goo blog サービス終了のお知らせ 

函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

ラピダスと北電と関東軍

2025年02月02日 17時14分09秒 | えいこう語る

▼31日の衆議院予算委員会で立憲民主の長妻昭議員が、昭和の戦争で国策をどういうタイミングで誤ったのか、戦後一度も検証していないと総理に質問した。

▼イシバ総理は、戦争をなぜ始めたのか。なぜ避けることができなかったのか。検証が大事だと思っている。田中角栄元総理が「あの戦争を行ったやつが、この国の中心からいなくなった時が怖いんだ。だからよく勉強してもらわなければ困る」と言ったと答弁した。

▼質問されれば他人事のように言うイシバ総理だ。にもかかわらず、自分は戦争する強い国を目指している。こんな総理が間もなくトランプ大統領と会談する。

▼米国最大の極東基地『軍事大国日本』への確約をしてくるに違いない。「訪米阻止闘争」を今夜の夢の中で展開してみたいものだ。

▼でっかい妄想を働かせるより、我が北海道に注視してみたい。『半導体を制するものは世界をも制す』というような、時代の流れになってきたようだ。

▼千歳市に半導体工場ラピダスが突然進出(侵略)し、北海道の未来にも何らかの影響を与える可能性を、道民は感じている。

▼何なのかは「ぼんやりとした希望」というより『ぼんやりとした不安』の方が多いような気がする。

▼政府も巨額な補助を出しているし、大手企業も率先して拠出しているようだ。まるで国策のような勢いだ。

▼だがラピダスには米IBMの数百人もの研究者が来るという。その内ラピダスはトランプ大統領に牛耳られ、その傘下にされてしまうような気がする。

▼工場の土地と建設費を負担させられ、経営は乗っ取られるというような不安を、抱いてしまう。

▼建設が急ピッチで進む。大量の水と大量の電気が使用されるという。水の供給は国の補助で苫小牧市が受け持つことになった。

▼苫小牧市は、ラピダスへの物資搬入の拠点としての整備(港湾事業)も含めての、『政府直轄都市』としての未来が、明確になっているようだ。

▼電力の供給はやはり北海道電力に依存する。そうであれば泊原発再稼働が必要となるので、再稼働に向けた整備が行われようとしている。

▼原子力規制委員会も、再稼働に向けた規制を緩和しようとしている。規制委員会ではなく『容認委員会』だ。


▼燃料や物資の搬入のための新港の建設、輸送道路の整備などでの予算も発表されている。この金額はもちろん電気料金に加算される。

▼「案全・安心なクリーンエネルギー」「原子力は電気料金が安い」などというのは真っ赤な嘘だ。受益者負担が電力会社を支えているからだ。

▼話は飛ぶが、先日埼玉県で道路陥没事故が発生した。さらに下水道管も破損したが、古くなった上水道の整備も指摘されている。この整備費も受益者負担だ。

▼戦後整備されたインフラの老朽化の対策で、公共料金は上昇し国民の生活を直撃する。『欲しがりません整備されるまでは』という、もの言えぬ状態に陥る危険性がある。

▼さらに言えば、人口減や国民生活が衰弱しているにも関わらず、なぜか防衛費が増大している。

▼先日或るタレントが、自衛隊の装備や実弾訓練を紹介する番組がある。自衛隊は最少限の戦力しか保持できないといわれるが、百発百中の戦力を目の当たりにして、この砲撃の向こうの敵やその家族を考えてしまう。

▼自衛隊員の過酷な訓練も、国民を守るためだという隊員たちの素直な覚悟に、胸に込み上げるものがある。

▼だが砲弾の向こうには、何万もの犠牲者があるということも想像しなければならない。外国の兵士が実戦で受けたPTSDも忘れてはならない。

▼国家・国民のため、人殺しはしてはならない。テレビを観て与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」の詩が浮かんでくる。

