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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

昨日・今日・明日

2011年02月15日 11時02分08秒 | えいこう語る
今日のタイトルと、同名の映画があった。
内容は覚えていないが、ソフィア・ローレンとマストロヤンニーの名コンビのイタリア映画だ。
どちらも個性派で人物が際立つ名優だが、夫婦役を演じるとこの二人ほどぴったりなコンビは珍しいと思う。
私が以前参加していたサークルに、私と、とても仲がよかった女性がいた。
彼女は少し年上なのだが、初めてお会いした時から、人目で友達になってしまった。
「人目あったその日から、恋の花咲く時もある」というテレビ番組があったが、お互い還暦が近かったので、そんな気分はさらさらなく、まるで幼馴染の様な付き合いだった。
その彼女から去年の暮れ、赤ワインと「茨キの干し芋」をいただいた。とても柔らかくて美味しく、赤ワインが「茨キの干し芋」にぴったり合った。これもベストコンビである。
スーパーに出回っているのは、中国産の干し芋である。「茨キの干し芋」の美味しさは、いまだに脳裏に記憶されている。
昨日の我が村の郵便局前。ROUTE278が、真っ白になっている。


除雪費の節減で、雪が降る前に融雪剤の塩化カルシューム(通称・塩カリ)を大量にばら撒くのだ。これをばら撒きすぎて、せっかくのROUTE278が、役者の白粉が剥げたように醜くなっている。またこの塩カリが縁石を崩す元凶なのだ。
世の中腹の立つことばかりであるが、すこし怒りを静めたら、ROUTE278も巨大な「茨キの干し芋」に見えてきたのだ。
その夜、玄関で声がした。
酒友のKさんだ。津軽海峡に出かけて魚を釣ってきたという。


ホッケとヤナギノマイという魚だ。早速刺身にし、ホッケはあす寒風にさらし天日干しにする。もちろん晩酌も美味しかった。
今日はというと、新聞のお悔やみ欄にSさんの名が出ていた。
Sさんは、私が社会人になりたての頃、函館市長選に出馬していた人である。
市町村合併が話題になった時、私は近隣の仲間と研究会を開いた。そのなかにS氏もいた。
函館市議会の合併委員会が、市民の意見を聞くというので、私たちグループも呼ばれ、意見をのべた。
元議長のH氏が、合併促進の論陣を張った。それに対しS氏が「詭弁を弄するな」と一喝した。
享年83歳のSさん、肩書きには「元共産党北海道委員会名誉顧問」とあった。
侍のような風貌で、筋金入りの函館を愛する意見を聞かせていただいた。心よりご冥福を祈りたい。
さて明日である。函館市町内会連合会の会長会議に出席の予定だ。発言するものは準備しているが、穏やかな天気なのでウニ漁があるかもしれない。
先日船頭さんと、ウニがたくさんある場所を見つけてきた。
どちらを優先するといえばウニ漁だろう。出漁には私がいなければ困るが、会議は私がいなくても、なんら支障がないからだ。
というような、私の「昨日・今日・明日」である。


