函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

岩に名を残した男

2012年03月16日 16時40分02秒 | えいこう語る
椴法華村にKさんという、明治生まれの男性がいた。
Kさんは網元の次男に生まれ、若い頃は苦労知らずのやんちゃ者であったという。様々なエピソードの持ち主だが、その一つを紹介する。
ある朝Kさんが起きて来ないので部屋に行ってみると、寝ているようだが返事がない。布団を剥ぐと「東京」とだけ書いた紙があったという。どうやら朝一番のバスで、村を脱出したらしい。Kさんは普段から魚場のヤン衆連中に「俺、東京へ行ってタクシーの運転手になる」と、豪語していたようだ。
大正末期から昭和初期まで、東京のタクシーはどこへ走っても1円だったので「円タク」と呼ばれていた時代である。タクシーの運転手になるにはまず助手として同乗し、修行を続けなければならなかった。エンジン始動時には、車外に出てクランクシャフトを手回したりする仕事や都内の地図を覚えるなど、北海道の田舎から突然都会に出た者には、相当厳しい修行だったらしい。
Kさんは半年で夢破れ来村することになった。田舎で言えば「いいふりこき」よく言えばお洒落だったKさんは、東京の記念として中古のヴァイオリンを購入し、近所の人を集めては東京での話を面白おかしく語り聞かせたという。習ったわけでもないのに、演歌師よろしくヴァイオリンを弾き聴かせたそうだ。
ところが「ギーギー」という耳障り音だけが残り、村人はKさんを「ギーギー」と呼ぶようになったという。
Kさんが亡くなってから、北海道新聞夕刊の釣り情報欄に、時々椴法華村銚子岬の情報が掲載され、そこに「ギーギー岩」という名称が出てくる。そこでKさんのご長男が村の古老数人から、その真相を突き止めたという。
※この岬にその岩がある。


「あの岩に、毎日のように一番乗りで釣りに来るお前所(オメドゴ)の親父(オヤズ)は、一人か二人しか座れねえ場所に陣取って、他の奴がそごにいれば「オラの場所だ」というもんだから、みんな半ば呆れて、そごば指定席に認めて空けるようになったね。オメドゴのオヤズの綽名は「ギーギー」だから、誰言うともなしに「ギーギーの岩」と呼ぶようになった」と話してくれたという。
ご長男は、来年は父の27回忌法要を迎えるが、草葉の陰で得意のヴァイオリン演奏を、みんなに披露するに違いないだろうと語っていた。
Kさん、実は私の親戚でもあり、私の記憶にもその姿がある。
明治生まれの頑固さと大正ロマンを心に秘め、激戦の地にも2度も招集された、生粋の帝国軍人でもある。
昔は、今も語り草になる個性の塊のような先人が、村にも多くいたのである。
「岩に名を残した男」そんな我が村の異人伝の一つである。
                  2006年の思い出話より。


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2 コメント

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Unknown (花てぼ)
2012-03-18 17:50:03
この岩、ローレライそっくりですね。
美しい女の妖しい歌声ならぬギーギーおじさんがヴァイオリンを奏でるのですね。いい伝説です。
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Unknown (■かわぐち えいこう)
2012-03-21 15:25:38
花てぼさんへ。夜釣りをしていて「ギーギー」と鳴れば、みんな逃げるかもしれませんね。みんな逃げたあとゆっくり釣りをするというのも、またいいかもしれません。わたしも正確な場所を知りませんので、調べておきます。
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