函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

第三者委員会を疑え

2024年09月05日 08時28分54秒 | えいこう語る

▼2021年いじめを受け、旭川市の公園で凍死した女子中学生の事件は、北海道民の心に深く重い影を焼き付けた。

▼深々と降り積もる雪の中、神の‟立ち上がれ”の声は、中学生に聞こえなかったのだろうか。聞こえないほどいじめの行動は、神の声まで塞いだのだろうか。

▼第三者委員会(審議会)は黒塗りの報告書を提出した。黒塗りとはプライバシーの保護を目的とするが、率直に言えば関係者の「隠蔽体質」だろう。

▼教育界は正当性が組織の正義のような存在だ。教育関係の委員を何年か務めたがあるが、
端的に言えば「批判は許さない」という、同調主義が感じられる。

▼活発な意見が出ない会議が、教育関係の会議だ。「異議なし」を前提とする意識が、会議の暗黙の了解のように感じるからだ。

▼コロナ禍で生徒全員にタブレットが支給され、教育環境が一転する。デジタル化教育は世界の潮流のようだが、その混乱に対処する処方が見えないままに進んでいるようだ。

▼アナログ世代の多くは、混乱しているように思う。教育現場もこの急加速には戸惑いを感じているようだ。

▼だがこのような混乱を呈している発言内容は、会議の場では聞こえてこない。聞こえてこないのは、何が原因なのかというそのものが、急加速化するデジタル社会にあって、テーマを絞れないからだ。

▼ましてや人命を失う‟いじめ問題”。被害者保護の立場ばかりではなく、加害者保護の立場も同時に討議されるだろう。

▼命を絶った人間より、今後生きていく加害者の、健全な精神状態を保持する傾向に、討論が傾きやしないだろうか。

▼究明会議は第三者委員会(審議会等)が設置される。また教育員会には既存の第三者委員会が設立されている。

▼この手の問題は、ほとんどが非公開となる。非公開の理由は、委員に負担をかけないということらしい。しかし委員を保護するというより、組織の失態が暴露されるのを防ぐということに重点が置かれがちだ。

▼会議終了後には報告書が出る。「黒塗」が多い。こんな状態であれば、子供の命が奪われる問題に対し、なんら解決には向かっていない。

▼「黒塗」とは戦後間もないころの教科書だ。戦争に教育が、積極的に加担したことを隠蔽するためだ。

▼第三者委員会のメンバーがどんな人物で、どんな発言をしているのか、市民がよく理解できて、初めて「いじめ問題」は解決に向かうはずだ。

▼「プライバシー保護」などというのは「いじめ問題解消」には不適切だ。委員になった者もその責任を重くとらえ「非公開」等というのを拒否しなければならない。

▼究明しなければならない問題を「非公開」にしてしまえば、それ自体究明にほど遠くなるからだ。
 
▼旭川市は再審査委員会を設置し、教育問題のスペシャリスト尾木直樹(通称尾木ママ)に依頼した。だが再審査委員会の委員の公表はされているのだろうか。

▼どんな人物がどんな発言をし、それを尾木氏がまとめたという内容が公表されなければ、尾木氏の知名度で終了ということになりかねない。

▼市長は遺族側と協議し『公表版』を作成するという。これはあまり感心することではない。遺族側が考慮しすぎたものになりかねないからだ。

▼いじめ再発を防ぐには、第三者委員会の委員の発言と公開が必要だ。誰がその責務を全うしているのかも、極めて重要なことだからだ。まさかと思うが、加害者側の関係者も含まれる可能性もあるからだ。

▼さらに尾木氏の会見で、ちょっぴり心に引っかかるものがある。「生徒間で十分な理解がないまま、インターネット上のトラブルも発生した」という発言だ。

▼教育現場に急速に広がるデジタル化。さらに無限大の世界に子供たちを誘う『AI化』。
教育現場の混乱も、今後のいじめ問題には不可欠な要素だ。

▼尾木氏は「市教委第三者委員の調査に加え、再調査が行われたことについて、前の方が手を抜いていることではない」という。

▼この言葉の裏には、前の調査ではだめだという言葉が隠れているような気がする。「法令に基づいて、ちゃんといじめを定義すること」とも述べている。

▼教育現場は戦前さらに戦後を通じて「聖域」と思われがちな風潮が国民にもあるように思う。それが教育関係の会議で、意見が不活発な理由ではないかと思う。

▼この事件後も旭川市では、いじめで橋の上から突き落としたという、悲惨な事件が起きている。

▼旭川の歴史をよく知らないが、戦前は陸軍第7師団の本拠地で『軍都』としてのプライドがある土地だった。そんな影響が現在まで残ってはいないだろうか。

▼私の父も旭川師団に入営した。今生きていたなら、そのことについて尋ねてみようと思うが、すでにこの世の人ではない。その父も戦前教育を受けて、戦後教員だったからだ。

▼戦後79年。周囲に戦争を語ってくれる人もほとんどいない。戦争について、国家も国民も真剣に討議してこなかったように思う。

▼そして戦争を知らない議員たちが『憲法改正』を声高に叫ぶ世の中になってきた。『天皇制の批判なき国家には、真の民主主義は存在しない』という、ある憲法学者の言葉が妙に心に引っかかる「旭川いじめ問題」の新聞報道だ。

▼書き終えて思い出したことがある。原子力規制委員会という第三者委員会だ。規制しようとする意見を、規制する委員会だ。