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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

シンガポールからのお客様

2009年06月10日 14時44分03秒 | えいこう語る
村はずれの海岸に、私の妻が小さなレストランを開いてから、14年が経つ。
店の前は、北海道でも有数のサーフスポットだ。以前は全道大会や、全日本のプロの大会も開催したことがある。
企画したのは、サーフィンのまったくできない私だ。
村の中ではこのエリアが、湘南海岸のようで、ちょっぴりカッコイイ場所である。
全道各地のサーファーが波を求めてやってくるし、本州方面のナンバーの車も、時々海岸に見える。留学生らしき外人のサーファーも、時には来店する。
私も退職してからは、漁師見習をしながら、妻の指示に従い、店の手伝いをしている。
昨日、7人のファミリーが、ワゴン車から下り、店に入ってきた。
シンガポールから観光できたという。日本は初めてというわりには、レンターカーを借りての、ドライブだ。
田舎で、ボケーとした生活をしているところに、外国人客が7人というのは、私や妻にとっては、奇襲攻撃を受けたようで、対応に苦慮する。
シンガポールといわれても、マーライオンか旧日本軍の侵略しか頭に浮かばない。
「先の大戦ではお宅の国にご迷惑をかけて、申し訳ありません」というようなことは、私の英語力では無理だ。
とりあえず、料理の注文を受ける。
料理長である妻は、厨房から出てこない。少し興奮気味だ。
料理を出し終え、全部たいらげてくれたので、ほっと胸をなでおろした。
はるばる来ていただいたので、何とか歓迎の意思を示し、国際交流の一端を示したいとの義務感にかられるのが、我々世代だ。
そこで、隣町の縄文の温泉は、素晴らしいので、ぜひ入ってほしいと言おうと、中学レベルの単語を思い出しながら、何とか通じるだろうと覚悟を決め、話しかけた。
「次はどちらへ行きますか」という、最初の言葉が間違いだった。
若いパパさんは「エサンへ」と言った。・・・私は面食らった。
私は恵山とは逆の方面の説明をしようと思っていたので、恵山方面のことはどう言おうか考えていなかった。
すっかり会話不能になり、目の前が暗くなり、隠れるように厨房に戻った。
でも、店内をカメラで写し、店の外でも、写真を撮って、笑っていた。
たぶん、満足いただけたのだろう。
なんだかとても疲労感を覚えた、シンガポールからのお客様でした。


人のつながり

2009年06月07日 13時45分58秒 | えいこう語る
退職してから魚屋の移動販売をしている、隣町の男性と親しくなった。
その男性が、昨日奥さんを連れてやってきた。
私たち夫婦とは1歳年上の両人だったので、時代の価値観が共鳴し、話が弾んだ。
その奥さんが、壁に貼ってある私の筆字を見て、個性的で味のある字だとほめてくれた。奥さんも若い頃書道を習っていたという話しだ。それも自分で漢詩を作って、それを筆書きしたという。謙遜しながら言うが、たぶん相当な腕に違いない。
さらに驚いたのは、父親の従兄弟が書道の先生で、まさ子さんを教えていたという。まさ子さん?・・・な・なんと、皇太子妃の雅子さんだという。
なんだか魚屋さんが、今度は車に鯛だけ積んで、売りに来るのではないかという、思いに駆られる。
俄然、皇室と我が地域がつながったようで、威厳あふれる皇室が、身近に感じる。
実は、私と雅子さんの唯一のつながりは、音楽の趣味が同じことである。
他人には笑われるからめったに話さないが、お互い、JAZZピアニストのキース・ジャレットのフアンである。それに私の友人が、皇太子殿下と酒を飲んだことがある。
人のつながりの不思議さが?私の心を揺さぶる。
魚屋さん御夫婦が帰ったあと、久しぶりに、キース・ジャレットのCDを聴いた。
土曜の午後。雨がしとしと降っている。ウイスキーをグラスに注いだ。
「あなたはなんだかんだと話をつなげて、結局お酒を飲むんだから」
背後からいつものセリフが飛ぶ。・・・・・・・・・・・・・・


