来年から始まる裁判員制度。他人の生涯を自分が左右する事になるので、もし指名されたら、非常に緊張を強いられるに違いない。
一番危惧するのは冤罪と死刑問題である。
自分が裁判員に選ばれ、結果的に冤罪になるような事件を、審査対象にされた場合、裁判官でさえ無実の者を犯人と決め付ける事があるのに、一般人がどの様にそれを無罪と判断できるだろうか。ぜったいに無理だと思う。
裁判員の素性は公表されないらしいが、私の判断が冤罪事件になったら、私にはなんの咎めもないだろうが、それではまるで無責任ではないか。
冤罪にされた人は、ほとんどが人生を台無しにされてしまうからだ。
もう一つ危惧するのは死刑問題である。
死刑執行をした後に、もし真犯人が見つかったら、自分が殺人者になってしまうからである。
最近の凶悪極まりない事件を考えると、被害者の家族に同情するのが、普通の人間の心情であろう。心優しくて涙もろい人は、公平な判断が出来るだろうか。裁判員制度が始まると、死刑が増えるのではないかと懸念する。
6日の北海道新聞「朝の食卓」に、元裁判官が「死刑判決」という。コラムを載せていた。
若いとき裁判長に「死刑判決はどうして被告人の生育歴から始まって、学歴・職業まで詳細に認定するのか」と質問した事があった。「死刑というのは一人の人間の全存在を、この世から抹殺する事になるからだよ」と教えられたという。その方は裁判官生活で、一度も死刑を言い渡す事がなく退官したが、死刑制度は廃止すべきだと考えていると書いてあった。
最近の死刑に値するというような残忍な事件は、以前のように貧困や怨恨によるというような、殺害動機がはっきり認定できる殺人事件ではなくなっている。
現在という社会が生み出す、得体の知れぬ強迫観念のようなものが、それらを後押ししているように思う。
誰が犯罪者の深層心理を、把握しているのだろうか。事件が起きるたびに「信じられない、考えられない」と異口同音に発するではないか。
タクシー運転手を殺害した米兵は「殺せという声が聞こえたので、誰でもいいから殺そうと思った」といった。戦争をし人殺しを容認する国家だから、このような人間が出てくるのではないだろうか。
戦争も死刑も国家による殺人だと言う考えもある。裁判官制度を前に、自らの勉強も大切であるが、死刑問題を勉強させる講演会なども、ぜひ開催して欲しいものだ。
一番危惧するのは冤罪と死刑問題である。
自分が裁判員に選ばれ、結果的に冤罪になるような事件を、審査対象にされた場合、裁判官でさえ無実の者を犯人と決め付ける事があるのに、一般人がどの様にそれを無罪と判断できるだろうか。ぜったいに無理だと思う。
裁判員の素性は公表されないらしいが、私の判断が冤罪事件になったら、私にはなんの咎めもないだろうが、それではまるで無責任ではないか。
冤罪にされた人は、ほとんどが人生を台無しにされてしまうからだ。
もう一つ危惧するのは死刑問題である。
死刑執行をした後に、もし真犯人が見つかったら、自分が殺人者になってしまうからである。
最近の凶悪極まりない事件を考えると、被害者の家族に同情するのが、普通の人間の心情であろう。心優しくて涙もろい人は、公平な判断が出来るだろうか。裁判員制度が始まると、死刑が増えるのではないかと懸念する。
6日の北海道新聞「朝の食卓」に、元裁判官が「死刑判決」という。コラムを載せていた。
若いとき裁判長に「死刑判決はどうして被告人の生育歴から始まって、学歴・職業まで詳細に認定するのか」と質問した事があった。「死刑というのは一人の人間の全存在を、この世から抹殺する事になるからだよ」と教えられたという。その方は裁判官生活で、一度も死刑を言い渡す事がなく退官したが、死刑制度は廃止すべきだと考えていると書いてあった。
最近の死刑に値するというような残忍な事件は、以前のように貧困や怨恨によるというような、殺害動機がはっきり認定できる殺人事件ではなくなっている。
現在という社会が生み出す、得体の知れぬ強迫観念のようなものが、それらを後押ししているように思う。
誰が犯罪者の深層心理を、把握しているのだろうか。事件が起きるたびに「信じられない、考えられない」と異口同音に発するではないか。
タクシー運転手を殺害した米兵は「殺せという声が聞こえたので、誰でもいいから殺そうと思った」といった。戦争をし人殺しを容認する国家だから、このような人間が出てくるのではないだろうか。
戦争も死刑も国家による殺人だと言う考えもある。裁判官制度を前に、自らの勉強も大切であるが、死刑問題を勉強させる講演会なども、ぜひ開催して欲しいものだ。