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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

町会連合会とは

2012年06月10日 12時43分59秒 | えいこう語る
町会といえば“花咲か爺さんの会長”が出てきて、町内会の融和などについて縷々述べ、自治体の下請け機関の様な仕事をするというイメージが強いようだ。
それは“隣組”などという歴史的経過から、組織体制が役所と一体で行動してきた経緯があるからだ。もちろん、そこには補助金も投入されているという仕組みもある。
市民自治の立場から言えば、町会より自治会の方が、その役割を明確に自覚できるのだろう。
私の地区には7つの町会があり、今年から私が連合会長になった。
会長の雰囲気としては、実質年齢よりちょっぴり年齢が多くなったような気がする。
以前町会から自治会への改名を提案したことがあるが、あっさりと拒否された。
原発問題も随分前から取り組んでいるが、それは町会の扱う範囲ではないなどといわれてしまう。村の議会でも私の存在が議論されたことがあるが「あの会長は言うことを聞いてくれない」というトップの答弁を議会議事録で発見し、私も吹き出したことがある。
※そんの村だが、銚子ビーチはこんな雰囲気がある。


今は合併し函館市民になったため、函館市の187町会に加盟している。
今年から函館市町連の常任理事に就任し、先日の人事で総務部の部長代理となった。
町連の組織を市役所で例えるなら、会長は市長、副会長5人は副市長、総務部長は市議会議長のような存在だから、私は市議会副議長といった感じだ。
総務部のほかには、市議会と同じく、環境部、防災部、青少年育成部などの部会がある。その部会には常任理事が部長を務め、理事が34名配置されている。
つまり町会連合会とは「函館市民議会」という存在だと私は思う。
昨年施行されたが「函館市民自治基本条例」という「市民の憲法」といわれるれるものがある。
その前文には「市民自らが行動して主体的まちづくりにかかわるという決意を示す」とある。
ということは、町連の役員は活動が停滞化している市議会議員以上の活動をする義務があると、自治条例に記されていると私は解釈する。
そう考えれば、なんとなく町会活動も俄然楽しくなるというものだ。
今年は函館市町連50周年の年で、10月に記念式典がある。
先日の第一回常任理事会「50周年記念行事は、来賓の挨拶と表彰ばかりで、私が一般の会長ならこんな会は出席したくない。3:11以降、日本は新たな理念づくりが必要となっている。町会もそんなメッセージを発する記念式典にしてほしい」と。他の常任理事さんのなかにも、同調してくれる人がいた。
いいたくてもいえない雰囲気になってしまった50年は、今年で終わりにし,
函館市を「魅力ある街全国一位」にするため、新たな町連の力を発揮する今後の50年であってほしい。
そういう活動が市民に浸透すれば、おのずと町会の加入率もアップすると思うのだが。


海難事故

2012年06月09日 14時56分25秒 | えいこう語る
この数年、函館市と合併した旧4町村で、海の事故が連続して起きている。
戸井町では磯舟漁の夫婦、恵山町でも磯舟漁の夫婦、椴法華では、港湾内で船頭さんが転落、いずれも亡くなっている。
二日前には南茅部町で、タコ漁をしていた親子の磯舟が転覆し、父親は遺体で発見されたが長男は行方不明で、漁師総出で捜索中である。
海難事故では、陸の位置が分るよう夜通し迎え火を焚いて、泳ぎ着くのを祈るのだ。この漁師仲間への愛情が、なんともいえぬ悲しさを誘うのだ。
今年の前浜は水温の関係か地震による海底の振動か、はたまた原発事故の海洋汚染が原因なのか、まったくといっていいほど魚がとれず、漁師のため息が港を埋め尽くしている。
ただタコ漁だけが最近好調だ。
低気圧の影響で、波が高く出漁を見合わせていた舟も多かったそうだが、生活のために無理して出漁したのだろう。


