夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

論文完成への道(2)

2013-09-30 23:59:06 | 日記
しかも、学会誌への投稿論文で取り上げる問題(仮にテーマAとする)を論証するためにはテーマBを先に証明しなければならず、それに3年かかった。その後ようやくテーマAに取りかかり、2年を経て採用がかない、さらにそこで論じ残した問題を1年半かけてまとめるところまで漕ぎつけた。

はっきり言って、学会の主流の研究ではないし、ごく些末な現象への興味との謗(そし)りもあろうかと思う。
しかも、完成までの途上でたくさんの方々、特に恩師に多大のご負担やご迷惑をかけてしまったことが、今さらのように悔やまれる。

ただ、ノートを1冊1冊読み返していくと、日付を見ながら、あの頃、あの時、自分がどのように取り組んでいたかが思い出され、自分なりに頑張ってきたのも確かだと改めて実感する。特に3年前から2年前にかけて書かれたノートが最も多く、学会誌への投稿を目標に、自分としては非常に禁欲的に、クリスマスも正月もないほど一心に打ち込んでいたことがわかった。

研究というのは、かけた労力の分だけ報われるものではない。
論文に書かなかった、無駄になった調査の方がずっと多い。とにかく、読み調べ考えて書いたことを捨てて捨てまくって、エッセンスだけ残して一本の論文になった。

しかも、一度で書き上げたのでなく、何度も試作を繰り返して完成にまで漕ぎつけている。
一昨年の4月、5月、7月と試作品ができるたびに、マイ学会を行い、自己批判して問題点を修整していった。ノートに貼って残されたそれらには、赤や紺、水色、緑、桃色の細字でびっしりと改善点が書き込まれている。
昔、大江健三郎がそんな風に小説を推敲していると書いていたのを読んだときは、小説家なのによほど文章力がないのだと思った。
今は、自己の内なるイメージを形象化しようと真摯に向かい合う姿勢の現れだとわかる。

夢を実現するのは易きに似て難く、それを現実化するための力と賢さと意志がいる。
かなう夢もあるし、夢に破れることもある。
それでも、夢を描き、その実現に向かって生きていくのが大事なのだと思う。

今回の論文は、さきほど中央郵便局へ出しに行った。
テーマAでは、とっておきのネタはもう使ってしまっていたので、それほど高い水準の論文ではない。
それでも、今の自分の問題意識をまとめておいたことは、きっと無駄にはならない。
明日から、またがんばろう。

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1 コメント

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ちかさだ様 (風の靴)
2013-10-01 09:28:20
おはようございます

今日から「夢かよふ」とブログタイトルがリニューアルされましたね!

先日意味をお聞きしていた為か・・・
更にちかさださんのブログに奥行きが生まれたように感じます(笑)

ところでちかさださん!遂に完成されたのですね!!!
おめでとうございます!!!(笑)

こちらのお話しから・・・
以前からちかさださんが取り組まれ、長い間に渡り温めていらっしゃった研究論文であると分りました(笑)

今、其処に漕ぎ付くまでのエピソードの数々をお読みしていて、改めてちかさださんが、そのテーマ(論題)に如何に情熱を傾け・・・

そして大切な時間を注いで来られたのかが分りました。

言ってみれば「命題」に向かわれていたと申しましょうか・・・

「論文」は執筆者のかなりの集中力と粘り強さを必要とする物だと思います。

ちかさださんの仰る「研究というのはかけた労力の分だけ報われるものではない」・・・
確かにシビアな言葉です・・・

「無駄になった調査・・・捨てたものも多い・・・」
確かに・・・

私が思うに・・・それは決して無駄になって居られないのではないかと・・・

集めた情報は、おそらくちかさださんの中で一旦は消化されそして「ちかさださん流」の切り口(着眼点)で提示されている・・・

そこにちかさださん(人其々)のパーソナリティが出る・・・
面白い所だと思います・・・

論説文は「執筆者」或は「筆者」の着眼点・・・ここは注目すべきところです・・・

それこそがあらゆる書物の醍醐味でもあり・・・
「本」の持つ「神髄」なのではないでしょうか?(笑)

これから先もちかさださんには、是非ご自分の命題に向かって取り組んで行って頂きたいと思います。

勝手なことばかり申しあげてすみませんでした。(ぺこっ)

先ずは・・・お疲れ様でございました(笑)




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