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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

裁判員制度と死刑問題

2008年04月08日 09時50分02秒 | えいこう語る
来年から始まる裁判員制度。他人の生涯を自分が左右する事になるので、もし指名されたら、非常に緊張を強いられるに違いない。
一番危惧するのは冤罪と死刑問題である。
自分が裁判員に選ばれ、結果的に冤罪になるような事件を、審査対象にされた場合、裁判官でさえ無実の者を犯人と決め付ける事があるのに、一般人がどの様にそれを無罪と判断できるだろうか。ぜったいに無理だと思う。
裁判員の素性は公表されないらしいが、私の判断が冤罪事件になったら、私にはなんの咎めもないだろうが、それではまるで無責任ではないか。
冤罪にされた人は、ほとんどが人生を台無しにされてしまうからだ。
もう一つ危惧するのは死刑問題である。
死刑執行をした後に、もし真犯人が見つかったら、自分が殺人者になってしまうからである。
最近の凶悪極まりない事件を考えると、被害者の家族に同情するのが、普通の人間の心情であろう。心優しくて涙もろい人は、公平な判断が出来るだろうか。裁判員制度が始まると、死刑が増えるのではないかと懸念する。
6日の北海道新聞「朝の食卓」に、元裁判官が「死刑判決」という。コラムを載せていた。
若いとき裁判長に「死刑判決はどうして被告人の生育歴から始まって、学歴・職業まで詳細に認定するのか」と質問した事があった。「死刑というのは一人の人間の全存在を、この世から抹殺する事になるからだよ」と教えられたという。その方は裁判官生活で、一度も死刑を言い渡す事がなく退官したが、死刑制度は廃止すべきだと考えていると書いてあった。
最近の死刑に値するというような残忍な事件は、以前のように貧困や怨恨によるというような、殺害動機がはっきり認定できる殺人事件ではなくなっている。
現在という社会が生み出す、得体の知れぬ強迫観念のようなものが、それらを後押ししているように思う。
誰が犯罪者の深層心理を、把握しているのだろうか。事件が起きるたびに「信じられない、考えられない」と異口同音に発するではないか。
タクシー運転手を殺害した米兵は「殺せという声が聞こえたので、誰でもいいから殺そうと思った」といった。戦争をし人殺しを容認する国家だから、このような人間が出てくるのではないだろうか。
戦争も死刑も国家による殺人だと言う考えもある。裁判官制度を前に、自らの勉強も大切であるが、死刑問題を勉強させる講演会なども、ぜひ開催して欲しいものだ。


青森での漁船転覆事故に思う

2008年04月06日 13時09分12秒 | えいこう語る
ホタテの産地と言えば北海道では、猿払村と佐呂間町が有名だ。
サロマ漁業組合のホタテ加工場を視察した事があるが、貝柱の大きさにも驚くが、海や山の環境保全についての理解と、漁業組合の経営の確かさにも感心させられた。さらにホタテ漁がだめになった時のことまでも、考えているのに驚きを覚える。
青森県の陸奥湾は全国有数のホタテの産地だ。
その陸奥湾で、ホタテの初出漁の5日に、8人乗りの漁船が転覆し、すでに1名の死亡が確認された事故が起きた。
私の村でもホタテの養殖事業が行われているが、魚船には2人、多くて3人しか乗らない。8人乗りとは、よほど大規模な養殖をやっているのだろうか。
船の片側に8人が仕事をすると、当然船が傾くはずだ。さらに当日は「突風注意」を漁業組合が伝えていたと言う。多分それらの事が重なっての事故のように思う。
さらに残念な事に、ライフジャケットを装着していなかったらしい。
海難事故を私も何度か前浜で見ているが、遺体が上がらない遺族の悲しみは、生涯心を苦しめるのではないかと思う。
先の戦争で、どこかの国の山野で野ざらしになって、いまだ帰らぬ遺骨を連想するからだ。ライフジャケットには、家族全員の名前を書き込み、家族のために装着を徹底して欲しいものだ。
海は突然狂ったように状況が悪化する時がある。それは大きな海難事故の事例から、学び取る事が出来る。「災難は、忘れた頃にやって来る」といわれるが、まさに忘れた頃にやって来て、それが遺体の上がらない事故につながるから、悲惨なのである。そこには人災によることも少なくないのだ。
先日海流が異状に早く流れ、風も出ていたのに、沖で養殖昆布を上げる船が数隻出ていた。沖から返ってきた漁師に、危険でないかと聞いたら「00さんが船を出したので、自分も出してしまった」という。
漁師には「人に負けたくない、人よりたくさん働いて稼ぎたい」という、漁師魂があり、それが危険を冒すのだ。ライフジャケットも動きが鈍くなると、装着しないらしい。家族の事を思い、ぜひ装着して欲しいものだ。
イージス艦事故の親子の遺体も収容されていないのに、また悲しい事故が起きてしまった。
海と毎日会話しながら生きている、私たちにとって、海を眺めるのがとてもつらい日々でもある。