▼イシバ総理は真面目そうな人に見える。だがなぜ戦争をしようとするのだろうか。近頃の政治家には、憲法を尊重する意識が欠けているように思う。

▼憲法前文を思い出してほしい。【われらは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものである】と。

▼保守系の人々は憲法は「米国からの押し付け」だと言う。ならイシバ総理はこの前文を米国会でスピーチし、『米国第一主義』と矛盾することを‟丁寧”に説明してほしい。

▼不良との付き合いはやめるようにと先人たちに酸っぱく言われた。トランプは今や世界の『トランプ大不良』だ。

▼そんな米国に服従する『パシリ日本』ではならない。日本人としての気概を見せてほしいイシバ総理初の「トランプ大不良」への訪問だ。

▼その会談でイシバ総理の力量を、国民が知ることになろう。「フジテレビ問題」にかまっているばかりではダメだ。

▼ということで、今日のテーマの関東軍を忘れてしまった。結論は、今のラピダスの北海道侵略とそれに伴う泊原発再稼働などは、国民を無視する、関東軍的な国の侵略方針ではないかと感じる。

▼そんな結末は、負け戦になるのではないかと言う気がしてならないからだ。

本性を現した核のゴミ問題

2025年01月31日 11時20分52秒 | えいこう語る

▼溢れかえる我が国の核のゴミ。その地下処分場誘致に、北海道の寿都町と神恵内村が手を挙げた。

▼人口減と財政難に喘ぐ地方自治体に、誘致の初段階の文献調査として、住民の目の前にちらつかせたのが、20億円という交付金だ。

▼処分場は知事の同意がいる。今のところは道知事は反対の意向を示している。だが自民党寄りの知事なので、そこは不安だ。

▼すでに2町村は交付金を使ってしまったという。第2段階の概要調査ともなれば、さらに増額の交付金を目の前に散らつかせるに違いない。

▼核ゴミの処分場は、NUMO(原子力発電環境整備機構)が行っている。寿都町と神恵内村での文献調査の報告会が、25日函館市民会館で行われた。

▼今回は新聞に開催のチラシが出たので、参加者は116人にも達した。前回は数年ほど前に行ったが、行き届かなく一般参加者は私を含め、10数名だったのを記憶している。

▼円卓での討論では、私の隣が経産省の役人がいた。「NUMOも経産省の指示通りに動いているのだろう」と話したら笑っていた。

▼今回の説明会では質問用紙に書いて提出し、それを(70枚以上)を抽出し回答するというものだ。

▼私は直球の質問は他の人に任せ『地層深く300メートルに埋めるというが、地球サイズで考えたら深層ではなく‟表層”ではないか』という質問はスルーされた。

▼NUMOの説明者のテーブルには、名前しか表記されていない。普通なら名前の隣に役職や、担当などが記載されているはずだ。

▼なのでどこの誰なのかもわからない。さらに長い時間をかけて、自信ありげな説明に終始する。国民が使用したゴミなので、自分たちで始末しなければならないという、押しつけ論だ。

▼「NUMOの運営資金の出どころは」との問いには、各電力会社の拠出金で賄っていると答え、そしてこの費用も皆さんからの電力料金で賄われています」と答えた。私には国民をあざけわらっているように思えた。

▼文献調査まで行ったので、このまま次に進めると考えているに違いない。前回の説明会は低姿勢に感じられたが、今回は自信ありげな高慢な感じに思えた。

▼思いは的中した。NUMOの東京都内での説明会で「ロシアの分も含めて北方領土に、最終処分場を建設しては」との出席者の意見が出たという。それに対し経産省幹部が『魅力的な提案だ』と発言した。

▼さらにNUMOの幹部も『一石三鳥四島』などと言ったという。まさしく国もNUMO も、国民を舐め切っている態度を見せた。

▼国側も「原発再稼働」にも極力反対しない国民を見て、どうせ国民は核のごみの処分には『仕方がない』と考えているに違いないと、見下しているようだ。

▼それにしても質問者の‟質問のレベルの高さ”が際立っている。フジテレビの記者会見を見てもわかるように、一般的に腹が立てば質問の内容は重複する。

▼それは主催者の想定済みだ。視点をずらす質問が要求される。それに函館の説明会では、直接質問を避け、紙面での質問にしたのが、反対されることが多い主催者側の、奸智にたけた戦法だ。

