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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

郷土学講座

2011年02月10日 11時10分40秒 | えいこう語る
「幕末から明治初期にかけての、道南の歴史を知る」と題した郷土学講座が、函館市内で開催された。
早朝のウニ漁から戻り、急いで風呂を浴び、漁師の獲物を狙う顔から、歴史を学ぶ学生の顔に変身し、参加してきた。
道南各地の博物館の学芸員が一同に会し、普段の研究活動の成果を発表するという、初の試みだ。
講座の内容は函館市を軸にした、周辺の町の歴史である。
函館戦争から始まり、幕藩体制が崩壊し、各藩が北海道移住を企て、新たな産業に挑戦する、ゼロからのマチづくりに関しての内容である。
開拓の厳しさの中にも、未来への希望の明かりを探し、果敢に立ち向かった時代を、7人の学芸員が次々と紹介していく。
内容は広がりを見せたが、深みがないのが残念だった。
アンケート用紙は、ほぼ全員が提出していたようだから、そんな指摘が多いと思うので、次回が楽しみである。
私はこの講義を聞き、こんな思いに駆られた。
※とどほっけ村日の出美術館。これが我が故郷のプライドである。


函館市は平成16年、私の村も含む東部4町村を吸収合併した。
「財政の健全化」が主な理由であったが、函館市も各町村も、歴史に敬意を払いながら、緩やかで厳かな合併ということではなかった。
マチは一夜にしてつくられたものではない。
先人が築いたスピリッツというものを大切にしなければ、郷土という概念は希薄になっていくのである。
合併後、何が便利で何が不便になったかと聞かれるが、「郷土愛」が希薄になったことが、人々の足場を気付かぬうちに、不安定なものにしているのではないかと思う。
平成の合併も、一段落ついたようである。
しかし、国の経済を考えると、地域主権の流れ中で、市町村合併は再燃すると考えられる。
数年後に到来する北海道新幹線。
函館市を中心に新たな「大函館圏構想」が起きることは予想される。
お互いのマチの歴史を理解し尊重しあい、そこから合併の意義を引き出し、融合するのが、これからの合併の在り方ではないかと思う。
その地域・地域の特性を引き出し、全体をパワーアップする。それが市町村合併であり、真の地域主権ではないかと思う。
今回の郷土学講座、初の試みでいろいろ不備な点も目立ったが、広域的自治を考える上では、貴重な試みであったと思う。
普段何かと市民の批判の的になる自治体職員、垣根を取り払えば、相当マチづくりの知恵を持っているのだと、見直したしだいである。


八百長を考える

2011年02月08日 10時56分14秒 | えいこう語る
個人が電話を持ち歩くことが、あっという間に常識化してしまった。
この文明の利器は、人間関係を崩壊させるのではないかという、危機感を私は常に感じている。
例えば携帯電話により、不倫が多くなったのではないかと考えるからだ。
八百長といえば大相撲といわれるこの社会も、携帯電話から崩壊が始まったようである。
星をお金で買っていたという。以前なら直接出向いて、口頭でお願いしていたらしいが、携帯電話では履歴が残った。残るのは相撲の力量であるが、今度ばかりは、土俵に踏みとどまれないような感じがしてきた。
長いこと生きて感じるのだが、社会は多かれ少なかれ、八百長体質で成り立ってはいないだろうか。
ヤラセも八百長のうちである。そうであればマスコミは八百長の権化ではないか。自己批判もせず八百長報道を繰り返すのは、聞いていても片腹痛い思いである。
総理大臣杯を贈るのを見送るという話がある。
現在はないと思うが、法案を通過させるため野党の国会対策委員長にお金をばら撒いていたのはどうなのか、国会議員に問いただしてみたいものである。
公約違反が常態化する政治の世界。さらに首長と議会が質問の打ち合わせを繰り返すのも、立派な八百長である。


