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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

日常の「音」について考えた

2008年04月13日 14時43分20秒 | えいこう語る
私の住む小さな漁村は、朝目覚めるとほとんど無音の世界だ。
午前7時前。音といえばストーブの灯油が燃焼する音、掛け時計の秒針の音、妻が台所で朝食の用意をする音だけである。
新聞をめくる音が一番大きいようだ。テレビをつけると、音量をかなり下げても聞こえて来る。寝るまではいかにたくさんの音の中で、聴覚が惑わされているのかを知らされる毎朝である。
私の村は、昭和30年代には今の人口の3倍(約4,000人)が住んでいた。
車の走る音もほとんどなく、波・風・雨、それに犬や猫、鶏の鳴き声が自然の声であった。その中に、働く大人の声と、子供の遊ぶ元気な声が、村中の音のすべてだった。つまり雑音の少ない世界に住んでいたのだ。
子供の頃聞いた歌謡曲も、今でも歌詞を覚えているのは、そんな世界にいたからだろうか。
やがてテレビの時代に移ると、映像の世界に引きずり込まれてしまった。
写真機が発明された時、自分の姿が写しだされたことで、魂が奪われたと思った人がいたそうだが、私もテレビの世界に、今まで魂の半分ぐらいは、引っ張り込まれていたようだ。
家人が出かけたので、テレビとストーブを消してみた。音は時計の音だけだ。庭を眺めると、最近まで寒さでかじかんでいた石楠花の葉が、両手をひろげ春の訪れを喜んで、歌っているようだ。桜やつつじも日増しにつぼみを膨らませ「今年は花の咲きがいいですよ」と囁きかけてくる。
ここには音の無い世界の、自然との会話がある。
別に、テレビの悪口を言っているのではない。音や映像が氾濫している、生活の中に私はいたのだと、思い知らされているだけである。
私は文章を書くとき、音楽もテレビも人の話し声も消さないと、集中力に欠けほとんど書けない。若い時からである。生まれた環境のせいだろうか。
少子高齢化の過疎の地域は、昔と同様の雑音の少ない世界へ、突き進んでいるようだ。
私にとっては好ましい環境なのだが、それも過ぎると寂しい世界になる。
明日「新・あつい壁」という、ハンセン病患者の社会復帰を扱った映画を、見に行く事にしている。
音声と映像が巨大スクリーンで、視聴者に迫って来るであろうが、音声と映像が語りかけるもの以外の、言葉で語り尽くせない言葉を、たくさん聞きたいと思っている。
もの言わぬ木々と会話するように。


月光仮面のおじさんは、いつも正義の味方だ

2008年04月12日 10時13分39秒 | えいこう語る
昭和33年に始まった月光仮面は、国産初の連続テレビドラマで、放映回数は130回に及ぶという。
最高視聴率67,8%、平均40%を記録し、私たち少年時代の最大のヒーローである。少年たちの心に残したものは、悪を決して許さない「正義」という言葉の重さだろう。
モデルになったのは極真空手の大山倍達さんといわれる。終戦後、進駐軍が悪さをすると、あっという間に制裁を加え、昨日新宿今日渋谷という、神出鬼没の活躍をしたことからヒントを得たと聞いている。
月光仮面の原作者川内康範さんは、大正9年、石川啄木が住いしていた函館市青柳町で生まれ、父は日蓮宗の僧侶であった。
尋常小学校を卒業すると16歳で上京、日活・東宝などに勤め、脚本家や作家として活動し、作詞家として名をなした。
城卓也という北海道出身の歌手が歌って大ヒットした「骨まで愛して」の作詞を手がけ、松尾和子の「誰よりも君を愛す」青江三奈の「伊勢佐木町ブルース」と「恍惚のブルース」、それに森進一の「おふくろさん」も作詞した。
昭和50年から20年間にわたって、子供たちばかりでなく大人にまで夢を与えた「まんが日本昔ばなし」の監修にも携わっている。
開戦前には仮病を使い、軍隊から逃げ出した過去もある事実も、自分から語ったという。しかし仲間の多くは戦死したため、終戦直後から戦没者の遺骨収集を続けたが、巷間伝えられる氏の人脈からして、私は右よりの人だという印象が強かった。
だが「憲法九条死守」だったというのを最近新聞で知った。やはり月光仮面のおじさんは正義の味方であった。
昭和49年、函館駅近くのグリーンベルトに、月光仮面の銅像が建った。
その隣りには以前日活の映画館があり、近くに川内さんの親戚が経営していた「コルドンブルー」というクラブがあったのを記憶している。
故郷函館から悪を追放し、訪れる人たちをいつもあたたかく包んでくれる「おふくろさんのような街」になって欲しいと、草葉の陰で見守っているのかもしれない。
しかし函館では、前市長が現市長を名誉毀損で訴えるという、市民もあきれ返る、恥ずかしい事件が起きている。
銅像の台座には「憎むな 殺すな 許しましょう」と記されている。
「寛容」が市長たる者の、真の資質ではないだろうか。
「自分だけの正義」を振りかざす者には、月光仮面のおじさんは、救いの手を述べないであろう。川内康範さんのご冥福を、心よりお祈りいたします。


