▼最近会議などで、マスクを着用しない人が目立ってきた。コロナウイルスが蔓延した時は、政府がマスク着用を奨励した。そういえば、総理が税金で国民にプレゼントした、アベノマスクというのもあった。
▼不着用に罰則はなかったが、自己防衛というより、相手に不快感を与えてはならないという‟同調圧力”を感じ、ほぼ国民全員がマスクを着用していた。日本人は「一丸」となる民族だということを、改めて実感した。
▼北海道釧路市に近い白糠という町がある。この12名の議会では、着用することを申し合わせた。
▼だが着用しない議員が一人いた。議長は退席を命じたが応ぜず、その議員は、申し合わせの取り消しを求め、提訴したが敗訴した。
▼議会は辞職勧告決議案を可決した。しかしこの決議には法的拘束力はないので、本人は辞任しないという、そんな事件内容だ。
▼その議員はコロナに感染しているのに、マスクを外して出席したのだろうか。それなら他に感染させる要素が大きいので、その議員の言い分は不適切だ。
▼そうでないなら、その議員の主張は認めてもいいのではないか。世の中には皆と同じでなければならないという「平等意識」という‟差別意識”がある。
▼一人だけの意見を認めれば、全体にも影響を及ぼすという感情だ。それを‟わがまま”として、従わせる傾向がある。「没個性」でもあるし「適応障害」などという、差別言葉もある。
▼そんなレッテルを張られたら、そのコミュニティーでは生きずらくなる。昔でいえば地域ぐるみの「リンチ」事件のようだ。それが行き過ぎれば、いわゆる「神隠し」だ。
▼そんな狭い日本社会に、脈々と温存されているのが「排除の理論」だ。何もそこまで考えなくてもいい問題のようだが、現在「民主主義の劣化」が叫ばれているので、ちょっぴり気になる問題だと考えたからだ。
▼「辞職勧告決議案」は議長と本人を除く、10人で行い「9対1」で可決された。しかし民主主義とは、少数の意見を尊重するとある。
▼9人は完全に「排除」だ。だが1人は、個人の主張も尊重すべきだという、意見の表れのように思う。
▼米国同時多発テロ事件の報復で、米国は大量破壊兵器を保有しているとし、フセイン体制の壊滅を議会に提出した。その時の米下院で、ただ一人黒人女性議員が反対した。
▼結果、フセインは殺害されたが、破壊兵器はないということが判明し、米国の嘘が発覚した。これは圧倒的多数の採決で行われたので、おとがめなしということになった。
▼これは「同調圧力」による「民主主義の劣化」だ。民主主義の意思決定である「多数決」が正しいとは言えないという実例だ。
▼たかが北海道の小さな自治体と、米国の民主主義を比較するのはおかしいと思われるが、
『地方自治体は民主主義の学校』といわれる言葉を、忘れてはならない。
▼白糠議会では、議会運営がスムーズにしたいというので「排除」を優先したのではないか。昔の言葉を思い出した。
▼『邪魔者は消せ』。だが、我が国会では「脱税議員がのさばっている」。変な議会制民主主義だ。
▼我が国は大虐殺の末、敗戦した。そこで得たものは「民主主義」だ。その宝物を守るのは、主権者である私たちだ。
▼だが主権の行使は「議会制民主主義」に任せっぱなしだ。その任せっぱなしが今の議員の体たらくだ。
▼「議会制民主主義」の劣化は、民主主義の危機だ。民主主義が崩壊すれば、どうなるかは歴史が証明している。
▼キシダ総理は、国会の混乱に乗じ『戦闘機の輸出解禁は、日本に好ましい国家安全保障環境を実現できる国益になる』と明言した。
▼野党の繰り返す鋭い質問に、頭の神経が分断されたようだ。もちろん同じ穴のムジナ、公明党もだ。
▼誰かが言った言葉が浮かんできた。
【自民党に天罰を、公明党に仏罰を】。
▼不着用に罰則はなかったが、自己防衛というより、相手に不快感を与えてはならないという‟同調圧力”を感じ、ほぼ国民全員がマスクを着用していた。日本人は「一丸」となる民族だということを、改めて実感した。
▼北海道釧路市に近い白糠という町がある。この12名の議会では、着用することを申し合わせた。
▼だが着用しない議員が一人いた。議長は退席を命じたが応ぜず、その議員は、申し合わせの取り消しを求め、提訴したが敗訴した。
▼議会は辞職勧告決議案を可決した。しかしこの決議には法的拘束力はないので、本人は辞任しないという、そんな事件内容だ。
▼その議員はコロナに感染しているのに、マスクを外して出席したのだろうか。それなら他に感染させる要素が大きいので、その議員の言い分は不適切だ。
▼そうでないなら、その議員の主張は認めてもいいのではないか。世の中には皆と同じでなければならないという「平等意識」という‟差別意識”がある。
▼一人だけの意見を認めれば、全体にも影響を及ぼすという感情だ。それを‟わがまま”として、従わせる傾向がある。「没個性」でもあるし「適応障害」などという、差別言葉もある。
▼そんなレッテルを張られたら、そのコミュニティーでは生きずらくなる。昔でいえば地域ぐるみの「リンチ」事件のようだ。それが行き過ぎれば、いわゆる「神隠し」だ。
▼そんな狭い日本社会に、脈々と温存されているのが「排除の理論」だ。何もそこまで考えなくてもいい問題のようだが、現在「民主主義の劣化」が叫ばれているので、ちょっぴり気になる問題だと考えたからだ。
▼「辞職勧告決議案」は議長と本人を除く、10人で行い「9対1」で可決された。しかし民主主義とは、少数の意見を尊重するとある。
▼9人は完全に「排除」だ。だが1人は、個人の主張も尊重すべきだという、意見の表れのように思う。
▼米国同時多発テロ事件の報復で、米国は大量破壊兵器を保有しているとし、フセイン体制の壊滅を議会に提出した。その時の米下院で、ただ一人黒人女性議員が反対した。
▼結果、フセインは殺害されたが、破壊兵器はないということが判明し、米国の嘘が発覚した。これは圧倒的多数の採決で行われたので、おとがめなしということになった。
▼これは「同調圧力」による「民主主義の劣化」だ。民主主義の意思決定である「多数決」が正しいとは言えないという実例だ。
▼たかが北海道の小さな自治体と、米国の民主主義を比較するのはおかしいと思われるが、
『地方自治体は民主主義の学校』といわれる言葉を、忘れてはならない。
▼白糠議会では、議会運営がスムーズにしたいというので「排除」を優先したのではないか。昔の言葉を思い出した。
▼『邪魔者は消せ』。だが、我が国会では「脱税議員がのさばっている」。変な議会制民主主義だ。
▼我が国は大虐殺の末、敗戦した。そこで得たものは「民主主義」だ。その宝物を守るのは、主権者である私たちだ。
▼だが主権の行使は「議会制民主主義」に任せっぱなしだ。その任せっぱなしが今の議員の体たらくだ。
▼「議会制民主主義」の劣化は、民主主義の危機だ。民主主義が崩壊すれば、どうなるかは歴史が証明している。
▼キシダ総理は、国会の混乱に乗じ『戦闘機の輸出解禁は、日本に好ましい国家安全保障環境を実現できる国益になる』と明言した。
▼野党の繰り返す鋭い質問に、頭の神経が分断されたようだ。もちろん同じ穴のムジナ、公明党もだ。
▼誰かが言った言葉が浮かんできた。
【自民党に天罰を、公明党に仏罰を】。