函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

00してはならない

2012年07月26日 11時39分28秒 | えいこう語る
ミラノ冬季オリンピックで金メダルを取った荒川静さんが、演技の時使用した曲は「歌劇・トゥーランドット」の「誰も寝てはならない」だ。
聴く者の感情を高めてくれる、力強さがある。
曲の内容はトゥーランドット姫が国民に、ある問題を解けるまでは「誰も寝てはならない」という命令を下したというものだ。
先日、夏休みに入る前の、地元小中学校の生活指導の会議に出た。
その資料にあったのは「00してはならない」の羅列だった。
※校舎は木造からコンクリートに変わったが・・・。


特に驚いたのは、自分の地域の海が、全て遊泳禁止区域になっているということだ。
8年前、函館市に吸収合併されてから、函館教育委員会は市内2箇所しか遊泳の許可を出しておらず、そのためだという。
私たちは海の村で生まれている。私たちが危険度を感じられるのは、自然体験で育まれたものだ。
学校の授業にはない、心身の鍛え方を自然が教えてくれたのだ。
大津市のいじめに見られるように、子供たちが危険度の加減がわからないというのは、自然の中で遊ぶ習慣に欠けているからだと私は思う。
学校側は「安心・安全のため」というが、それは組織論であって、子供たちの健全な精神と肉体の育成にはならない、がんじがらめの規則の羅列としか思えない。
「事故があってからでは遅い、どうかご理解を」という。
私は、今年の夏休みのテーマは「危険なことに挑戦し、危険度を体得しよう」にしたほうがいいのではないかと、辛らつなジョークを飛ばしてきた。町会長としては不適格な発言なのだろう。
学校側も今の教育委員会制度の中では、従わざるを得ない苦渋の判断に見える。でもこんなことでは、子供たちは何時までたっても「危険度の加減」が分らず、いじめが後を絶たないはずである。
私たちが子供の頃思った、夏休みのイメージは「自由」だ。
毎日のように海で泳いだ。真っ黒に日焼けして皮膚がむけた。でもその体験が、風邪を引かない頑丈な身体を作るのだと、信じていた。
でも、自由すぎると勉強がおろそかになり、後で困ることになるというのも実感できた。誰に言われなくとも自分で理解できたのだ。
若い時は規則があっていい。規則は社会の常識であり、生きていくための大事な教養の一つだとも思う。
でも、待ちに待った夏休みである。
海の村の子供たちに「誰も海で泳いではならない」というのは、真の教育から逸脱しているのではないかと思う。
函館市教育長と市長に会う機会があったら、ぜひそのことを問いたいと思う。