▼私は質問する時、ほとんど最前列に座る。それは質問できる可能性が大だからだ。もし深層と「表層」の発言できれば、少しは相手に動揺を与えたに違いないと思っている。

▼ちなみに地球の半径は「6,378km」だ。これでは300メートルは‟深層”とは呼べない。

▼結論はNUMOは、フジTV同様の『隠蔽体質』だ。もちろん政府も同じだ。NUMOも『原子力村』の一分村に過ぎないって言うことだ。

フジTVと戦前の天皇制

2025年01月30日 11時48分04秒 | えいこう語る

▼中居マサヒロ問題でのフジTV幹部の弁明会見を観て、戦前の天皇制国家体制を思い出した。

▼台場のフジTVの会見会場の壁には、大きく「赤富士」の絵が飾られてある。フジTVは日本一の報道機関であるという、プライドと共に傲慢さも見える。

▼フジは78社、4法人、3美術館からなる巨大企業だ。そこに君臨するのが【日枝天皇】だ。会見に参加した5人の幹部は『参謀本部』の面々だ。

▼明治以降天皇制は、軍部の「使い勝手」でできた制度と言われる。天皇は「統帥権」を与えられた結果、すべては天皇の支配下にあるとしながら、内実は参謀本部の意のままに動かされていたからだ。

▼『天皇の軍隊』それを口実に、軍部は天皇のために死ぬ兵隊の育成に努めた。その強力な軍隊を指揮するのは「参謀本部」だ。その軍事力は天皇をも支配できる力を持った。

▼もしも天皇が「参謀本部」の考えを、ことごとく否定したなら、軍部によるクーデターも可能だったからだ。

▼これが戦前の「天皇制国家」だ。そして現在の日枝天皇が鎮座し「参謀本部」が指揮する『フジ独裁組織』がある。

▼日枝は巨大グループの代表だ。人事権を掌握しているという。だが「参謀本部」が決定し、日枝天皇は‟御名御璽”ではないか。

▼最初の港社長の会見が失敗だった。そんな大事な会見を、港社長独自で行ったというのが解せない。

▼日枝天皇をないがしろにするだけ「参謀本部」の好き勝手で行える体制だったに、違いないからだ。これは港社長独断で行ったことになっているが、「参謀本部」の作戦に違いない。

▼作戦が失敗し、湊社長と嘉納会長が腹を切る姿勢を示したが、日枝天皇の怒りを鎮めるための、自らの決断だ。日枝天皇にお伺いを立てているということでも、ないような感じがする。

▼「参謀本部」の弱体性が見え始めると、絶対服従の兵隊たちの反乱にも火が付いた。組合員50名が、一気に500名に増えたという。

▼さらに手のひら返しとも思われる、企業からの一斉のCMの撤退だ。もはや『フジ日枝天皇体制』への、クーデターの様相だ。

▼これも「フジ・グループ」だけの責任で済まそうとする、他企業の単なる自衛本能の現れのようにも見える。

▼中居問題の真相はまだよくわからないが、アイドル(象徴)などというものは「組織の使い勝手」にされるままというのが実態だ。
この問題の深部には「慰安婦問題」の心理的構造も透けて見えるような気がする。

▼帝国憲法から日本国憲法に代わったが【国体は護持】されたという。そんな「国体の連続制」の中に、今回の「中居マサヒロ問題」の真相が潜んでいるように思う。

▼フジTVは日枝天皇の引退と、それにもまして『フジ参謀本部』の完全解体だ。いまだに我が国の国家の風土として『隠蔽体質』があるからだ。

▼アベシンゾウによる9年間にも及ぶ政権保持。これはシンゾウ個人の資質の問題ばかりではなく、日本全体のあらゆる組織に蔓延する『隠蔽体質』が‟美徳の一種”とされる、日本人気質の問題でもあるように感ずる。

