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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

核兵器廃絶とノーベル平和賞

2025年01月09日 11時45分29秒 | えいこう語る

▼昨年日本被団協が、ノーベル平和賞を受賞した。被団協という一団体が受賞する前に、世界で唯一の被爆国、日本政府が受賞するべきだろう。

▼日本では平和賞は二度目だ。最初は沖縄返還の時の首相だった佐藤栄作だ。「非核三原則」という美名の下、核搭載の米軍艦の入港は黙認される。

▼「核の傘下」という我が国の安全保障の体制は維持され、ますます強固と化してきた。この平和賞受賞の裏には「政府による米国への資金提供」という密約があった。

▼沖縄返還による「平和賞」は、我が国の政治資金の裏金の力によるものだ。国家間の問題解決には、莫大なお金が使われるというのは、国民にも暗黙の了解があるからだ。

▼そうであるから、自民党は政治献金の廃止などは、自分たちのためでもあるが、国家安泰資金の確保という側面もある。

▼なので絶対離したくない政治的必要経費だ。だが現在は、自分の懐を温めるためる‟国壊欺員”が多いようだが。

▼今回の被団協の受賞は、日本政府が世界平和(核廃絶運動)のため活動しないので、被団協の努力に対し、ノーベル平和賞が授与されたものだと思う。

▼この受賞は【憲法第9条】の『戦争放棄』をないがしろにしようとする、改憲派のイシバ総理に対する強烈なストレート・パンチではないか。

▼被団協の受賞に対し、先に会談を申し込んだのがイシバ総理だ。被団協に対し‟先制口撃”をかけようとの魂胆が見える。

▼開始前に『今日は議論の場ではない』と宣言したようだ。そして自らの防衛論を披露し、総理の独壇場となったと被団協側は嘆き驚く。

▼さらに総理は『米国の拡大抑止を認め、核依存を強める方針について、安保環境を考えれば現状はやむを得ない』とまで言い切ったという。

▼やけに被団協に対し、失礼な態度を示す総理だ。そして被爆国日本国民に対して無礼な総理だ。被団協本部に訪れての会談ならまだしも、総理官邸に呼びつけての会談だ。

▼国民が天皇の御前で、話しずらいというようなそんな環境下での会談だ。こんな人物は、トランプ大統領に招待されても、対等な気持ちで対話出来ないタイプだに違いない。

▼次の日米首脳会談など『虎の前に出た子豚』同様に見える。というわけで被団協への態度は、国民をもさげすむ態度だ。

▼それを分析すれば、イシバ総理は『国民主権』など微塵の考えもなく「イシバ・ファースト」の総理だ。

▼下から睨める恐ろしい目付き。そして予期せぬ不気味な微笑み。あの微笑を米国は『日本のモナリザ』?と評するか、それとも対米従属を加速させる、新たな「番犬の登場」!とみるのか。日米会談で日本の2025年を占いたいものだ。

▼昨夜ノーべり文学賞作家、大江健三郎の本を開いてみた。次の言葉は、フランス19世紀の文人セナンクゥールの言葉を、文学者渡辺一夫が「日本の知識人の常識としたい」としばしば引用したとある。

▼【人間は所詮滅びることになるかもしれず、残されるものは虚無だけかもしれない。しかし抵抗しながら滅びようではないか。そして、そうなるのは正しいことではない、というようにしよう】。

▼被団協の皆様の永年の努力は、日本国憲法前文を理解し実践し続けてきた【国民主権】の真の姿だと、深く敬意を称します。

神様のお使い

2025年01月07日 19時00分00秒 | えいこう語る

▼北海道新聞に‟いずみ”という読者の投稿欄がある。6日の掲載は82歳の女性だ。題名は『神様の使い』だ。

▼その女性がコロナ禍で気持ちが沈んでいた時、地下鉄に乗ったらお父さんと3歳ぐらいの女の子が乗車して来て、自分の前に立った。

▼席を譲ろうとしたら、お父さんが「次の駅で降りますので」と頭を下げた。女の子は手袋を脱ぐと、ふっくらした手を女性に差し出した。

▼女性も手を出すとギューッと握ってくれた。次の駅で女の子が下りる前に「バイバイ、またね」と声をかけてくれたという、心あったまる出来事だ。

▼ふと思い出したことがある。私の弟の孫(男の子1歳前)が千葉県からやって来た。私とは初対面だ。弟に抱かれていたが、私が近づくと両手を出し、私に抱っこしてもらうしぐさを見せた。

▼弟と私はよく似ているといわれる。年齢は一回りも違うが、その子もおじいちゃんに似ていると思ったのか、同じ匂いをしていると感じたのか、ぴったり抱っこされた。

▼周囲にいた家族も驚いていた。先の82歳の女性も「天使のように見えた」と感想を述べていたが、私も同じような感情を抱いた。

▼学校の‟いじめ問題”が絶えない。それに対処できる大人の能力もないようだ。子供は「天使の心で生まれてくる」。

▼それが『悪魔』のような心になるのは、やはり周囲の環境が健全ではないということか。
昔の子供は自然の中で遊び、自然の中で人間として必要な要素をはぐくまれた。私はそう実感している。

