▼最近の裁判事例をみると、ずいぶん裁判の判断が揺れているように思う。日本国憲法の解釈も時代背景と共に変化を見せているのだろうか。
▼近年民主主義の価値観も揺れ始めているようだ。戦後民主主義教育で国民としての価値観を学んできた私たち高齢者も、最近の常識の判断にぶれが生じているのを実感するこの頃だ。
▼単純に考えれば、我が国でアベシンゾウが総理になった時からではないかと思う。その時の米大統領はトランプだ。
▼米国は我が国に民主主義を植え付けてくれた国だ。その大統領が米国民主主義を自らが変化させようとする。
▼そして再び大統領に選ばれた2025年からは、今までの米国民主主義を、大幅に変えようという姿勢が目立つ。それは自分のブレーンにイーロン・マスクを採用したことに尽きる。
▼これは自国の憲法解釈をも変えようという考えだ。「米国第一主義」とは、自国の利益のみ優先する、民主主義の根本精神とは反する考えだ。
▼シンゾウも現役時代から「憲法改正」を前面に出した。目的は「憲法9条」だ。「日本第一主義」を目指すためには「軍事力を背景」とする、米国並みの強い国家を目指そうという考えだ。
▼日本国憲法「第20条第2項」だ。「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教の活動をしてはならない」とある。
▼だがシンゾウは自ら、統一教会の広告塔となり活動を始める。そして自民党議員も、その宗教の信者のようにふるまった。
▼統一教会は他の宗教団体より巨額な献金を信者に強いた。家庭内崩壊をした信者の息子がシンゾウを銃撃し、シンゾウはあっけなく葬られた。
▼大雑把に考えれば、一宗教に加担した憲法違反の総理が襲撃された事件だが、自民党は「国葬」とした。自民党葬で葬儀は統一教会が仕切ればよかったような事案だ。
▼最高裁も憲法違反者の「国葬」は認めないという判断が妥当ではないか。自民党も「国葬」としたことで、シンゾウの犯罪行為は国民も納得したと思い込んでいる。
▼もし憲法違反者と決めつけられれば、シンゾウの「国葬」はなかった。そうであれば「政治資金問題」も、あっさり決着がついていたのではないだろうか。
▼「国葬」にしたため、シンゾウの罪は追及できにくくなってしまったからだ。さらにシンゾウの活動が「憲法違反」だとすれば、イシバ総理の「10万円商品券問題」は、まったく「公職選挙法違反」として失脚は免れない。
▼「陸・海・空」を一元化する体制が整ったという。まるで「大本営」の再来のようだ。世界が混迷する中自衛力の強化だという。
▼普通に考えれば「9条」違反だ。新年度予算案成立などという話ではない。だが野党内でも「自衛隊の憲法違反」について言及しなくなった。
▼シンゾウの「国葬」に対し、国民も異をとなえたわけではない。国民も世界の現状を見れば「9条改正」に対し、そんなに違和感を持っていなくなったようだ。
▼憲法は国家の『基本秩序』だ。それの解釈が緩んできたのが「民主主義の劣化」という現象なのだろう。
▼自衛隊は自衛隊のままで居れば、民主主義国家の守護神だ。軍隊となれば「巨大な暴力装置」となる。
▼それは80年前の日本の姿だった。「敵基地攻撃能力」などという言葉が飛び交う政府など、民主主義国家の政府とは言えない。
▼80年前の記憶を継承することが「平和国家」の国民の使命だ。『人間が人間でなくなるのが戦争だ』というのが【日本国憲法第9条】ではないかと思う、後期高齢者の私だ。