昨日、このブログのタイトルの由来についてお話ししたついでに、私のハンドルネームについても一言説明を。
私がネット上で名乗っている「ちかさだ」は、もちろん本名ではなく、鎌倉時代の上皇で歌人の後鳥羽院が、歌合において「左馬頭親定」(さまのかみちかさだ)という筆名を用いていたのにちなんでいる。
「親定」は、藤原親定という実在の人物で、後鳥羽院の近臣であり、院がその名を借用したのだと考えられている。
後鳥羽院は多芸多才であったが、若くして譲位した後は特に和歌に心を入れ、和歌所を復興し、五人の撰者に『新古今和歌集』を編纂させた。
後鳥羽院自身も優れた歌人であり、臣下に混じって歌会や歌合で和歌を詠み競うことをよしとした。後鳥羽院が実在する近臣の名を借りて、院の主宰する歌壇に集う歌人たちと共に歌を詠み合ったことは、人々に強い連帯意識を抱かせることになったにちがいないと考えられている(田村柳壹氏に、「二人の左馬頭親定」という論文がある)。
私が『新古今集』とその時代に憧れるあまり、上皇の遊び心の現れである「親定」の筆名をお借りし、しかし平仮名表記で「ちかさだ」と名乗るようになったのである。恐れ多い所行ともいうべきだが、タネ明かしをしたところで、今さら別のハンドルネームを使うわけにもいかないし…。
これからも上皇とその時代へのオマージュをこめつつ、使わせていただこうと思っている。
私がネット上で名乗っている「ちかさだ」は、もちろん本名ではなく、鎌倉時代の上皇で歌人の後鳥羽院が、歌合において「左馬頭親定」(さまのかみちかさだ)という筆名を用いていたのにちなんでいる。
「親定」は、藤原親定という実在の人物で、後鳥羽院の近臣であり、院がその名を借用したのだと考えられている。
後鳥羽院は多芸多才であったが、若くして譲位した後は特に和歌に心を入れ、和歌所を復興し、五人の撰者に『新古今和歌集』を編纂させた。
後鳥羽院自身も優れた歌人であり、臣下に混じって歌会や歌合で和歌を詠み競うことをよしとした。後鳥羽院が実在する近臣の名を借りて、院の主宰する歌壇に集う歌人たちと共に歌を詠み合ったことは、人々に強い連帯意識を抱かせることになったにちがいないと考えられている(田村柳壹氏に、「二人の左馬頭親定」という論文がある)。
私が『新古今集』とその時代に憧れるあまり、上皇の遊び心の現れである「親定」の筆名をお借りし、しかし平仮名表記で「ちかさだ」と名乗るようになったのである。恐れ多い所行ともいうべきだが、タネ明かしをしたところで、今さら別のハンドルネームを使うわけにもいかないし…。
これからも上皇とその時代へのオマージュをこめつつ、使わせていただこうと思っている。
「ちかさだ」こちらのお名前にも大変興味がありました。(笑)
ご本名でないにしても、この「ちかさだ」とは何か、響きが古式ゆかしい様な・・・何と言うか・・・威厳と申しますか・・・(笑)
ひょっとして平安時代、藤原時代の武将かなにか?
でなければ御本名の読み方をもじったモノか?
よくお使いになられる仮名か?
(私の親類にも本名とは全く違った名で知人達に呼ばれている者がおりますが・・・本人曰くそちらの方がシックリくるらしいです)(笑)
或いはご自分と何かこのお名前が由縁がおありなのか?等とも思っておりました(笑)
(皆様・・・私は浅学菲才者ゆえ・・・どうか笑わずに・・・)(苦笑)
こちらもあわせて・・・
この度、これで納得がいきました・・・(笑)
後鳥羽院・・・この藤原近定様ヘのオマージュ・・・
これは・・・文学や芸術に親しむ、ちかさださんが「後鳥羽院」「藤原近定」の生き方や信念に対するリスペクトの意味がお有りだったのですね。
そして「自らもそう在りたい」と・・・
ちかさださんのその様に願う気持ちが込められていたとは・・・
そうでしたか・・・ありがとうございました。(笑)