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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

特攻の慰霊碑が撤去された

2008年05月15日 10時46分23秒 | えいこう語る
5月11日の朝日新聞に、日本軍の特攻隊員として戦死した朝鮮青年を慰霊するため、韓国と交流の深い女優、黒田福美さんらが韓国で記念碑を建立し、その除幕式に出席したが、左右両派の反対にあい実現できなかったとあった。
「韓国人であっても特攻隊員は天皇に忠誠を誓った人物」
「日本のために死んだものを称賛できない」等の、理由からだ。
それに対し黒田さんは「創氏改名で日本人とされて死んでいった人たちの、魂が帰れる場所を作りたい、という一心でやってきた。今回の問題の答えは、後に韓国社会自身が出してくれると信じる」とコメントした。
1910年、日本は韓国を併合し、過酷な植民地支配政策を展開した。
「土地調査事業」で朝鮮の土地を簒奪し「産米増殖計画」で膨大な米を日本に送り込み、地元農民を困窮状態にした。
「皇民化政策」により、無理やり日本帝國臣民とされ、戦争に駆りたてた。戦時体制下の「強制連行」では、日本各地で過酷な条件下で、労働を強制した事は歴史の事実である。
このような歴史をふり返ると、特攻で死んでいった朝鮮青年の魂が、いまだに彷徨い続ける運命にあるのは、悲しい限りだ。戦争による恨を乗り越え、平和のために互いに協力することが、犠牲者に対する最大の慰霊ではないだろうか。
昨年私は、函館文化観光検定の初級試験に挑戦した。
そのテキストブックを、函館市立函館高校(私の母校)で、生徒達の教材として使うという。函館の歴史を地元の高校生に学ばせるという試みは、歓迎したい。
そのテキストの「歴史文化遺産・産業遺産」という記述の中に、気になる箇所があった。
函館から国道278号線の海岸線に平行し、戦時中に建設された旧戸井線がある。津軽海峡を望む要塞の構築と、対岸の下北半島大間との航路を設ける目的で着工されたもので、アーチ型の橋がとても美しい。
開通まで後数キロという昭和18年、戦争による鉄不足で中断され、その後も再開されることがなかった「幻の鉄道」である。
その文中に「中国人や朝鮮人の強制労働力が使われたと言われています」との記述がある。
「言われています」という曖昧なものではなく、まったくの事実であり、戸井の長老達がその現場の実態を語っている。学生達に正しい歴史認識を持ってもらいたいので、その箇所を修正するよう、テキスト作成委員会に電話をかけた。「まもなく改訂委員会が開かれるので、伝えておきます」との回答を得た。
先の大戦は「自衛のための戦争」という人もいるが、日本が犯した行為に目をそむけては、真の「美しい国日本」はありえない。また、慰霊碑の妨害をした人たちも、何時までも恨(ハン)にとらわれ過ぎないようにしていただきたい。
最近の新聞報道によると、日本最古の寺院といわれる飛鳥寺のモデルは、韓国の王興寺ではないかとの見方が強まっている。
仏教は「寛容の精神」に満ち溢れている。
そんな共通の話題から、心のわだかまりを解いてもらいたいものだ。