▼今の地球は環境が悪化している。もはや地球は危機状態と言われ「SDGs」などが目標とされている。

▼地球環境を悪化させたのは、人類の進歩という名の自然破壊だ。環境悪化は人間にすべての原因がある。

▼海や川で泳ぎ、山の中で遊んでいた「鼻たれの天使たち」が故郷にはたくさんいた。今やスマホを指で操る「悪魔の使い」の予備軍が、そこら中に見受けられるような気がする。

▼かつて自然は『天使の心を持つ子供たち』を育てる教育現場だった。今日の酷暑も自然環境の悪化が原因だ。

▼全校にエアコンを設置という考えは、物事の本質を見極める目を失わせる‟狂育”だ。そんな酷暑の日は『今日は海に行って自然観察の勉強をしよう』という、粋な計らいがあってもいいではないか。

▼私たちの時代はそんなゆったりした教育環境にあった。それが真の「ふるさと教育」ではないか。

▼日本人が持つ独特の感性が『粋』だという。今の学校には『粋』という、感性を豊かにする教育など微塵にもないようだ。

▼いじめ問題も『粋』という心の余裕のようなものが欠如しているから、解決できないのではないか。

▼地下鉄の中にいた「天使」。そんな出来事から、教育までに妄想が拡大してしまった。そうだ「教育」から『教粋』なんて、日本の教育が変わったら【美しい日本】に戻れるかもしれない。

憲法改正は必要か

2025年01月05日 11時53分09秒 | えいこう語る

▼ちょっぴり古いが、2002年のNHKの「放送研究と調査」で『憲法改正は必要か』と言う質問に、国民の58%が必要があると答えた。必要なしは23%だった。

▼この調査で、憲法に関する知識が高い人の中では、改正の必要なしが53%で、必要ありが44%だったという。

▼だがこの質問は、具体的にどこをどう変えるか明らかにしていない。或る条文の変更がどのような意味を持つかを、回答者が理解しないまま改正が必要か否かを一般的に問うことは、さして意味があるとは考えにくい。憲法学者・長谷部恭男著「憲法とは何か」岩波新書より参照。

▼つまりよく理解しないものを質問するのはナンセンスだ。答える方もよくわかっていないことに、雰囲気で答えるのは不謹慎だ。

▼生活社会で憲法改正の話はほとんど出ない。なのに政権与党の自民党は『憲法改正』を政治課題のトップに挙げている。

▼国民には一度も変えていない古い憲法だといい、敵が攻めてきた時の自衛の戦いは必要と問いかける。

▼ロシアのウクライナ侵略に見られるように、自衛の戦いを行わなければ領土まで取られ、ロシアの憲法下で生きなければならない羽目になる。

▼だから『憲法9条』など、改正しなければ国家の安泰は保てないという。だが戦争はいつだって『自衛のため』で始まる。そして人間とは思われぬ殺戮を繰り返す。

▼戦争など外交を重視していれば防げると思う。話し合いこそが「人類の平和」の最も有効な手段だからだ。

▼「話してもわからない人間もいる」かもしれないが、そんな人物は人間と呼べない。獣だ。だが戦争を開始すれば、どんなまともな人間も獣に成り下がる。獣になりたくなければ戦争をしなければいい。

