函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

権利とは

2012年02月07日 16時13分48秒 | えいこう語る
東電の社長が「電力料金を上げるのは、権利だ」と発言した。
福島第1原発事故後の、東電の情報隠しや虚偽の報告で呆れ返った国民も、この厚顔無恥な「権利」の主張には、さすがに開いた口がふさがらない。
記者の質問にも動じない社長の態度を見ると、「権利」という言葉の意味が、私たち国民が間違えて使っていたのではないかと、心配にさえなる。
広辞苑を開いてみた。
権利=一定の利益を主張し、また、これを享受する手段として、法律が一定の資格を有するものに付与する力。とある。
「一定の利益」を、「国家・国民の利益」と置き換えたとしよう。
想定外の原発事故である。補償費用は甚大であるが、国家・国民のために電力は供給し続けなければならない。そうであれば国民が平等に負担するのは、あたりまえであり、電力料金値上げは国策で推進してきた事業なので、東電側から考えると、当然の「権利」という解釈になりそうだ。
※神のお告げか!・・・雲に朝日が分割された。


消費税値上げに「不退転の決意」で望む野田首相も、東電社長と同じく動じない。何がなんでも実施するという気構えだ。
その背景には、消費税増税はある程度やむを得ないと思っている世論を、見据えているからだ。
野党も与党内の反対者も消費税増税には基本的には反対ではなく、いずれは必要という了解があるからだ。
ということは、私たち国民が東電や首相を、国民の利益のためにならない存在だと、認知してしまえばいいだけの話である。
そうであれば、東電側の「権利」という言葉は、当然間違いであるということが証明されるのである。
首相の消費税値上げも、不退転の「権利」と、私には聞こえる。
これも首相に国民がNOを突きつけると、「権利」は、意味をなさないことになる。
「権利」という言葉、こんな混迷の時代には、使い方にも随分頭を悩ませるものである。
東電側も「権利」というから、国民は気色ばむのである。
「利権」といえば、国民は理解するのである。