1玉125万円の夕張メロン

2008年05月14日 12時12分08秒 | えいこう語る
13日の札幌中央卸売市場で、初競りの夕張メロンが、1箱(2個入り)
250万の高値で落とされた。昨年より50万高いという。
同じ日国会では、09年度からの道路特定財源の一般財源化を閣議決定し、道路特定財源を10年間維持する法案が再可決された。
メロンと道路法案、どちらも甘い汁が滴り落ちてきそうである。
私たち庶民にとっては「勝手に決めたら」という、投げやりな気分を味わった5月13日である。
夕張メロンはマスコミ報道での宣伝効果狙いである。昨年はそれをインターネットで競売にし、購入値段よりは安く個人に落札されたが、その差額でも購入業者は、宣伝効果としては採算が取れるというのである。
道路財源の一般化と言うが、地方の財源の確保という、歯の浮くようなお題目を真顔で唱へ、土建国家日本が地方に舞台を移すだけで、以前より活発に「政治活動財源の確保」を目論むだけの話に聞こえる。
自民党議員が朝のテレビで、道路建設に使われる年間費用は、いろいろ集めると8兆9,000億円にもなるという。82兆円の国家予算を考えると、メロンと同様に目玉が飛び出る金額ではないか。
私の隣町(人口約7,000人)で、最も大きい土建会社が先日倒産した。
4年前市町村合併をし、それにより町単独の予算が無くなり、会社経営の目途がつかなくなったことが最大の理由らしい。さらに道路特定財源問題が決まらず、仕事に待ったがかけられたのも、倒産の誘引となったのではないか。
その町は国道の建設と合わせて、道路特定財源を利用する2ヶ所の計画がある。
周辺を見渡しても、地方は道路特定財源に期待をしているのである。
一般財源化したら情報公開を徹底し、人々の暮らしに役立つよう工夫をして、税金の無駄使いを止めて欲しいものである。
こんな話になると一日が暗くなる。
そこで、安い値段のメロンを、最高に美味しく、気持ちの良くなる食べ方を、ブログ仲間の皆様に情報公開します。
500円ぐらいのメロンを購入し、仏前に供える。すぐ食べてはダメです。
ご先祖様に見守られメロンは熟成します。
頃合を見計らい、二つに割りラップで包み冷蔵庫で冷やす。冷えたメロンの種を取り出し、並々とウイスキーを注ぐ。後はご想像にお任せします。
ちょっとした工夫でメロンも、1個125万円の味になりますよ。


坊主憎けりゃ

2008年05月13日 11時39分03秒 | えいこう語る
Hさんは(男性80歳)漁師である。
現役は引いたが今でも漁の手伝いを、十分こなしている。パソコン歴も長く博学でもある。所謂、向学心に燃えたオジサンだ。
様々な役職もこなしていた。人前での挨拶は、前日にパソコンで原稿を作り、万全の体制で臨む。
日常使わなくなった、昔の味わいのある日本語をおりまぜ、落ちついて話す様は、初めての人は、職業が漁師であると言い当てる人はまずいない。
そのHさんが私にこんな話をした。
自分のお寺の住職が、あまりにも商業的で、住職としてどうしても尊敬できないというものだ。いくら話しても心が伝わってこないという。
宗派を変えることも考えているという。Hさんの様な思慮深い人がそういうのだから、その住職も相当ななまくらに違いない。
どんなに腹が立つことがあっても、住職に面と向かって怒るというのは、大抵の日本人ならはばかれるものだ。なぜなら最後には誰もが住職にお世話になる運命だし、死後の世界を住職に人質に取られているようなものだからだ。
「坊主憎けりゃ袈裟までも」という言葉があるが、自分の今の心境はその通りだとも言う。
私もなんと答えていいか思案に暮れ、「宗派を変えるというのは、ご先祖様が困るのではないですか」としか言えなかった。
帰宅してからことわざ辞典を調べた。
坊主憎けりゃ袈裟までも=人を憎むあまり、その人の持っているもの、物までも憎らしいと思われるとの意。狭量な人の陥る感情をいう。
Hさんは真面目な人だけに、その事だけに固執しすぎたため、視野が狭くなったのかなとも思う。しかし、Hさんの話を信じれば、その住職は私でも憤慨する。
怒りはその日の内に忘れる。人を許す気持ちが仏様の教えだろうとも思う。
しかし私たち凡人は、その日の内に怒りは収まらない。せめて翌朝まで持ち越しても仏様も許してくれるだろう。
そこでこう変えてみた。「坊主憎けりゃ今朝までも」
このあたりで、Hさんも笑って治めてくれるといいのだが。