▼私は単純に考えて【憲法9条】を改正すれば、日本国民は再び獣に成り下がると考える。獣にはなりたくはない。人間として生まれたからだ。

▼「自民党憲法改正草案」がある。それを読んでいる国民はどれほどいるだろうか。私の周囲では聞いたことがない。

▼そこで野党に期待するより方法はないが、自民草案と現憲法との解説本を、国民に配布してほしい。

▼私は法学館法律事務所の伊東真著「赤ペンチェック自民党憲法改正草案」大槻書店を参考にしている。

▼伊藤氏は法律資格の受験指導校の塾長だ。私のような後期高齢者でも充分理解できる内容だ。この一冊を読みこめば、日本国憲法成立時の憲法の意義を、十分理解できる。

▼そこでこの本を要約し国民に配布する。NHKテレビでその本を解説し、そこで国民も参加させ、憲法改正について議論を交わすという計画はいかがだろうか。

▼それが戦後80年を迎えた、日本国憲法に対する主権者としての国民の責務ではないか。
憲法は国家の基本秩序だ。

▼そうであれば国民として憲法を学ぶことが、戦後80年の今年の、日本国民最大の目標なのではないだろうか。

▼日本国憲法は、日本人310万人の犠牲の上に出来たということを、改めてかみしめる為にも。

大阪万博で原発廃止

2025年01月04日 10時53分06秒 | えいこう語る

▼大阪万博の開催が今年4月に迫った。北海道の片田舎に住んでいるが、この話題は皆無だ。物価高が国民の最大問題だからだ。

▼昨年大阪の企業に勤めるの方から聞いたが、自分の会社は役所から万博に参加するよう要請されたが、今回だけは忙しくて手が回らないと断ったという。

▼万博は未来社会を標榜するので、国民は期待するはずだ。だが期待に与えしないということは、万博自体のイベントが、時代遅れだということではないか。

▼とはいっても万博の内容がよく国民に、周知されていないのも問題のようだ。昨夜のテレビで万博に出店している‟積水化学”の展示内容を聞いて驚いた。

▼太陽光を吸収するフイルムを開発していて、家庭でそれを使用すると、電気代は無料になるという。

▼詳しいことはわからないが、屋根や外壁に張れば、家庭で使用する電力は間に合うということらしい。

▼そうであれば国民は、電力会社が必要がなくなる。一旦事故あれば故郷に住めなくなる原発など必要なくなる。

▼積水化学はすでにフイルムは完成しているという。そうであれば今回の大阪万博は『電気代ゼロの世界』というサブタイトルにすればいい。そうであれば国民の関心も大きくなるのではないか。

▼積水化学のフイルムで『電気代無料』であれば、積水化学は「ノーベル化学賞」と「平和賞」の、同時受賞されるべきだと、私は昨夜のテレビを見て思ってしまった。

▼「電気料無料の社会」。これこそ国民が最も期待する未来社会ではないか。多分会場にはいかないが、北海道の田舎から「電気無料」の大阪万博に声援を送りたい。

日本型組織の病を考える

2025年01月03日 17時20分38秒 | えいこう語る

▼この表題は元厚生労働事務次官で、現職時代「郵便不正事件」で逮捕された、村木厚子さんの著書の題名だ。

▼この事件は村木さんが、女性故に組織の中で差別されたことによる冤罪事件で、その後無罪になった、まったくふざけた事件だ。

▼3日の北海道新聞に、村木さんと昨年のNHK朝ドラの「虎に翼」の脚本家の、吉田恵里香さんとの対談が掲載されていた。

▼我が国の官僚組織には相当の男女差別があた。国家の組織がそうであれば、一般社会においても同様だった。それは女性の管理職が圧倒的に少ないことに現れている。

▼それは天皇主権国家の名残が、国民主権国家になっても、継続して続いている。「虎に翼」は、戦後弁護士になった三淵嘉子さんが、女性の権利を徐々に獲得していく様を描いたものだ。

▼男女平等社会とは、いまだにほど遠いことを実感させられる我が国の病巣がある。それを村木さんは『日本型組織病』として表現しているようだ。

▼村木さんの対談での発言から、非常に感銘を受けたものを表出してみたい。「人権をどう守る」からというテーマの会議に出席した時の、村木さんが感じた他の人の発言だ。

▼「本当は性善説を取りたいけど、性悪説を踏まえたルール作りが必要ではないか」との議論になったという。

▼この議論は物事の核心を追求するには、とても必要だと思う。たいていの会議は性善説ありきで始まるので、本質に入り込めないからだ。

▼その会議で「性善説でもなく性悪説でもなく『性弱説』がいいとおもいます」と言った方がいた。

▼『性弱説』が出るこんな会議が非常に好ましい。役所関係の会議は、性善説ありきで始まるからだ。

▼性善説はまず自分たちのことが正しいということを前提とした、会議の進め方に思う。そのことが問題の本質を曖昧にするからだ。

▼むしろ性悪説から始まってもいいが、そうは組織的にはならないからだ。『性弱説』という視点が、本質を見極める公正な視点だと思う。

▼現在の厚労省は新人で女性が5割近くになったという。女性が一定の数になると、「例外」と「原則」がひっくり返る瞬間があるという。この言葉も男性社会の病巣をついている。

▼今日の表題の「日本型組織の病を考える」だが。戦後80年を迎えるにあたり、日本民主主義は劣化または衰弱しているといわれる。

▼それは我が国の政治や地方自治のあり方に問題がある。憲法を正確に理解していないことを、時代が進歩したのにそれに憲法がそぐわなくなったと、考える政府が台頭してきたからだ。それに地方自治体も右倣いする。

▼「国民主権国家」が「国家主権国家=行政主導国家」になりつつあるからだ。私の故郷は小さな自治体であった。その時の組織体系は『議会・行政・住民』という、不健全な民主主義体制だった。

▼「自治体は民主主義の学校」と言われたが
、その身近な社会の中で暮らしていたので、それなりに民主主義が理解できた。

▼20年前に函館市と吸収合併した。自主権放棄というのは、長い間のいびつな民主主義の結果だと総括している。

▼その函館市。『行政・議会・市民』といった、民主主義の逆三角形に見えている。述べればいろいろある。

▼まず第一は『行政と議員の議会における答弁調整』だ。この‟学芸会”を一向に改める気配がない。

▼これって「日本型組織」の、最も基本的な「病」からだ。この民主主義の癌を除去しない限り、正常な都市には生まれ変われないと思うからだ。

▼函館は「日本一魅力ある都市」に選ばれている。だが中核都市の中では「幸福度が最低クラス」と言われている。

▼なぜかと言えば、歴史的文化都市という名の元に「函館市性善説」が蔓延しているからではないか。

▼『性弱説』という視点から再出発をしなければ、函館の真の再生はないのではないかと、村木厚子さんの対談の中から感じ取った。