ダライラマ14世から学ぶもの

2008年04月11日 14時06分22秒 | えいこう語る
中国のチベットへの弾圧について、各国で抗議行動が起きている。
その抗議は、聖火リレーを妨害することで、中国の人権侵害を世界中に訴えている。イギリス・ドイツ・の首脳は北京オリンピック開会式への欠席を表明し、フランス大統領は、チベットと中国の対話をする事を条件に、出欠を保留している。オーストラリア首相は、中国国内で直接その問題を言及した。
ハリウッドの有名俳優達による中国批判は、大きな影響力を増してくるだろうし、日本でも文化人達が、抗議に立ち上がった。
世界の世論は、中国への人権侵害を糾弾する流れになっているようだ。
そんな状況の中で、チベット仏教の最高指導者で、ノーベル平和賞を受賞している、ダライラマ14世の言動が注目されている。
中国から分離独立派として批判されていることに対し「独立は求めていない、外交や防衛は中国の下であることでかまわない。我々は中国の中で、仏教、文化、教育、環境に関しては自治を持ちたい」と言い「オリンピックに招待されたら出席したい」とも語った。
実に懐の深い発言である。中国は世界4大文明の一つであり、歴史もあり、何よりもプライドの高い大国である。ここで独立など宣言すれば、武力行使もしかねない国である。相手をたて長い時間をかけて、自治を勝ちとろうという判断であろう。
ダライラマは今までに世界を駆け巡り、大勢の支持者を広げている。それが最強の平和の武器であろう。ダライラマは外交に長けているのである。世界の目をチベットに向けさせ、国民の人権を守ろうとしているのである。
我が国今の政治状況と比べてみると、子供と大人ほどの差がありはしないだろうか。
高齢者の年金から医療制度のお金を天引きするような国は、人権侵害の国ではないか。ガソリンが安くなると、ガソリンの使用が多くなり、環境が悪化するので値上げした方がよいということを平気で言う政治家。
拉致問題などほとんど口にも出さなくなった今の政府。以前と変わりない「島国日本」だと実感させられる。
ただ危惧するのは中国の態度である。彼らは口には出さないが「欧米各国は過去に於いて、中国の人権を侵害し領土を土足で踏みつけたのではないのか」と腹の底で考えていやしないだろうか。「開会式ボイコットはたいしたことではない。大会さえ始まれば世界中が喜ぶはずだ。内政干渉は許さない、チベット問題はただの国内問題だ」とも考えてはいないだろうか。
しかしIOC会長も、この問題に触れ中国を牽制した。
ダライラマの言動から学び取るものは、大きいものがあるように私は思う。