感情の動物である人間に、八百長をなくすことができるだろうか。
必要なのは「節度」である。
この節度が「いい塩梅の加減」で、世の中が丸く収まっていた時代が、急激に加減の度合いを失ったのは、何が原因だったのだろうか。
「規制緩和」と「グローバル化」が、拍車をかけたのではないだろうか。
聖徳太子の時代から続いた「和の精神」が、それらの大きな要因により、箍(たが)が外れたのである。
その現象が極端に現れたのが、日本の精神文化を伝承し続ける相撲界である。
強い外国人と弱い日本人。この逆転現象が、節度の崩壊につながったのではないだろうか。
朝青龍、この闘魂たくましい横綱の前に、日本相撲協会という堅牢なダムが決壊を始めたのである。
日本男子は、元来寡黙であったはずである。
横綱や大関を破ってのインタビューは「よくわかりませんでした」それだけで良かったのである。あまり話すと、ほころびが出るからだ。
最近の相撲取りは、雄弁過ぎはしないだろうか。
それに、おしゃべりな携帯電話が加わった。
もはや節度などいう言葉は、相撲界の辞書には存在しなくなったのだ。
節度とは、厳格な規律と教養、そして寛容さがその根底になければ、成立しない。
「規制緩和」と「グローバル化」には、節度はなじまない。そうであれば、新たなルールを形成するより方法がないのである。
今、注目するマチがある。政治の八百長を問う名古屋市である。
日本社会のあり方を見つめ直す狼煙は、名古屋から立ちのぼった。
「終わり名古屋」ではない。「始まり名古屋」である。
戦後も66年になった。4月の統一地方選挙、公約違反などの八百長は許してはならないのである。
大相撲の八百長問題、日本の常識という非常識が壊れ、新たな節度を生み出す可能性を含んでいる。なんだかそんな感じがしてならないのだが。


毛糸の靴下

2011年02月07日 10時33分01秒 | えいこう語る
北海道の真冬の漁には、厚いゴムガッパが必需品である。
吹雪が襲おうが雨が降ろうが、ゴムガッパを着込んでさえいれば、鬼に金棒である。
漁師の先輩たちは、50年も前は、「どんじゃ」と呼ばれる丹前のような刺し子の外套着で、働いていたそうだ。
ゴム製品が出来てから、急激に仕事が楽になったと話している。
そういえば、私も小学校低学年に、黒いゴムの短靴を履き始めた記憶がある。
半世紀以上も昔のことである。丈夫だけど、不恰好だったというような、かすかな思い出しかないが。
その後学校の授業で、ゴムが木から採取されることを知り、とても驚いたものである。
漁師の服装は、ゴムガッパばかりではなく、ゴム手袋、ゴム長靴もである。
考えて見れば、海の生物にとって、漁師は「海獣ゴムゴン」なのだ。
エサで釣り、網をかけたりして、自分たちを襲撃しにくるのである。
しかし、寒さをしのぎ極寒の海で活躍する「海獣ゴムゴン」にも、こんなあったかい、エピソードがある。
※海獣ゴムゴンではありません。中華料理の超高級食材、ナマゴンです!


私の知り合いに、50代後半の兄と弟の漁師がいる。
その兄弟、母親が亡くなってから、10年ほどして父親も他界した。
冬の海に出かける時、足が冷たければ居ても立ってもいられならない。
ゴム長靴には手編みの厚い毛糸の靴下が最適である。
毛糸は保温性に優れ、これに勝るものはない。私も編んでもらい2足重ねてはいている。
漁師は自分で網を修理する。棒針で編む靴下は、そう難しいものではなかったに違いない。
妻が編んでいるところを、父親がみようみまねで覚えたのだろう。
母が亡くなってから、父親が編んだ毛糸の靴下で漁に出ていたという。
その父親が亡くなった時、たくさんの靴下を編んで残して置いていたという。
先日、一回り大きな船を購入した兄弟は、今日も真冬が旬の「鱈釣り」に出漁した。
両親のぬくもりを足元から感じ、荒波の津軽海峡を、兄弟船は縦横無尽に疾走しているにちがいない。


陸に上がった船

2011年02月05日 10時55分05秒 | えいこう語る
港の最前列に位置していた磯舟が、ずっと後方の陸に上がっている。
82歳の漁師が、現役を引退したからだ。


