夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

ハンナ・アーレント (その2)

2014-03-05 23:35:56 | 映画
内容紹介の続き
当時、アイヒマンについて、大方の人々は極悪人か怪物のように思っていた。しかし、ハンナは、裁判の傍聴を通して、彼は反ユダヤではないし、殺人機関の中にあって命令を遂行する立場にあったにせよ、動機はユダヤ人に対する憎悪ではなく、単に任務に忠実であっただけだという確信を抱くようになる。
「大虐殺と彼の平凡さは、同列に語れない。」

アイヒマンは決して悪魔などではなく、彼が20世紀最大の犯罪者になったのは、ただ思考不能だったからだ。彼は自分を国家の忠実な下僕と見ており、罪の意識は全くなく、総統の命令を法律として従い、任務を完遂するだけの平凡な人間だった。
全体主義の最終段階では、このような絶対的な根源悪が生まれる。
しかし、こうしたハンナの考え方は、研究者仲間や友人からも多くは受け入れられず、ハンナは次第に孤立していく。


果たして1963年、『ニューヨーカー』誌でアイヒマン裁判のレポートの連載が始まると、たちまちハンナは、アイヒマンを擁護する者として批判の嵐に見舞われる。また、文章の中に、ユダヤ人指導者が強制収容所への移送に手を貸したことを指摘する箇所があり、ハンナは同胞を貶めたとして、ユダヤ人社会からも攻撃にさらされる。
『ニューヨーカー』編集部には抗議の電話が殺到し、ハンナ自身にも、
「地獄に堕ちろ、ナチのクソ女」
などと呪詛の手紙が数多く届き、知人、友人たちも批判して彼女のもとを去って行く。彼女を庇うのは夫とわずかな友人だけしかいなかった。
失意の彼女に対し、勤務する大学までが非情な決定を下す。
「大学教員の職を辞めていただきたい。全員一致の決定です。」
ハンナは、自分の講義はいつも満員で学生の支持を受けていると主張するが、聞き入れられない。ハンナはそのまま、学生の待つ教室に向かい、最後の講義を始める。

感想

約8分間に及ぶ、ハンナの学生相手のスピーチは、この映画の圧巻。
鋭い知性と透徹した思索からもたらされる「悪の凡庸さ」についての演説は、まさに言葉が沸騰しほとばしり出るように見えた。
「世界最大の悪は、平凡な人間が行う悪なのです。そんな人には動機もなく、信念も邪心も悪魔的な意図もない。人間であることを拒絶した者なのです。そしてこの現象を、私は『悪の凡庸さ』と名づけました。」
「ソクラテスやプラトン以来私たちは“思考”をこう考えます。自分自身との静かな対話だと。人間であることを拒否したアイヒマンは、人間の大切な質を放棄しました。それは思考する能力です。その結果、モラルまで判断不能となりました。思考ができなくなると、平凡な人間が残虐行為に走るのです。過去に例がないほど大規模な悪事をね。私は実際、この問題を哲学的に考えました。“思考の嵐”がもたらすのは、知識ではありません。善悪を区別する能力であり、美醜を見分ける力です。私が望むのは、考えることで人間が強くなることです。危機的状況にあっても、考え抜くことで破滅に至らぬよう。ありがとう。」

この映画を通して、哲学者としてあくまでも自らの良心と思考に忠実に生きようとするハンナの姿が胸にずしんと響いた。
翻って私自身、事実に即して正確に物事を見ること、他人の言葉や見方を安易に借りず、責任を持って自分の頭で考え抜くことを心がけてはいるが、周囲の状況や自分の感情いかんで容易にぶれたりし、極めて不徹底であることを情けなく思った。
ハンナのように、たくさんの中傷・批判にさらされ、友人・仲間を傷つけたり抗議されたりし、職場も失ってもなお自分の信念を貫く強さはどこから来るのだろう。


ハンナが若き日、哲学を志して教授のハイデガーに師事する一方、妻帯者であった彼と一時期不倫関係にあったことはよく知られている。この映画ではかつての二人の出会いや関わりが、回想シーンで何度か断片的に挿入される。その中でハイデガーがハンナに言った、
「“思考”というのは孤独な作業だ。」
「我々は思考する。我々は考える存在だからだ。」
といった言葉が、ハンナの思想的背景にあることが示され、彼女の哲学者としての思考と行動の基準にもなっていることが感じ取れるようになっていた。そのことが、ハンナの人物像に奥行きを与え、映画の世界に厚みをもたらしているように感じた。
安易な要約のできない難しい作品だったが、昨年来、新聞・雑誌などでもしばしば取り上げられて話題になっていた作品でもあり、観に行くことができてよかったと思う。

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2 コメント

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教える者のあり方 (piccology)
2014-03-06 21:52:02
新学期のクラスには授業の進め方やテスト方式などについて、生徒からのクレームが多いのを実感しつつ、鋭い知性と透徹した思考、ほしいものです。
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piccologyさんへ (ちかさだ)
2014-03-07 18:42:40
コメントありがとうございます。
私も、この映画を観て、教える者のあり方を考えさせられました。生徒が未熟(学ぶ主体として確立していないという意味)でも、教師が信念をもって教育と研究に専心していれば、きっと心ある者には伝わると思います。
ともに頑張りましょう。
ありがとうございました。
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