北海道の交通事故死の減少

2008年05月12日 10時06分35秒 | えいこう語る
以前交通事故死ワースト1は、北海道がその席を死守していた。
不名誉な事であるが、雪が多く、多県の数倍もある面積、道外からの観光客による事故も多いからだ。
誰もがこの不名誉はぬぐい切れるものではないと、諦めていた。
しかしごく近年、この不名誉な席を他県に譲っている。今年の4月末現在、例年の半数の46人だと言う。10年前の年500人を超える事故死を思い出すと、驚くべき減少率である。
死者が減った理由として※無謀運転の減少※シートベル着用率の向上※ガソリン高騰によるによる交通量減、などが上げられるようだ。
私はその理由を全て満たしていたので、危ないと感じた走行は無かった。
積雪の少なさも幸いしたようだ。このペースで行くと、半世紀ぶりに年100人台も、というのも不可能ではないという。久々の明るいニュースである。
しかし油断禁物。北海道は5月以降の事故死者数が、年間の8割近くを占めるという。道警はこれから取締りを強化するらしい。7月の洞爺湖サミットあたりは、スピード違反の取締りが厳しくなりそうである。気を付けなければならない。私は以前捕まったのが、何処であったか忘れるぐらい、最近は優良ドライバーである。
だがわずかのスピード違反で警察に捕まると、無性に腹が立つ。あの第一声が気に入らない。「お急ぎでしたか」・・・(怒)・・パトカーのタイヤに穴をあけたいくらいだ。「車のメーカーに、スピードの出ない車を作るよう規制かけたら」とも、言いたくなる。
腹いせに、罰金の分だけ言いたい放題の罵詈雑言を吐いてしまう。
もし軍事政権下のミャンマーや北朝鮮に住んでいたら、即銃殺になるだろうなとも思う。言論や表現の自由の大切さを、私はそんな小さな場面で実感している。
交通事故死の減少から、こんな考えが浮かんだ。
無謀運転防止は、罰金額を大きくすると抑止力になる。
これは他国から攻められないように、軍備を増強する。凶悪犯罪防止のために死刑制度は存続する、ということと似た考えだ。
ガソリンは値上げすると、乗り控えて、環境にもいい。
これはガソリン税を徴収し道路財源を確保するため、環境問題を持ち出し値上げを正当化するということにつながる。
北海道の事故死減少の記事を見て、官僚や政治家がそんな自分勝手な解釈をしないだろうかと心配になってきた。なぜかと言うと、この頃の与野党政治家の討論が、私が交通違反で捕まったときの内容とよく似て、相手を打ち負かすことだけに、終始している気がしてならないからだ。


母の日に想う

2008年05月11日 11時10分00秒 | えいこう語る
母上様と呼ぶと、戦争で散っていった兵隊さんが、故郷のお母さんに先立つ不幸をわびて書いた、最後の手紙を思いだす。
母を呼ぶ言葉は「おふくろさん」「おかあちゃん」「かあちゃん」「おかん」人それぞれが、親しみをこめて、自分にぴったりの呼び方をする。
呼ぶ時は何かをねだる時、そして一番甘えたい時。
その呼ぶ声が届かないのか、時々報じられる子供への虐待、子捨て、子殺し。
先日北海道で外国人の夫が、離婚話のもつれから、妻を殺害し、子供を橋の上から捨てたという、心が凍りつく事件もあった。
昨夜こんな話を思い出した。
知人のおばさんから聞いた話である。
おばさんは4人の男の子に恵まれた。戦後の混乱期、子供を含めての8人家族は生活にもゆとりがなかったに違いない。
夫の兄は子宝に恵まれなかったので、そこに一人を養子に出した。
大切に育てられ、大学も終了しやがて結婚、二人の子供も生まれた。育ての親の援助もあり、家を新築したと聞いた。
養子に出して、幸せに暮らしているから安心だと、おばさんは話していた。
やがて育ての母親が亡くなり、おばさんは葬儀に出席した。
そのお通夜の席の事である。その子はおばさんを「かあさん」と呼んだと言う。・・・50歳にもなって、初めて「かあさん」と呼んだので、びっくりしたよとおばさんは言う。
育ての母親に遠慮して、今まで呼べなかったのだろうね、とも話した。
私も妻も、その時健在だった私の母も、その話しに胸が締め付けられた。
母と暮らす3人の兄弟。一人離れて暮らす自分。
母が居る自分が生まれた故郷は、距離は近いけど、どんなに遠くに感じられた事であろうか。
育ての母の死後、その人は離婚をしたと聞かされた。
「かあさん」と呼ぶことも躊躇われた、一人ぼっちの人生。
今日は母の日。母が去った今、私は妻のことをいつの間にか「おかあさん」と呼んでいた。