昨年、厳冬の海で、サクラマス釣りをしていた姿を、何度も見かけたことがある。
「Sさん釣れたか」と声をかけると、大きなサクラマスを掲げ、自慢げにした頑固オヤジの、いたずら小僧のような笑顔が、目に浮かぶ。
私の近所でも、息子さんと同居するために、本州に移住した年老いた漁師がいた。
送別の宴の時「俺はこの村で生まれ、この海で育った。本当はこの海で死にたい」との別れの言葉に、心が震えたのを覚えている。
強い心が折れたのか、一年もたたぬうち他界してしまった。
漁師にとって、海は戦いの場である。
妻子を養い家族を支えるため、大海に挑むのだ。
海は漁師魂を鍛える、人生道場でもある。
海そのものが、漁師の「生き甲斐」なのであろう。
サマセット・モームの「人間の絆」に、こんな逸話がある。
ある国の国王が、学者に「人間の歴史」を書いた書物を、五百冊集めさせた。
忙しい国王は、もっと要約するよう命じた。
二十年後、五十冊に要約したが、国王は時間があるが、読む気力がないので、さらに要約してくれと命じる。
さらに二十年がたった。
学者は杖をつきながら、一冊の本にまとめて持って来た。
ところが国王は、臨終のベットに居た。一冊の書物すら読めない。
そこで学者は、国王の耳に「人間の歴史」を、わずか一行に要約して聞かせた。
「人は、生まれ、苦しみ、そして死ぬ」
「人間の絆」の主人公フィリップは「人生の意味」や「生き甲斐」なんて、世の中が我々をたぶらかすために作った、ペテンに過ぎないことに気づいた。
気づいたとたん、彼は楽になった。
とても深みのある話だ。
「陸に上がった船」は、そんなことを、ふと思い出させるほど、役目を終わり、安らかな顔をしているようにも、見えるのだ。


海鼠(なまこ)

2011年02月03日 15時35分32秒 | えいこう語る
世の中には長い年月の間、需要の変化で価値が逆転するものがある。
例えば、中学校を卒業し50歳になったのを機に、初の同期会が開かれたとする。宴もたけなわとなり、それぞれの近況報告が始まる。
地元勢が挨拶をする。
都会に住んでいる友人が、耳元でささやく。
「えっ、00君が町議会議員だって!信じられない」
翌朝目覚めても信じられない、と、都会に住んでいる友人が再度確認する。
ちょっとオーバーな例えだが、前浜の世界でいうと海鼠がそんな感じである。
私たちが子供の頃、海鼠は取引の対象になっていなかったように記憶している。
それだけ存在感のないものだった。
ところが前回の北京オリンピックあたりから、俄然脚光を浴びるようになる。
現在、中国は経済が絶好調のようだ。そこで中華料理の高級食材である海鼠が、急騰している。
中でも北海道産の乾燥海鼠は、最高級といわれている。
我が国もバブル時代は、生ウニが海のダイヤモンドといわれたほど高級だったが、今では見る影もないほど、価格が暴落してしまった。
現在前浜は、ウニ漁と海鼠漁の盛漁期であるが、今日はウニ漁を中止し、海鼠漁だけになってしまった。
天と地がひっくり返ったような出来事だ。
※今朝の海。こんな日でも急激に風が下りてくる。


今朝、漁直前の浜での会話である。
「海鼠の野郎も、子供の頃ハナタレだったのが、今、総理大臣になったようなもんだな」
ということで、今日のブログは海鼠に決定したのだ。
ところが海鼠を調べると、私は大きな間違いに気づいた。
乾燥海鼠のことを、高級なので「キンコ」=(金庫の意)と呼ぶものだと思っていたが、実は「海参=いりこ」だったのだ。
キンコは、マナマコやフジナマコなど、ナマコの種類だったのだ。
正しくは「キンコの海参」というのだ。
知ったかぶりして、赤っ恥をかくところだった。
そういえば、子供のクセに大人顔負けの知識を持っている子を、生意気な子だといったものである。
田舎では、生意気な子を「なまこな奴だ」といったのを思い出した。
私の前浜のウニから言わせれば、現在の海鼠は「まなこな奴」に違いない。