福田内閣メールマガジン

2008年04月05日 10時41分51秒 | えいこう語る
自分の考えを聞かれているのに、まるで他人事のような会話をする福田さん。福田内閣メールマガジンに、どんな書き込みをしているのか覗いて見た。
そこに第4回アフリカ開発会議の親善大使に選ばれた、女優の鶴田真由さんが「アフリカを知るということ」という文章を載せていた。
鶴田さんはアフリカ各地を撮影などで訪問したという。そこで見たものは、他国の侵入により内戦や貧困に陥り、人生を翻弄されてしまった人々の姿である。
マリ共和国を訪れた時、現地のガイドさんにこう言われた。
「人は私たちのことを可哀想だと言いますが、私たちは自分のことをそう思ってはいません。日本のある団体から子供たちのためにぬいぐるみが贈られてきました。今、私たちに必要なものは、ぬいぐるみだと思いますか?」と言われ、ある種のショックを覚えたという。
国と国との関係を、人と人との関係に置き換えて考えた場合、相手にこう言わせてしまう裏には、こちら側のある種の傲慢さがあるからではないかと思う。今のアフリカに必要なものを私たちは持っているかもしれないが、私たちに欠けているものを彼らは持っていると思う、とも書いてあった。
相手が何を欲しているのか、私たちは普段自分自身の尺度で判断しがちだ。それは時には相手が望んでいないことを提供し、親切と思われるものが逆に迷惑な事になってしまうことがある。それは相手の考えている事をよく理解しないで、行ってしまうことによるものだ。
福田首相は自分が努力しているのに、他の人は理解していないのが不思議でならない、と言うような事をよく発言する。鶴田さんのこの文章を見て、日本の援助の仕方を考えてみる、と言う事などない人なのだろうか。
アジアに目を向けると、ミュンマー軍事政権は、アウンサン・スーチーさんをいまだに軟禁している。
我が国は援助国の中で、もっとも多額の資金を軍事政権に支援している。それによりミャンマーの国民に、どれほど迷惑をかけているのか計り知れない。
鶴田さんは、親善大使としての役割を十分理解している。福田首相も鶴田さんの爪の垢を煎じて、飲んでもらいたいものだ。
「そんなこと昔の話で、いま飲む人なんているんですか?いませんよね」とせせら笑う、福田さんのまのびした顔が浮かんでくるようであるが。


漂泊の歌人石川啄木の彷徨える句碑

2008年04月04日 12時32分44秒 | えいこう語る
我が石碑いたるところに立ち並ぶ
           渋民ほどの 小さき村にも   (えいこう)

享年27歳で夭折した天才石川啄木の句碑が、私の村に数年前から建っている。
啄木の句碑は、全国で50基を超えるという。沖縄県にまであるのだから、啄木人気もすごいものだ。
啄木が住んでいた函館の青柳町から、私の村までは約50キロ離れている。
歩けば丸1日かかるが、啄木が来村したという事実は1度も聞いた事がない。
謎めいたこの句碑の形跡を追ってみた。
函館の青柳町の啄木が住いしていた場所に、K(故人)という陶芸家であり、啄木を研究している人が住んでいた。Kはその場所に啄木愛好会の仲間から浄財を募って、石碑を建てたとみられる。やがてその場所は他人の土地であったため立ち退きを命じられた。
Kは陶芸の材料や愛蔵書の処理を、友人のYに依頼した。Yは私の村で陶芸をしているMに、それらをもらって欲しいと持ちかけ、Mは承諾した。その際石碑も処理して欲しいと頼まれた。高さ2メートル幅1メートルの石碑、壊して敷石にしてもいいと言ったが、Mも芸術活動をしている手前、石碑を壊すのにはためらいを持った。そこでMは自宅の向いに住む骨董品収集が趣味の、Sに話を持ちかけた。
Sは啄木が好きかどうかはわからないが、クレーンの付いたトラックを調達し、国道沿いの自宅前に威風堂々と据えつけた。
Sはポニー(子馬)を飼っている。石碑の近くで草を食む姿は、小さな村の心安らぐ長閑な風景を演出している。
車を停め、写真を写す人も多い。そんなことで函館市ではないが、ある町の啄木愛好会の目にとまったらしい。地元の教育委員会を通じてSのところに話があったという。多分この村に置くのは適当でないので、自分たちが引き取りたいという事だろうと推察する。
アメニティー(快適)という言葉がある。イギリスの自然保護団体の方が、この言葉の本来の意味は「あるべきところにある」ということだと話していた。
漂泊の歌人石川啄木の句碑は、私の村に落ち着くのか、はたまた運命や如何に?
昨夜こっそりS宅の石碑の句を調べてきた。
こころざし得ぬ人人のあつまりて  
酒飲む場所が我が家なりしか   (啄木) 