    
      日本一の不治の病
              三等下

令和の不平等同条約

2025年01月29日 19時56分48秒 | えいこう語る

▼日本の近代化は、1854年の米国ぺリー提督率いる黒船(4隻)の来航により、開港させられたことから始まった。

▼その受け入れの最大の理由は、圧倒的な軍事力の差によるものだ。それにより幕府は「日米和親条約」という『不平等条約』を結ばさせられる。

▼不平等条約を締結させられたのは、開国時点では日本が貿易についての国際ルールを理解しておらず、西欧的な意味での法による統治が行われていなかったからだ。

▼不平等条約はそれ以後、貿易や外交で日本に様々な不利益をもたらした。具体的な不利益以上に『日本は後進国』であるということを、認めさせられたことだ。

▼上述した内容は、内田樹著「生きづらさについて」毎日新聞出版に書いてある。読んでいるうちに、トランプ大統領の顔が浮かんできた。

▼不平等条約とは「関税自主権」と「領事裁判権」がないことだ。トランプは「アメリカン・フースト」を掲げ、就任以来世界各国に『関税』をかけると圧力をかけている。

▼この勝手な行為は、相手国を「後進国」とみなしているからだ。その強硬発言の背後には、世界最強と言われる米国の軍事力がある。

▼我が国と米国には『安保条約』がある。米国との間には「地位協定」が結ばれている。これが「不平等条約」の最大のものだ。

▼戦後80年を迎え「安保条約」下での「不平等条約」は、いまだに続いている。このような状態では、「米国第一主義」を掲げるトランプは、日本を『後進国』として扱うに違いない。

▼さらに軍事同盟国の日本にまで「関税」をかけようとしている。そうであれば米国との開港以来の「不平等条約」が再現することになる。

▼明治政府が不平等条約の改定のために、相手国を説得するとか、国際世論に訴えるとかいうことではなく、とった政策は『日本を近代的な帝国主義国家』にするという方向にシフトしたと、内田は指摘する。