すっきりしない八百長問題

2011年02月14日 13時28分10秒 | えいこう語る
相撲フアンの一人として「膿を出し切るまで土俵を開かない」という理事長の決意が、大相撲そのものの解体につながりはしないと、心配する。
世の中の不正はなぜ起きるのかというのを、感情だけに囚われず、理論的に考えてみたいという思いが湧き、櫻井稔著「内部告発と公益通報」中公新書を読んでみた。
牛肉偽装事件、警察や自治体の公金不正流用事件、原子力発電所のトラブル隠し、自動車のクレーム隠し等、世の中がこれほどの不正義で成り立っていることに驚愕した。
しかし、国民の公憤は、すでに薄れ掛けているのではないかと思う。
これらについては、マスコミの報道に対する責任もある。
森鴎外が指摘している。
「実にけしからん。このけしからんが義憤である。日本の新聞は社説を始め、雑報まで、このけしからんで充たされている。ことごとく義憤の文字である。僕はこの問題に深入りすることを好まない。とにかく義憤が恥ずかしいという感情が日本人にはかけているのは事実である」
現在に照らし合わせても、社会には膨大な義憤需要があり、その需要にこたえるため、マスコミが奮闘し、さらに義憤評論家、義憤大学教授、義憤漫才師が活躍している状況である。
不正を取り締まる側の警察の公金不正問題は、根絶されたかというとそうではない。警察は膿など出しきらないのである。
マスコミは警察の徹底批判は行わない。マスコミこそヤラセという八百長の権化だからである。
相撲界の八百長は、相撲フアンであれば誰もが心の深いところで容認し、国技として伝統的に了承していたのである。
そこをマスコミが一斉に袋叩きをする。国技として認められていた大相撲は、常識が一夜にして非常識の組織としてみなされたのである。警察のような武器も権力を持ち合わせていない大相撲は、もはや抵抗の余地もなくなったのだ。
世の中の義憤は、いまや大相撲に集中したのである。
※晴天と言えど、雲一つもないというわけでもない。


なんで組織が悪をなすかというが、答えは簡単だ。
「条件がそろえば悪事をなすのが人間という生き物の性(さが)である。人間が作っている組織なので、条件がそろえば悪事をなす。どんな精緻なチェックシステムを作っても、それを乗り越える不正は必ず行われ、また悪との戦いもなされる。不正の根絶がきしがたい以上、不正を正す努力は永遠に続けられる。この二者のバランスがどちらかに傾くかによって、社会の質の高さが決まることになる」
ということは、世の中が続く限り、悪はなくならないという結論のようにみえる。それを正すには、国民である我々の質が問われているということであろう。
国民の質が高ければ、マスコミの様々な義憤至上主義に踊らされることもなくなるのである。
肝心の「内部告発と公益通報」について触れなかったが、組織の不正を正すため「公益通報者保護法」が2006年4月に施行された。
その施行後、予想されていた内部告発として、自衛隊があげられていたが、尖閣列島のビデオ流出事件が起きた。
しかし、告発した当事者は、結果辞職を余儀なくされ生活の基盤を失われたのである。やるせないが、この法律は世の中は損か得かの社会でもあるというのも、前提にしなければならない法律でもある。
だが、八百長や談合も、防ぐことは可能なのである。
トップが絶対に許さないことを公言し、厳罰で対処するならば、不正行為は正されるはずである。したがって、内部告発も不要となると書いてある。
しかし、困ったことに曖昧な法律や規制が存在するからこそ、いわゆる裁量行政が可能となる。そのため、立法や行政側からこれを改めて、守ることが可能な質の高い規範を作ろうという動きは、出てこない構造になっていると、この本は締めくくっている。
話が難しくなったので、我が函館市に置き換えてみよう。
自治体の憲法といわれる「函館市自治基本条例」。中身はこの本の結論そのものである。
それを決議した市議会。承認した行政。
しかし、最終的な責任は、それらを黙認する市民にかかってくる。
民主主義とは市民主権だからである。
戦後66年目の今年。戦後民主主義の成熟度が試される、統一地方選挙がまもなくやってくる。
いつも思うのだが、一票を投じないという権利も、残されていると思うが、つい投票場に足が向く。八百長に加担したくないと思う気持ちも一緒に。