政教分離に抵触するのか

2008年04月10日 12時29分03秒 | えいこう語る
石川県白山市の市長が、市内の神社の行事に参加し祝辞を述べたのは、宗教活動になるので、公費による参加は「違憲」という判決が出た。
市長側は「全国的に有名なこの祭りは、市の観光イベントでもあり市長の参加は儀礼的交際」と主張したという。(4月9日朝日新聞)
地域の歴史的背景と、その神社の関係がよくわからないので、どちらが常識的だという判断は、そこに住んでいない私には出来ない。
北海道E町の神社のお祭りは深夜まで行われ、歴史もあり風格のあるお祭りだ。或る年、山車の電気系統からの火災で、焼死者が出た。深夜に及ぶ祭りは青少年の非行にもつながる、ということもあったらしく、警察は時間制限をした。
それに町民は怒った。「警察の歴史より、祭りの方がずっと長い歴史があるんだ」
町民の祭りに対する熱意に押され、警察は制限を撤回したという。
このような地域一体の祭りは、町長だろうが警察署長だろうが校長先生であろうが、全員参加し地域の一体感と町の盛衰を共有する事が必要だと思う。お祭りの元気さがその町の活性化の、バロメーターであると私は思っている。
過疎化や高齢化が進む中で、行政にもお祭りをどう活性化させるか考えて欲しいと、私は以前地元の首長に訴えた事がある。
「政教分離に抵触するので、それは出来ない」と一蹴された。それまでは神社の大祭式典に、首長が出席していたのである。
忠魂碑の移設をめぐっての公費支出が、政教分離に違反するとの判決が大阪で出たので、そんな答弁になったのであろう。
しかし、過去に私の地域では忠魂碑でおこなわれる戦没者慰霊祭は、行政が補助金を支出していたのだ。大阪での判決後あたりから、町内会連合会にその費用を回してよこした。田舎のことである。戦没者の供養に今まで出していた補助金をカットすると、行政への反発が出てくる。それでトンネル補助金にして、議会も認めたのである。役人の知恵は、あるものは工夫して出すのである。
当時、私も町会長をしていたので、この補助金はどんな主旨で町内会にまわしたのかと質問した。あきらかに担当者は困惑していた。田舎ではそれ以上追及しては、住みづらくなるから、その様な話は結論を出さないほうが無難なのだ。
一時地方の時代ともてはやされたが、バブルが崩壊後地方財源の切捨てで、一極集中にさらに拍車をかけている。限界集落の地域では、歴史あるお祭りが廃止の危機にさらされているという。それは地域の悲鳴でもある。
地域の祭りが元気を失った時、地域はやがて崩壊に向かう。
地域のお祭りには、目には見えないが「地方自治」を守る、何か大切なものがたくさんあるように感じるからだ。
昨日の福田さんと小沢さんの討論、心に響いてこないのは何であろうか。


組織犯罪を誘引する過程

2008年04月09日 07時56分31秒 | えいこう語る
北海道森町の消防防災センターの建設で、入札間際に入ってきた準大手ゼネコンが落札した。それに町側がゼネコンを組み入れるように働きかけたのではないかとの、疑念が報道されている。
森町の町長(79歳)は現在10期目で、道内最多選を誇る。
前回の選挙は、隣りの砂原町との合併後の選挙であった。地元森町から多選を阻止しようと、前回出馬して敗れた、若い候補が再度挑戦した。
さらに合併した元砂原町長が立候補を表明した。森町より人口が少ないとはいえ、砂原町の代表が出るので、興味深い戦いになると周囲は見守っていた。
しかし、砂原町議会が動いた。せっかく合併したのだから選挙で混乱を招く事は、今後のマチづくりによい影響は与えない、というような、わけのわからない判断で、元砂原町長は、出馬を撤回してしまった。
森町では商工会議所の若手が動き、立候補者二人の公開討論会を開催した。その討論会を見学した。
現職は経験と実績を主張し、若い挑戦者は、それらによる弊害を訴えたが、結果町民は10期を許した。
10期といえば、行政を頂点とするあらゆる町内の組織が柔軟性を失い、機能が停滞し始めているのが、気づいている筈である。しかし町民もその「しがらみ」から、抜け出す事は出来なかったようだ。
数年前、町の女子職員が女性を恐喝した事件が起き、得意なケースで驚いたものだ。さらに、森町から選出されている道議会議員2人が、贈収賄と選挙違反で逮捕されるという事件が起きた。これらの異質な事件は、地域環境と関係がないことなのだろうか。
私は特に違和感をもったのがある。10期目当選後、出馬を断念されられた元砂原町長が「元町長としての実績を生かして欲しい」と森町長に要請され、教育長に抜擢された事である。
このあたりから、この町の行政に漂う、ある種の異臭を感じていたのである。
先日札幌に行く途中、その消防防災センターの前を通過した。
建設費5億3千円という立派なものである。さらに入札価格が、予定価格の98%という。市町村合併特例債を使い「町民の生命・身体・財産の保全」に力を入れる、10期目(たぶん最後)の強い政治姿勢を感じ取った。
森町のオニウシ公園は、眼下に太平洋を見下ろす丘の上にある、桜の名所でもある。桜祭りが開催されるたび、町長は数え切れぬほどの挨拶をして来たに違いない。満開の桜に権力で君臨する我が世の春しか、見ていなかったのであろうか。散り際の美しさも、桜が私たちに語りかける人生訓であるはずだが。