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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

大地震

2011年02月02日 16時11分45秒 | えいこう語る
阪神・淡路大震災から、大地震を「オオジシン」と読むようになったようだ。
私はそれまで「ダイジシン」だと思っていた。
テレビでは、誰もが「オオジシン」という。
調べればいいもだが、全員が「オオジシン」と言うので、私もあきらめて、「オオジシン」と言っていた。
今、宮本輝の「森のなかの海」という、長編小説を読んでいる。
長編小説はあまり好きではないが、宮本輝作品はどんなに長くても、一気に読破できる。ここ数年では最も好きな作家だからだ。
この物語は、阪神・淡路大地震の朝から始まる。
※地震ではない。単なる手ぶれ。


こうなると「オオジシン」なのか「ダイジシン」なのか、白黒はっきりしたくなる。
「こちら校正室・まちがいだらけのことば選び」という、岡橋隼夫の本を見つけた。
その中に「広辞苑第4版でオオジシンを調べると「広域にわたり被害の大きい地震。また、ゆれの大きな地震」とある。
ダイジシンを調べると「マグネチュード7以上の地震。それより小さいものに、中・小・微小などの地震がある」と、書いてある。
ところが広辞苑第2版には「オオジシン」も「ダイジシン」という項目もない。
「安政」というところに、安政の大地震があった。そこには「安政のダイジシン」と書いてある。
安政大地震はマグネチュード8,4だそうだ。
だから7以上であるから、ダイジシンと呼ぶ。
私は広辞苑の第2版と第4版を持っているので、確認してみたらそのとおりだった。
だとすれば、阪神・淡路大地震はマグネチュード7,3である。
7以上なので、「ダイジシン」と読むのが正解であろう。
しかし、いまさら阪神・淡路ダイジシンが正しいと言ってみたって「イイフリコキ」といわれるだけである。
オオでもダイでも通じるので、ダイと言って「それは間違いだ、そんなことも知らないの」といわれた時には、丁寧に教えてやろうと思う。
でも最近は「オオジシン」が主流なので、私もそれに倣おうと思う。
あまり知ったかぶりをすると、あいつは「テンサイ」(天才・天災)だからと言われかねないからだ。


防災無線放送から地域主権を考える

2011年02月01日 10時38分54秒 | えいこう語る
私の村には、様々な情報を住民に知らせる防災無線が、村内全域にはりめぐされている。
昨年発生したチリ地震の津波による避難勧告も、役所から防災無線で周知された。
しかし、遥か外国の出来事による危機感の欠如からか、緊急を要する勧告にもかかわらず、避難した人はほんのわずかだった。
私の村ばかりではなく、周囲のすべてのマチでもそうだったので、マスコミにも問題視された。
危機感をどう感じるかは個人的な差はあるが、伝えたいものは、伝わらなければ意味がない。伝えるためには伝わる言葉で放送しなければならない。
※除雪しながら国会討論を聞いた。心に響いてこない日本語だ。


私の村の防災無線は、役所・消防・漁業組合から、放送できるシステムである。
役場の放送だ。「最近犬の徘徊が見受けられます。犬の放し飼いは条例で規制されています。気をつけてください」
「犬の放し飼いしないでほしい」という内容でいいのだが、高齢化の村には徘徊という言葉が妙に気になる。
放送する前に、それぞれの部署で内容を検討してるはずであるが、市町村合併以来、様々な地域からの人事異動がある。内部の意思統一が出来ているのか、ちょっぴり不安にもなる。
消防の放送だ。内容はほとんど火の用心についてだ。年がら年中内容は変わらない。
一朝有事のための組織なので、変わらないというのがベストなのだろうが、ソフト面の予防広報まで型にはまって、インパクトのない内容が多い。
いつも同じ内容だと、聞き流しが多いのが心配だ。それは広報にとっては、マイナスのはずである。
漁業組合の放送だ。組織自体はいたってラフで、堅苦しさの感じられない組織なのだが、こと放送になると、他の組織より内容が長く、文章がスマートに感じれないものが少なくない。
JR・JA・などと同様JFと変身したのだが、旧態依然の体質のような気がしてならない。
必要なことを伝えるのが放送である。
簡明な文章で、聞く側の心に届かなければならない。
小さな村である、軽快な音楽でも流しDJスタイルで、楽しく放送してもいいのではないかと思う。
例えばこうだ。
「漁師の皆さん、おはようございます。今日の気温は-5度、風も波も静かで、絶好のウニ漁日和です。オープンは7時から9時まで。今朝の目覚めの曲は、八幡町の小学3年生、00君からのリクエストで「♪AKB48のあいたかった」です。操業の安全、心から祈っています。以上、JFとどほっけ」♪
防災無線だから、用途が制限されているということではない。
要は税金が投入されているのである。村が楽しくなり、過疎という災害を防ぐ力を持てればいいのである。
地域主権とは、自主・自立のオリジナリティーに溢れた、地域づくりのことである。それは特区の時代でもある。
地域づくりとは、本来ワクワクするものである、と思うのだが。