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ぶちょうほうの画(え)日記(一語一画(え))

亭主「ぶちょうほう」の身の周りのいろいろな風物を「画(え)日記」ふうに綴っています。

10/26日 自転車で回遊 その2(最終記事):村積山、豊田市の水源橋、サイクリングロードで戻る。

2019-10-29 07:03:49 | 草花
山間の道でお猿さんの集団を見た後は奥殿陣屋の横にある熊野神社に着きます。ここの境内から登山道がつけられています。

ところで「奥殿陣屋」とは江戸時代に奥殿(愛知県岡崎市奥殿町)に藩庁を置いた藩の陣屋であり、松平乗真(のりざね)の代の1711年、藩庁をここに移したもので、譜代の大名で禄高は1万6千石でありましたが、明治維新後には明治4年に廃藩置県に先立って、財政困窮のために廃藩申請をして廃藩となりました。
その後、陣屋跡地は建物を取り壊したりして、ほぼ田畑となっていましたが、昭和59年頃から復元整備が進み、現在は「村積山自然公園」の一部として整備され、書院や日本庭園、食事施設、観光農園などを持つ観光施設となっています。そのほか裏手の山中に歴代藩主の墓所や土塁も残されています。

今回は奥殿陣屋の観覧は割愛して、村積山の山頂を目指して歩いて行くことにします。

熊野神社 ↓

山裾で北向きの、あまり日当たりの良くはない場所なんでしょうか、寂れた感じの神社があります。



登山道 ↓

登山道は神社の境内からつけられています。山頂まで高度差は200メートルありますが、復路の都合で、漕いできた自転車も押し上げてしまうことにしました。



木段 ↓

登山道は木段が大部分でしたが、自転車を押し上げるのはかなり大変なアルバイトとなりました。



山頂の一角 ↓

行く手の建物はごく小規模の催事場でしょうか神楽殿のような規模の小さなもので、右手にはこれに正対して一段高い位置に社殿があります。



村積神社 ↓



村積神社は社殿がごく小規模で、檜皮葺?屋根になっていました。そしてその社殿をアクリル屋根で覆っていました。



狛犬 ↓



狛犬が新旧二組揃っていましたが、やはり古い方が格式と趣きがあるように感じました。



展望台 ↓

山頂から80メートルほど離れたところに展望台があり、そこからは鈴鹿の山並みや伊吹山、能郷白山、加賀の白山までが見えるようですが、この日の天気ではそれが望めませんでした。



ホコリタケ ↓

山中でホコリタケを見つけました。キノコを指で押すと、薄黄色のホコリ(胞子)が画では北北東の方向に吹き出しています。



三角点 ↓

折角来たので、社殿のすぐ裏の一番高いところに行っておきます。そこには国土地理院の三角点がありました。


これにて山頂を後にします。山頂からは登って来た時とは別の、自転車で走れる下り一方の道がついています。


コウヤボウキ ↓

途中に開けた場所があり、そこからは木曽御嶽や中央アルプス、恵那山などの景観がありそうでしたが、曇っているためにその確認はできませんでした。
目の前にコウヤボウキが咲いています。



ムラサキシキブ ↓

同じところでムラサキシキブの実も見ました。


村積山をどんどん下り、街道に出てから、今度は豊田市の水源町を目指して漕いでいきます。


水源橋 ↓

水源橋は頭首工になっていて、ダムの上に狭い車道がついています。自転車は右端のアスファルトの黒ずんでいる部分を通ります。



明治用水水源管理所 ↓

明治用水はこの水源橋から取りいれていて、サイクリングロードは明治用水の流路に沿ってつけられている道なのです。
この場所に明治用水のおおもとを管理する施設があります。



斜張橋 ↓

新東名高速道路が矢作川に架かる斜張橋が印象的に見えています。



水源橋頭首工の下流 ↓

放流箇所を見下ろすと、ごうごうたる流れで迫力満点でした。
水源からはサイクリングロードを走り、家に戻ります。
67kmの周回距離でしたが、村積山の自転車押し登りは汗を相当振り絞りました。
コメント (2)
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