夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

JAPANの思い出

2012-09-10 21:54:00 | JAPANの思い出・洋楽
1970年代の終わりから80年代の初めにかけて、日本でも若者を中心に、絶大な人気を誇っていた英国のロック・グループ、ジャパン。

そのベーシストであったミック・カーンが亡くなって、もう1年半以上になる。

昨年の7月、ミックの誕生日に合わせて自伝の邦訳(『ミック・カーン自伝』)が出版されたことは知っていたのだが、事前にその内容がある程度予想されただけに、なかなか手にとることができずにいた。

言うまでもなく、ジャパン結成時以前からの親友でありながらもやがて不和を生じ、バンドの解散の理由ともなったヴォーカリスト、デヴィッド・シルヴィアンとの確執に多くの記述が割かれることは目に見えていた。それだけに、初めて洋楽への目を開いてくれ、その内省的な音楽・歌詞によって、青春期の自己形成にかなりの影響を受けることになった、かつての憧れの対象へのネガティブな言辞を読むことには躊躇があった。

ただ、デヴィッドの専横的な振る舞いや人間性については、他のメンバーのインタビューや、ツアーなどで共演したミュージシャンの発言からもある程度は想像できていたし、ミックとの不仲の原因が、ツアーの初日にデヴィッドがミックの彼女を奪ってしまったことにあることは、ファン向けの公式ブック『ジャパン・ヒストリー』にも出てくる。

したがって、ミックが告白するデヴィッドの許し難い背信的行為の数々は、むしろミックの言い分を素直に受け入れられた。他のメンバーにとって、ジャパンの楽曲は、全員で試行錯誤を繰り返し、練りに練り上げて作った共同製作であるのに、デヴィッドがオリジナルであることを主張し、ほとんどの曲でデヴィッド作曲というクレジットになっていること。ギターのロブ・ディーンの脱退について、デヴィッド自身は、『クワイエット・ライフ』(1979)以降、ロブとそれ以外のメンバーとの間で音楽性の違いが明白になり、『孤独な影』(1980)のレコーディングの際は、ロブの提案するギター・ワークをあまり採用することができず、本人が嫌気がさしてしまった、「だから、次のアルバムのレコーディングに彼を引きとめておくのはフェアじゃないと僕らは考えた」と発言しているが、実際にはデヴィッドが狡猾にロブをレコーディング・セッションから外していたのだという。

次々に明かされていくデヴィッドの知られざる素顔については、ミックの目から見た真実なので、それほど驚かなかったのだが、ミック自身の繊細で傷つきやすい内面については驚かされた。

写真でもわかるように(左から2人目)、ミックはその強烈なルックスと個性的なプレイスタイルで、メンバーの中ではもっとも強い印象を与える人物である。また、ベースという楽器は、ドラムと共に、バンドの音楽を陰でしっかり支えるもの、と思っていた私に、ボーカルとは別の、もう一つのメロディを低くうねるように奏でるように響くミックのベースは、よほど個性や自己主張が強い人に違いないとずっと思わせていた。

ところが、『自伝』を通じて我々に伝わってくるミックの人物像はまるでその正反対なのである。

…今日はもう遅くなったので、続きはまた明日。

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