▼平成の市町村合併は、小泉政権時の「聖域なき財政改革」で「地方交付税の減額」が、一番の問題のようにとらえられている。
▼北海道で一番最初に合併したのが2004年12月1日、「戸井町・恵山町・椴法華村(私の故郷)・南茅部町」の、函館市への編入合併だ。
▼過疎化と財政難は現実だ。だがその対策が全く実施されていなかったのが、市町村合併に至る最大の原因だ。
▼自治体が自治の精神を忘れ、地方交付税に依存する体質が常態化していたからだ。市町村合併とは『自治権放棄』だ。もっと言えば『植民地化政策』に酷似している。
▼小さな自治体を合併(統合)することにより、財政の効率化を図ろうとする魂胆だ。企業の経営と同様な施策だ。
▼それによりスリム化された自治体には、国の‟指示”が地方自治体に行き届くことにもなるからだ。
▼2024年に改正された地方分権一括法の「指示権」の設定も、国の政策をスムーズに浸透させる法改正だ。この不改正に地方自治体からの強烈な反対がないのが不気味だ。
▼それがはっきり市民(函館市)レベルでも確認できるのが、国の要請により函館空港と港湾を、自衛隊の訓練基地にしたいという要請という名の‟指示”だ。
▼自衛隊の訓練基地となれば、いずれ日米合同軍事訓練が実施される。函館は『軍事都市』として、日米安保の重要な基地になることは容易に想像がつく。
▼津軽海峡は公海なので、軍事的に重要な場所だ。一朝有事には『海峡封鎖作戦』を敢行しなければならないからだ。
▼函館の将来がはっきり見えるこの問題に、函館市と議会は‟熟議”?もなく、国への要請を承認する予定だ。もちろん市民にも説明がない。
▼ちょっぴり「市町村合併問題」からそれるが、小泉政権時の政策は、実は竹下政権時代にすでに、平成の合併の‟事前調査”が行われていたのではないかというのが私の推測だ。
▼1988年の竹下政権下で行われた「ふるさと創生事業」。自治体へ1億円が配られた
。「特徴あるまちづくり」を住民と一緒に、自由に考えてほしいとの施策だった。
▼その政策を懸念した私は、ある組織の紹介で、旧自治省の担当者と話し合うために時間をいただいた。私と友人の二人だ。
▼自治省内の一室で話したのは「今の地方自治体の能力では、それを実行する力がないので、無駄遣いになる。その後さらに自治体が混乱する」という内容だ。
▼当然反論されたが、それでも自分の思いは充分述べた。後に考えれば若気の至りだろうが、それでも貴重な経験をさせてもらった。
▼1億円の使い道で、北海道内では特に参考になるまちづくりの自治体はなかった。モニュメントや箱物行政の推進、さらに基金として積む自治体が多いようだった。
▼全国的にも「金の延べ棒」を作った自治体が話題になっただけのように見える。1億円のプレゼントの使い道に、自治体の行政経営能力の低下が露呈されたように感じる。
▼この「自治体経営能力の」事前調査が、平成の市町村合併につながったのではないかと、今にして感じる。
▼北海道で最初の市町村合併に走った、道南「4町村」は、自治体経営能力の不足を自ら認め『自治権放棄』を宣言したのだ。ここで行われなかったのも『住民投票』だ。
▼そんな「4町村」を編入した函館市は、やがて「4町村」を函館色に徐々に意識を変えていったというのが、合併20年の実体だ。
▼それはあるドイツの哲学者が言う『行政組織による生活社会の植民地化』という言葉が当てはまるのかもしれない。
▼編入されたところは、編入したところ(占領国)の指示に従うということが運命付けられている。その内住民の声が届かなくなることを、住民自体も自覚してしまったということなのかもしれない。
▼函館市も国の要請(指示)に、市民の合意もなく無批判的に従うということは、「ふるさと創生資金」や「市町村合併」による国の「事前調査」の結果が、表面化して来たということではないか。
▼市町村合併で見えてくるものは、戦後民主主義の劣化ともいわれる。というより民主主義が国民に十分理解されていないことが、今になり露呈し始めているということか。
▼日本国憲法は【国民主権】だ。これが劣化しているというのは、国民自体が『住民自治』を議会制民主主義に、任せっきりにしているということだ。
▼『住民(市民)自治』を取り戻さない限り、地方の人間は、国の植民地と化すかもしれない。その結末が【憲法改正】を容易にする。
▼これが私が違和感を持った、国の「ふるさと創生事業」と「平成の市町村合併」の総括だ。