ヴァレンタインデーの記憶

2011年02月13日 14時49分05秒 | えいこう語る
還暦を過ぎると、記憶もひどく曖昧になってくる。
ありもしなかったことを、あったがごとく自分で創作し、インプットしてしまうということも多々ある。
高校の修学旅行時に、東京で「五月みどりショー」を観たという、私の記憶では映像のように鮮明に残っているのがある。
それは同級生の誰に聞いても、そんな事実がなかったという、私だけの虚構の記憶というものだった。
なぜそうなったのかは、いまだに解明出来ていない。
昨夜、函館市内のホテルで、高校時代の同期会があった。
昭和42年の卒業である。出席者全員の記憶も「曖昧な日本の曖昧な私」というような、感じである。
そんな状況を危惧したのか、幹事の発案で「思い出のクイズ」というのがあった。
当時の生徒会長は?校内マラソンでの優勝者は?学園祭のテーマは?などというものである。
もちろん記憶にはないが、幹事が説明を加え話を進めていくうちに、だんだん時代がよみがえってくる。なかなかの好企画である。
※函館は明治以降は大火の連続だった。東本願寺別院。耐火建築だ。
当時、コンクリートで寺を造るのかと批判されたらしい。


ヴァレンタインデーも近いというので、昔の女学生から、昔の男子生徒にチョコをプレゼントという、粋な企画もあった。
私もいただき、珍しく心がときめいた感じがした。
ところがバレンタインデーにまつわる、私のいやな記憶が蘇ってきたのだ。
参加していなかったが、私の友人にK君がいた。
彼は甘いマスクで、こころの優しい男だった。バスケットの選手で、その実績で大学に推薦されたという記憶がある。これも不確かだが。
彼が、後輩の女子からチョコレートを独り占めにしていた。そこで私は、甘い日なのに、苦い思いをした記憶だ。
社会に出てからもそれは持続していた。
いただくのは、職場を訪れる生命保険会社のオバサからだけだった。
その思い出を女性たちに話すと、自分たちの高校時代には、ヴァレンタインデーなんてなかったと、一同口をそろえる。
また私の記憶違いかと思ったが、隣の席に電子機器の社長がいた。彼が今流行の「I・フォーン」なる、グットアイテムを持っていたのだ。
それで調べてもらうと、日本でヴァレンタインデーが始まったのは、昭和36年らしい。私たちが高校に入学したのは昭和39年である。
当時は、東京で流行したものが函館に上陸するのは、2~3年はかかったので、私の記憶が間違っていなかったのを、文明の利器が証明してくれたのだ。
今回は私の記憶が、みんなを勝ったのだ。私は気分爽快になった。
でも、考えてみれば、私たち昭和42年の卒業組はとても仲がよく、団結力の学年と、同窓生からも言われているくらいなのである。
特定の誰かにチョコを渡すなんていうのはなかったくらい、兄姉のような仲のよさだったのである。私たちの同期には、そのような習慣は無縁だったに違いない。
二次会にも参加し、グループサウンズ時代の歌で盛り上がった。
帰りは妻が運転手を務めてくれ、帰宅は午前零時を回っていたという。
車中、もちろん妻に、自分の記憶が勝ったというのを、自慢したに違いない。
二次会の後は午前9時に目覚めた。ただそれだけの私の記憶である。


インフルエンザ

2011年02月12日 10時44分16秒 | えいこう語る
芥川賞作家、宮本輝の作品が好きだ。
読みだすとつい朝まで読んでしまうことが多い。
先日「森のなかの海」という、上・下2巻を購入し、読み始めている。
私の読書は、夜、布団に入ってからである。
晩酌が少し入っているので、読み始めがつまらなければ、寝入ってしまう。
興味を抱いた本は、睡魔に襲われ何度も本が手から滑り落ちて、眼をこすりこすりしながらでも読もうとする。
本を持ったまま眠ってしまい、妻にスタンドを消されるなんてことは、よくある。ちょっと古い話だが、進軍ラッパを持ったまま戦死した、忠臣滝口公平のようである。
「あなたの一つだけ感心なところは、寝る前に必ず本を読むことね」と妻がいうが、だからといって、自他共に認める読書家と呼べるものでも、まったくない。なにかを持たなければ寝付くことが出来ない、赤ちゃんのようなものでもある。
若い頃から酒好きだった私は、読書でもしなければ、ろくな人間にならないという恐怖感から、就寝前の読書の習慣がついたのだ。
しかし、酔いが圧倒的に向学心を上回るので、一冊を読むのに随分時間を要する。
読み終えた頃には、内容がよくわからないというものもある。
※椴法華港は避難港に指定されている。現在この沖には、大型の低気圧が発生している。