悪漢と呼ばれた男

2009年06月06日 16時15分45秒 | えいこう語る
悪漢と呼ばれた男
同じ村に生まれ、小・中・高校まで一緒だった男がいる。
腕力が強く、ちょっと乱暴そうに見えたが、気が優しくて人気のある奴だった。
悪さはしないが、自然児過ぎたので、悪漢と言うあだ名がついたようだ。
確か、彼の母親も「あの悪漢、またどごかさずらかった」というような言い方をしていたような記憶がある。
高校はラクビー部に所属し、勉強も相当がんばっていた。
本州の大学に入り、関西方面の会社に入ったことは聞いていたが、ほとんど顔をあわせないまま、お互い還暦を迎えた。
先日彼の父親が亡くなり、葬儀で顔を合わせた。
大正生まれの父親とは、近寄れば叱られるので、ほとんど会話したおぼえがないといっていた。
私は2年ほど前、近くの露天風呂で一緒になったとき、私が息子の同級生であるので気軽に話しかけてきたのだ。
自分が漁師としては、誰にも負けずにがんばったこと、馬鹿息子と呼んでいたが、大きな会社でがんばっていることを1時間近く話した。
そのことを彼に告げると、オヤジがそんなことを人に話すなんて、信じられないなーといい「オヤジもやはり迎えが来てたんだなー」と、しんみり語っていた。
その父親も、息子に話せない思いを、同級生の私に話したに違いない。
彼は退職したが、その才能をかわれ、今は親会社の某大手企業で、新人の研修
会の講師を務めているという。
「今の若い者は、俺たちの若いときとちがって、心が弱くできているので、そのケアを考えてやらなければならないんだ」と、話していた。
海の男、悪漢君も、都会暮らしが長く、洗練された、大人の男の優しさにあふれていた。きっと若い社員には、頼もしい先輩なのだろう。


カジカ

2009年06月04日 05時51分18秒 | えいこう語る
ずいぶん前のことだが、海に潜って自分の顔と同じぐらいのカジカに遭遇し「怪獣だ」と叫び、あわてて逃げた事がある。
水中眼鏡をしていたので、なおさら大きく見えたのだが、もしカジカが体長1メートルもあったら、間違いなく、海の怪獣である。・・・いや、海獣である。
昨日、妻がウオーキング仲間から、ホッケ2匹とカジカをもらってきた。
捌くのは妻がおこなったが、体長30センチほどのカジカのおなかが、パンパンに膨れていたそうだ。触ると非常に硬い。5つ子でも孕んでいそうなおなかの張りだという。
海底は未知の世界だ。何か恐ろしいものがおなかの中に入っているのではないかと、恐る恐る執刀したそうだ。
ななんと、自分の体長より大きなホッケを、U字型に押し込めて飲み込んでいたという。そのホッケが、たった今飲み込んだと思われるほどの活きよさだ。
妻は、2(ホッケ)+1(カジカ)=4になったと喜んでいた。
この数式の謎解き、私の推理ではこうだ。
バケツにはホッケ3匹とカジカが一匹入っていた。
カジカはその時点では生きていた。隣に旨そうなホッケが3匹。カジカは最後の晩餐と決め込み、ゆっくりゆっくり飲み込んだのだ。
おなかが満杯になると眠気がさし、熟睡しているところを、妻に料理された、というのはいかがだろうか。
最後まで、食い意地の張った海獣である。
その胃袋の魚を食べる私たち夫婦も、カジカから見れば、立派な怪獣に違いない。


海の見える病院

2009年06月03日 14時55分21秒 | えいこう語る
隣町の海岸沿いに、新しい大きな病院が建っている。
もし自分が入院をすることになったら、こんな病院で、海を見ながら本でも読んで過ごしてみたいなと思う。
実際この病院で、受診したとき、担当の医師に、この海側の窓枠を額縁仕立てにしたら、絵画のようで素敵ですねと話してみた。医師から、それはいいアイデアですね、と言われたことがある。
そんな話しを文学好きの女性に話したら、こんな言葉が返ってきた。
実はその女性の兄が、その病院に入院しているというのである。
女性の年齢から察して、その男性は70代だと思うが、生粋の漁師さんだと言う。
その病院のある町で生まれ、その海で暮らしてきた。脳の病気で倒れ、今は車椅子の生活になっているという。
その女性が病棟を訪ねると、毎日海を見るのがつらいのだという。
まもなく前浜は、夏の昆布漁が始まる。海に船が出ているのを見て、手伝えないのが悲しいと男泣きをするのだと、私に話してくれた。
闘病生活も徐々に回復に向かうと、この広々とした青い海原も、回復の原動力なのだろう。しかしそうでない方もたくさんいるのだ。
海の男のちょっぴり寂しい話を、朝の電話で聞いた。
薄曇の今日の海は、なんだか沈黙を保っているようにも見える。