板子一枚下は地獄と言われるが、波も突然大きなうねりを見せたり、風も急激にふいたりする。自然は予想不可能な変化を見せる。
そんな変化にも、近海での磯舟漁は陸に近いからすぐ港に戻れるという、油断がある。
それに不漁続きが重なり、一寸した判断ミスが命を奪うのだ。
遺体が発見されるといいが、海での遭難は行方不明が多い。
磯舟での遭難は、陸から近い場所だけに毎日海と対峙するのは、遺族にとってひじょうにつらいものがあるに違いない。
父親と一人息子を奪われた家族の悲しみは、海よりも深いだろう。
普段、母のように自愛に満ちている海も、時には何かに取り付かれたように暴れまくる。
そんな海も一夜明ければ冷静さを取り戻し、おのれの行為に涙するのだろう。
今日おこなわれる予定の「南茅部ひろめ祭り」。
茅部の漁師魂が炸裂する船こぎ競争や演歌の競演、海の安全と大漁を祝う祭りが中止となった。
浜は悲しみにくれているが、今年の夏も「日本一の真昆布」が豊漁であることを期待したい。それが二人に対する、海の最大の供養である。


制度について考える

2012年06月08日 05時12分40秒 | えいこう語る
先日、村の老人施設に用事があり出かけた。
玄関前のボンゴ車に職員が集まり、誰かの見送りのようだ。
車のボディーには、隣町の老人施設の名が大きく書かれている。乗っているのは私の父と同級生だった方の奥さんだ。
職員に尋ねると、介護度が上がってこの施設から出て行かなければならないという。
住み慣れた故郷の施設を追い出されるようにして、出発する姿はまことに哀れだ。
函館市に合併する前は自治体の管理する施設だったので、亡くなるまでこの施設に入居できたのだ。
介護保険制度下では、厳密にいえば違反のようだが、自治体の裁量で、ある程度は認められていたようだ。
しかし、函館市と合併してからは、この施設だけが例外は許されないことになる。
私もその奥さんとは顔見知りなので、職員と一緒に見送ったが、本人は泣いていた。
余命いくばくもない老人を泣かせる制度は、真の福祉といえるだろうか。
職員一丸となって、上層部にお願いするといったことはなかったのであろうか。
でも、制度に泣かされるのは職員も同じなのだろう。
なんともいえない虚しい気分になって、家に戻ってきた。
広辞苑には、福祉=消極的には生命の危急からの救い、積極的には生命の繁栄とある。
どちらにも当てはまらない制度のようだ。
次に行く場所があるだけ幸せだといえば、そうかなとも思うが。
※今朝4時に起きたら、村は霧の中にすっぽり隠れていて、波音だけが鳴り響いている。どうやら時化の様だ。
パットメセニーの曲をかけてみた。



町会長日記 2

2012年06月03日 11時46分14秒 | えいこう語る
村の中を国道278号線が走っている。
その道路沿いに花壇を作り、花のある美しい景観を作ろうという連合町内会の運動があり、随分長く続いている。
昨日、7つの町会が早朝から集まり、一斉に花の植栽を行った。
この運動には、国道を管理する北海道開発建設部(開建)と函館市の協力がある。
見知らぬ人が私に挨拶をした。開建の部長だという。
開建の部長といえば、我々の近くに姿を現す存在ではない。それなの早朝にこんな小さな村にお出ましになっている。聞く所によれば、今年名古屋から転勤になったが、道南地区の国道の花一杯運動の視察をかねて、土曜日で役所が休みなので作業着姿で参加させてもらうということである。部長ともなれば運転手付だが、なんと自家用車で一人でのお出ましだ。
作業前に挨拶がある。会長の私と開建部長と役場の支所長の3人が並び、その前に町会の人たちが集まった。
ところが私の横に、町会員のおじさんが並んでいる。
私が今年から連合町会長となったのは、まだ知らない人が多いのだ。そこで、前の会長が当然挨拶するものと思い込み、そのおじさんは前の会長が立つ向かい側の私の隣に立ったのだ。おじさんと私と部長と支所長の4人が立っている。
私は笑いをこらえたが、あえて注意はしない。高齢化社会の田舎の町内会は、そんなことがたくさんあって、ほのぼのしているからだ。
私が挨拶を始めると、おじさんは気がついて、反対側に移動した。
※海岸の散歩から戻った北キツネ。


