という名がなくなったのは淋しいといっていた。東高校は五稜郭公園のお堀の側にある。学舎としてはすこぶる環境がよい。
私も東高校の名前を残してほしかったと思っている。その伝統の中に私たちも入れてもらったほうが、よかったと思うからだ。
私の中学の2年先輩までは、東高への学区だった。北高が設立された時、東高から先生たちが何人か赴任されてきたのを思い出す。
東が本家で、北が分家という感じだ。
私たちが在校していた時は、学校は高台に位置し、当時はグランドから函館港が見えたものだ。今は住宅密集地となり、その景色はない。
言い尽くせぬ思いがたくさんある。
入学した昭和39年、忘れもしない東京オリンピックだ。
次ぎ次ぎ上がる日の丸に、私は初めて国家というものの存在を意識した。
最終日の男子マラソン、ゴール寸前で円谷選手がヒートリー選手に追い抜かれ、銅メダルとなった。
「ヒートリーのバカヤロー」と、学校のテレビに向かって叫んでいた。
あと数日で、ロンドンオリンピックが開催される。
ヒートリー選手は英国人だ。ファイナル祭には,そんなことも話題になるに違いない。
学校前の道路が舗装されていなかった時代がよかったのか、今がいい時代なのか、そんなことなども話してみたい。
「函館北高」最後の日が近づいてきた。