ぶちょうほうの画(え)日記(一語一画(え))

亭主「ぶちょうほう」の身の周りのいろいろな風物を「画(え)日記」ふうに綴っています。

ささやかなれど、自分の中では大きな満足感。

2023-06-18 09:02:41 | 草花
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本(6/18)日は旧暦では5月1日に当たり、新月≒朔月になります。この日は月が見えません。
(地球から見て月と太陽の方向が同じになるときのことを「朔」といいますが、厳密には朔月=新月ではないようです。)

そして昨(6/17)日は旧暦の4月29日であり、この頃は月が姿を見せない、(月が家に籠ってしまった)ということから旧暦の江戸時代なら「月籠り=つごもり」ということになります。大まかには旧の30日頃になるので、三十日(みとうか⇒みそか=晦日)となります。

月が地球の周りを公転する周期がおおよそ27.3日で、軌道が楕円形であり不規則性を有することが妙味であります。
そのために記述には常に、「おおよそ」・「約」とか「厳密には・・・と言いきれない」といった表現が付きまといます。
(旧暦の十五夜と満月が一致しないことが多いのもこれに当たるようです。)

で、昨(6/17)日は新月前の極細の月が見えるのではないかと、一人ひそかに期待していました。
そこで午前3時起きして、いつも出掛ける付近の高楼(14階建て)に行き、月の昇って来るのを待っていました。
暗い夜空に目を凝らして東の方を見つめ続けることしばし、極々細い月が山の端から姿を出して来たときには、あまりにも繊細であったのでそれが月だとはにわかに信じられなくて、その全貌が空に出切った時に初めて月「実感」することが出来たほどです。
自分の中では結構心を突き動かされていて、それを言葉にするならば・・・月面初着陸時の某宇宙船船長の言葉ではありませんが、:「ほかの人にとっては大したことではないが、自分にとっては大きな喜びの一瞬間」であり、達成感・満足感に満たされた時空でありました。 
今まで何度も機会を窺がってきていましたが、天候によって阻まれて、いつも空振りして来たからです。
この日の幸運に酔い、思わず知らず、写真を連射し続けました。

ずっと見たかった新月の一日前の月 ↓

17日朝3時40分ごろに見た月齢28.1の細い細い月です。 まるで月食の時のように思えました。
でも、考えてみれば満月から新月までの間は、一日ごとのごくゆっくりした月食と同じことなんですね。



念のために13日の月 ↓

これで月齢24.3で、この後は梅雨空の為に月の写真を得ることが出来ませんでした。



17日早朝の木星 ↓

東の空には木星が、月よりも明るく思えるほどに輝いていました。



カシオペア ↓

よく探すと、北東にカシオペアも見えていました。 (北斗七星は柄杓の柄の方だけが見えていました。)



街明かり ↓



眼下に救急車 ↓

14階の建物の真下に救急車が来ていました。



山の上に来た月 ↓

西三河の山並みの上に差しかかった細い月。 「繊月」という言葉がありますが。今風に言うと「糸月」となりましょうか。



シルエットになっている山たち :

木曽御嶽 ↓


中央アルプス ↓


恵那山 ↓


中央アルプス・恵那山・大川入山・蛇峠山 ↓


この朝の山岳眺望?はこれが限度で、白山、能郷白山、伊吹山、鈴鹿山脈はその片鱗を窺がうことが出来ませんでした。

このあと日の出の時間が近づき空が明るくなってくると、細い月は空の明るさの為に見つけることが出来なくなりました。
コメント
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