前置きは長くなってしまったが「森のなかの海」上巻を読み終え、下巻に入った。
ところが、5日連続出漁したため、身体が疲れ風邪をひいてしまった。
早めに布団の入りながらも、読書は続けた。
体力も衰え睡魔が襲うが、物語も佳境に入ってきたので、何度も本を落としながらも読み続ける。
ところが、急に内容がつまらなくなってきたのである。
宮本輝は私より一つ年上である。そろそろ能力も体力も限界がきたのだろうかとも思う。
こんなつまらない終章では、もう彼の作品は読むこともないだろうと思った時、目が覚めた。
本を開いたまま眠っていたのだ。
眠ってからのストーリーは、私が書き続けていたのだった。
そこから筆力が急激に落ち、内容がつまらなくなったのである。
インフルエンザはインフルエンス「影響する」という意味らしい。
私は風邪に影響され、夢の中で小説家になってしまったのである。
長いこと生きていて、様々な夢を見てきたが、小説家になった夢は初めてである。
今年のインフルエンザも、粋なことをするものである。


「巨大タコ」 講談師・かわぐち屋えいこう

2011年02月11日 09時41分23秒 | えいこう語る
或る、さむーい、冬の朝のことでございます。
水平線から立ち昇る、真っ赤な朝日に、今日の無事と大漁を願い、ウニ漁に出かけました。


船頭さんの手さばきは見事だ。岩についているウニを次から次へと、長い竿の先に付いた網で救い上げる。
いよいよ、採取時間も残り少なりました時、岩の間からタコの足がにゅるっと、出てきたのであります。
見事な太ももだ。かなり大きなタコだと、船頭が叫ぶ。
タコは好奇心が旺盛である。普通なら網に抱きついてくる。
そこを引き上げればいいのだが、この大タコ、なかなかの頭脳の持ち主らしい。
足なのか手なのかわからないが、穴の中から長い手を一本だけ伸ばし、網を絡めて、岩の間に引っ張り込もうとする。
あまりタコと遊んでもいられない。今日の勝負はウニ漁なのだ。
あきらめてウニ漁に専念していたら、網を探しにきたのか、穴からずずっ・ずずっと、姿を現しはじめたのである。
きょっ・・キョッ・・・巨大タコだ!
船頭は網を船上に引き上げ、タコの真上に船を移動させると、大きなヤスでタコの頭上から、渾身の力を振り絞り、ドーンと突いた。
びっくり仰天のタコ、両手両足を頭に上げ、フラダンスを踊ったかに見せると、墨を吐き、煙幕を張った。
「10分もすると、弱まぞ」と、船頭がいう。
ところが巨大タコ、頭にヤスが刺さったまま、ぐいぐいと穴に逃げ込み、両手両足で、ヤスを抜いてしまったのだ。

その夜、船頭の助手が、船頭宅に呼ばれました。
船頭が家に戻り、タコがタタミ一畳を超えていたと話すのを、家族・親戚の誰もが信用しないという。
酒の席である。船頭の助手はこう答えた。
タタミ一畳というのは、船頭さんの勘違いだ。それはそれは、タタミ3畳ほどの大きさだ」といった。
それは何でも、話が大きすぎると、一同目を丸くする。
それではと、ここは大岡越前守に、ご登場願うことと相成った。
一畳、三畳と両者譲らぬところではあるが、中を取って2畳にしよう。
ということで、お白砂は笑いの中に、めでたく一件落着を見た。
逃がした魚は大きいというが、小さい話より大きい話の方が、面白いものである。

身も心も凍てつく、北の海の、真冬のウニ漁。
こんなハプニングもあり、漁も楽しくさせてくれるのだ。
海は広いな大きいな。
「とどほっけ村、巨大タコ物語」これにて終演でございます。