ぶちょうほうの画(え)日記(一語一画(え))

亭主「ぶちょうほう」の身の周りのいろいろな風物を「画(え)日記」ふうに綴っています。

1/21日 知多半島の最南端 南知多町師崎(もろざき)の羽豆(はず)岬までの自転車行 その1:衣浦(きぬうら)大橋まで

2020-01-22 21:28:21 | 草花
昨日、知多半島の突端にある羽豆岬まで自転車を漕いで行ってきました。
岬にある岩山の上には羽豆神社があり、山上にはウバメガシの生い茂る参道があり、展望台上からの眺めは晴れた日にはまことに胸のすくものがあります。

また帰って来てから知ったことですが、ここを歌い込んだ歌がありました。
それは愛知県のご当地グループが2010年にリリースしたものでした。

歌詞 ↓
こちらは秋元康作詞の「羽豆岬」の歌詞

SKE48の歌唱 ↓
こちらはSKE48の「羽豆岬」のYouTube動画

流行には疎い生活をしていますので、初めて聞く曲でしたが、かなり人気の高い曲だったようですね。


昨日は午前中からやや強い風が吹き出して、帰り道では向かい風に悩まされ、相当難儀をして戻ってきました。
位置図 ↓


実行図 ↓

ほぼピストンで、北から南下し、帰途は北上して戻ってきました。



高浜市の衣浦(きぬうら)観音 ↓

いつも遠くから眺めるばかりでしたので、今回は真下まで行ってお参りしようと考えました。



渡船場の跡地 ↓

小高い場所に立っている観音様のところに登って行こうとすると、その麓にこんな石碑が立っていました。
石柱の崩し文字はご当地の瓦職人さんの俳句で、
「美しや 涛(なみ)打ち寄せし夜光むし」 七十六歳 通泉(号です)と花押   とあります。
※なお、石碑の俳句の読みについては高浜市観光協会に電話して女性職員の方から丁寧に説明をしていただきました。ありがとうございます。この場にて書き残して、再度御礼申し上げます。

渡船場の説明書き ↓

傍らの木の看板の方には、かつて、ここから対岸まで渡し船が通っていた、ことを案内しています。


衣浦大橋については、これから後に向かいますので、そこで案内します。



衣浦(きぬうら)観音 ↓



大観音像「衣浦観音」の真下に来ました。これは陶製で、陶製の観音としては日本一です。
この観音像は、高浜の鬼板師で「鬼長」の屋号を持つ浅井長之助氏の製作で、これを焼成したのは、陶管の窯元、森五郎作氏です。
歳月約4年の苦心の末、昭和34年3月完成しました。高さは8メートル、中央は鉄筋コンクリートの円柱を基礎にして、12角面の外観台の上に建っています。
製作に当たっては本尊48蓮台を24の部分に分けて造り、これを組立て結合しています。
焼成には、粘土の収縮率がそれぞれ異なるため、非常な苦心研究の上製作されたとのことです。
(以上ネットより引用)
観音様にお参りします。


観音寺 ↓

観音様のお寺さんにもお参りして下りて行きます。



広い車道を潜り抜ける ↓

観音様の高台から下りて、目の前の広い産業道路を地下道で潜り抜けます。



衣浦大橋 ↓


衣浦湾 ↓


歩行者と自転車の道 ↓

(以下はwikiより引用)
衣浦大橋(きぬうらおおはし)は、愛知県高浜市碧海町から同県半田市州の崎町に至る海上に架かる国道247号(愛知県道46号西尾知多線重複)の道路橋である。衣浦湾で隔てられた知多半島と三河地方碧海地域を結ぶ重要路線となっている。

上り線(南側)、下り線(北側)の2橋からなる。

旧橋は1956年1月27日に日本初の海上橋として開通し(有料)、新橋は1978年2月に完成した。

新橋が完成したことにより下り線(旧橋)は半田から高浜方面へ、上り線(新橋)は高浜から半田方面への道路として分離しそれぞれ2車線となっている。

1956年(昭和31年)1月27日:衣浦大橋(北側)が有料道路として開通する。
1968年(昭和43年)4月1日:この日から無料開放。
1978年(昭和53年)2月:衣浦大橋(南側)が開通。
(引用終了)

家を出た時は風がほとんどありませんでしたが、橋上に来ると海風を強く身体に感じ、結構心細い思いをします。
この橋を車で往来したことは過去に何度もありますが、自転車で通行するのは初めてのことで、思うところが多い筈なのですが、海面を見下ろし、横殴りの強い風にさらされて、緊張感のために懐旧の念は湧きませんでした。
コメント (4)
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