▼2月にもイシバ総理がトランプを訪問するようだ。果たして米国との対等関係を保つ姿勢を、示すことができるだろうか。

▼国民はたぶんさらなる軍事費負担を強いられ、さらに関税もかけられ、ただむやみに笑顔を見せる、情けない総理の姿を浮かべるだろう。

▼先人の政治家たちに倣い「不平等条約」の改定のため「地位協定」を廃止し、自国は国防軍で守り切るという【憲法改正】の気概を示せるかだ。

▼つまりは新たな『帝国主義日本』の、意気込みを宣言できるかだ。そうでなければ不平等条約の解消にはならない。

▼戦後80年経っても『対米従属』を続け、真の主権国家には程遠いないのではないかと、大方の国民はそのように推測している。

▼「不平等条約」改正のためには「帝国主義を目指す」他ないというのが「オールド自民党」の【憲法改正】の本旨ではないかと思う。

▼軍事力の強化なくして外交もままならず「不平等条約」を強いられるというのは、政治家の共通した考えではないだろうか。

▼近年は野党までも「改憲派」の様相を示している。戦後80年、8月15日さえ忘れる国民が増えている。

▼自民党は【憲法改正】を急ぎだした。唯一の被爆国であるという記憶も、総理自身が喪失し始めている。こんな時代が最も危険だ。

▼我が国の近代化『富国強兵』と『殖産興業』だった。今の時代そんな国柄になって来たのではないだろうか。

▼『新しい戦前』という言葉が、脳裏から離れないこの頃だ。


戦争放棄は日本が言い出した

2025年01月27日 10時39分57秒 | えいこう語る

▼戦争に負け憲法が改正された。その憲法は米国の主導(押しつけ憲法と言われる)で作成されたが、国内でも新憲法案を作成する人たちがいた。

▼東大の高野岩三郎教授の呼びかけで作った「憲法研究会」だ。幣原内閣ができて「憲法問題調査委員会」が置かれた直後の(昭和20年10月下旬)に、論議を開始している。

▼その中心メンバーに、憲法学者の鈴木重蔵がいる。出来た案をGHQに持っていく。それが新憲法作成に影響を与えたというのは、田舎おやじの私でも知っている。

▼新憲法で最も重要なのが『第9条の戦争放棄』だ。その【戦争放棄】という文言はマッカーサ―元帥を訪問し、話したのが幣原喜重郎総理だという。

▼私的な訪問なので、公式記録は残されていないが、2015年から刊行が始まった『昭和天皇実録』には「幣原がマッカサ―と会見し、天皇制維持の必要、および戦争放棄につき懇談を行った」とある。

▼さらにマッカサ―は1951年の、米上院の軍事外交合同委員会の公聴会で、「戦争放棄」は日本人の発案だと述べている。

▼決定打は東大名誉教授・堀尾輝久だ。1956年に自民党政府の憲法調査会の会長・高柳賢三とマッカーサーとの往復書簡を発掘し、マッカーサーが「戦争放棄」は、幣原の提案だったというのが、手紙にはっきり書いていると証明した。

▼上述した内容は半藤一利・保坂正康共著「憲法を百年生かす」筑摩書房を最近読み直した中に記載されていたものだ。

▼今年は戦後80年だ。『新たな戦前』などという言葉が跋扈する、社会背景になってきたのは間違いない。

▼そこで明治からの、日本思想史等に関する本を再読している。付箋の多いものが中心だが、それらは熟読しているはずなのに、最も大事なことを忘れているのに気が付く。

▼読み飛ばしていたのかもしれないし、その時に読書した自分の気持ちが、その文言に関心が薄く、軽く読み過ごしていたのかもしれない。

▼だが今『新しい戦前』などというキーワードが示され、それを重点的に再読すれば、また新たな発見をすることがある。

▼読書も時代背景に左右されるのかとも思ったりもする。しかしただ流行を追って読むのではなく、普遍的なものを自分自身で探求し 構成するという考えがなければ、識字能力が充分に発揮されていないという、ことかもしれない。

▼現憲法が占領国米国の「押しつけ憲法」だと思っている国民は、まだ多いに違いない。だがこの憲法の最も要の『第9条』が、日本の総理の進言だったのが、本の再読で理解できた。

▼現憲法は先の戦争で犠牲になった、約310万人の国民への鎮魂と慰霊の背景で、成立した内容だと思う。

▼『9条改正』論者のイシバ総理は、犠牲者の霊を鞭打つものではないか。さらに3月に米国で開催される「核兵器禁止条約」の会議の、オブザーバー参加を見送るという。

▼日本原水爆被害者協議会(被団協)が昨年のベル平和賞を受賞した。被団協からも参加の要請があった。

▼イシバ総理は、被爆者の霊を泥靴で完全に踏みにじっている。こんな総理には【憲法改正】など行わせてはならない。

▼もしトランプ大統領が‟核兵器削減”をイシバ総理に提言したら、それでもかたくなに‟NO”を突き通すのだろうか。

▼それとも「核の傘下の方が安全だ」と主張するのだろうか。幣原喜重郎総理が【戦争放棄】という文言を、マッカサ―に進言した。

▼『二度と戦争はしない』という総理と『再び戦争できる国』という総理。国民はどちらを選ぶとしたら間違いなく前者を選ぶだろう。

▼タレントの女性問題で、フジテレビの「オールド・メディア」が問題になっている。政治も長らく自民党に任せっきりだ。

▼「オールド・自民党」も、そろそろ解体しなければならない時代に突入したようだ。それが戦後80年目の、国民全体のテーマのような気がする。

▼既読の中で、最も心に残っている本を再読することの意義を感じた、今回の布団の中での読書だ。