挨拶が終わり作業が始まると、部長も作業に加わる。
「最高幹部の部長が来ている、絶好のチャンスだぞ」と耳打ちしてくれた友人がいる、元役場の大幹部だ。普段は物忘れがひどいといっているが、「予算獲得」という、役人としての野生が目覚めたに違いない。
「そうだ直訴だ」と私も思う。
部長は現役だ。当然私より若い。「国道沿いの排水溝が壊れ、住民から苦情が来ている箇所があるのですが、ぜひ見てほしい」とお願いする。
役場の車を借りて現場に行き、説明する。部長は盛んに携帯にバシャバシャ。「帰ったらすぐ対処する」ということで、直訴は成功した。
新聞社の取材もあったが、20代と思われる記者は私の高校の後輩だった。
「今度何か行事があったら電話するから、取材を頼む」と、先輩口を叩く。
還暦を過ぎてから、町会のお年寄りと話していると、自分の余命のことをふと考えさせられる。残された時間は少ないということである。
でも昨日は年齢が高くなって、若い頃とは違って行動に出やすくなったというのも感じた。
ROUTE278に花がいっぱい咲き誇り、一気に華やいだ。
町会長としては、住民からの苦情を一つクリアーし、とても気分爽快な一日だった。


町会長日記

2012年06月02日 13時07分46秒 | えいこう語る
先日役場に行った時、支所長に呼び止められた。
「会長さんにもお願いしていたといってた、忠魂碑の倒木の処理についてですが、近いうちに処理します」という話である。
先日、忠魂碑慰霊祭があり、その場に出席していた支所長に、遺族代表をされている方が「会長にもお願いしているのだが」と、倒木の処理をお願いしたという。
実は私は聞いていない。その方は高齢なので「会長にお願いしている」と、思い込んでいるのだ。高齢者の多い田舎ではよくある出来事だ。
現場を確認しに行くと、その方がいて鋸で倒木の処理をしていた。お年よりはせっかちなので、役場が処理するのを待てなくて、自分で始めたのだろう。
忠魂碑前は小公園になっていて、子供たちが遊んでいるので危ないと思い、小さく切って運ぼうとしていたのだ。
「遺族会もこの頃は出席が少なくなった」と、嘆く。
戦後も半世紀をとっくに過ぎてしまえば、惨禍も薄れているのだと思うが、以前は村役場が担当し、予算も付けて慰霊祭も行っていた。
法治国家である我が国、「政教分離」などというものが声高になってから、行政の関与が薄れたことも原因の一つだ。
私たちが子供の頃は、忠魂碑の祭りといえば村の最大行事だった。
戦争体験者たちの銃剣術の仕合は迫力があった。「ダトツー」などという掛け声が、周囲に山に飛び交った。餅撒きがあり村中の人が集まったものだ。
その方は、兄が戦死しているという。どの戦線ですかと尋ねたら「支那だ」と、返ってきた。その方にとってお兄さんは、いつまでたっても“支那の大地”に眠っているのだろう。
※春の夕方の波の穏やかな銚子ビーチ。居眠りをしているような赤のベンチ。


忠魂碑から家に戻る途中に、おばさんに呼び止められた。
役場へ行ったら、職員の対応が悪いという苦情だ。
「市町村合併したら知らない人ばかりが役場にいて、昔の役場職員ならみんな知り合いばかりいたから、こんなことはなかった」となげく。
実際、合併後は他から移動してきた職員は、村の中を知らない職員が多いようだ。老人家庭への訪問も、個人情報保護法が足かせになり、動きづらいという。
田舎の役場は、みんな顔見知りだから、電話の声だけで名前を名乗らなくてもわかったものだ。田舎は田舎のよさがあるのだ。今は函館市の職員となったが“役場の職員”と“市役所の職員”との違いだろう。早速役場の担当課長にはその旨を報告しておいた。
7つの連合町会では、事務職員を一人使い役場内に勤務させている。
私はこのたび連合町会長になったので、その女性職員に給料を渡す役割だ。
事務室に入ってきた女性に、こんなお願いをした。
「あなたは役場内に座っていると、住民は役場の職員だと思う。自分の仕事以外でも誰かが入ってきたら、笑顔で挨拶をしてください」と。
なんだか、妙に会長ぶって偉そうにいってしまった。
その夜、ちょいと気分がよくビールを飲みすぎたら、いつものごとく、我が“上司”に叱られてしまった。
そんなこんなの、町会長の一日である。