酒好きの私としては、あまり好まない句であるが。


「さくら」俺は待ってるぜ

2008年04月03日 09時17分43秒 | えいこう語る
今年の桜は、テレビで映し出されると、花の咲きがいつもより豪華に見える。
上野公園や隅田川沿いだろうか、春爛漫という風景が映し出されると、今年はいつもより、桜前線の北上が気にかかる。
期待感の持てない政治や経済、苛立ちさえ覚える世相。こんな鬱積した気持ちが根底にあるから、なおさらお花見でもしてみようと、心が急ぐのだろうか。
4月1日に全道の開花予想が発表された。
北海道で1番早いのは、250種1万本を誇る、松前公園の4月21日(9日早)である。日本最後で最北の松前城。その周辺の桜は、城下町桜としての風格を漂わせている。
お城の近く光善寺に、推定樹齢300年の「南殿」という種類の桜がある。
別名「血脈桜」と呼ばれる。「血脈」とは、死んだ人が仏になれるよう、住職が与える書簡をいう。
この桜老朽化した本堂建て直しのため、切られる運命だったが、前夜住職の枕元に絶世の美女があらわれ「死が明日に迫る我が身、私に血脈を与えてください」と。  住職は夢の中で血脈を与えた。
翌朝桜を切り倒そうとすると、その桜に昨夜自分が与えた血脈がかかっていたという。桜の精があらわれたのだと、伐採を取りやめ盛大に供養したという。
歴史ある町にはそれなりの物語があり、さすが北海道一の桜の名所である。
函館市は25日(8日早)で、満開は29日。例年ゴールデンウイークが満開であるが、やはり温暖化の影響に違いない。
函館公園と五稜郭公園が桜の名所だ。函館公園のそばの青柳町に、石川啄木が住いしたのが明治40年の5月初め。啄木は当然満開の桜をみているはずだが、彼は満開に咲き誇る桜が嫌いだったのか、桜の句はないようだ。
「石をもて追われるるごとく ふるさとを出でしかなしみ 消ゆる時なし」
生活苦で、満開の桜に石をぶつけていたかもしれない。
「函館の青柳町こそかなしけれ 友の恋歌 矢ぐるまの花」と歌っているが、
啄木は、函館に来たばかりなのに、ある女性に恋をする。友の恋歌なんていっているけど、自分のことではないだろうか。
その辺はさておき、啄木を偲びながらの花見も一興ではないかと思う。
五稜郭公園は、函館戦争で散った兵士たちに思いを馳せるのも趣があっていい。
我が村の桜といえば、消防署横の桜である。他が散っても7月になっても咲いている。「しぶと桜」といわれている?
私が命名したもので、以前地元新聞に、「しぶと桜を見て、民主主義を考える」と言う文章を載せたことがある。村の中でも「しぶと桜」という名前を知っているのは、新聞を読んだ数人だけだと思う。
「かつて桜は、その美しさと散り際の潔さから、軍人の象徴としての任を追わせられた不幸な過去もある。人道支援の美名にもと、多国籍軍への参加を絶叫する首相の独善的態度に「しぶと桜」も、心なしか不安げに揺れているようである」・・・北海道新聞「読者の声」欄に掲載。
今年は弁当持って 花見に行こうと、今から妻を誘っている。
「運転手は私ということでしょう」・・・「もちろん、飲酒運転は厳禁だからね」