ぶちょうほうの画(え)日記(一語一画(え))

亭主「ぶちょうほう」の身の周りのいろいろな風物を「画(え)日記」ふうに綴っています。

10/24日 曇り空でしたが、久しぶりに長い時間歩いて見ました。

2019-10-25 11:20:56 | 草花
本日は朝から雨が休みなく降っていて、洗濯物が乾かないと山の神様が愚痴を言っています。
そんな天気が予めわかっていたので、昨日は熱射病の心配の無い曇り空でしたので、思い切って遠出の散歩をしてみました。
今回は概ね安城市の南部を周回することにして、目的地をとくには定めずに、気長に歩くつもりで家を出ました。
途中で足裏に豆が出来たり、靴底が摩耗して破れかけたりして、最後は体力を相当すり減らした感じがありましたが、5時間弱で約22kmほど歩いたことになりました。

実行図 ↓

赤い実線のように、北から時計回りで周回しました。



明治用水の功労者、岡本兵松翁の像 ↓

明治用水は江戸時代末期から民間人の都築弥厚から発案され、数学者石川喜平の測量を経て、明治に入り、この岡本兵松と伊豫田与八郎によって工事が実現し、明治13年に完工したものです。
これによって西三河地方の農業の発展は目ざましく、約2,000ヘクタールだった水田面積が明治40年には8,000ヘクタールを超す一大穀倉地帯へと画期的な転身を遂げました。
台地という立地条件のため、秋に水門が閉じられると水田は干し上がり畑になります。
これを利用して冬期には麦や野菜、菜種、れんげなどが栽培され、耕地の高度利用が図られました。
安城農林学校長だった山崎延吉の助けもあり、生産物は米作、養鶏、養蚕や果樹と多方面に渡り、多角形農業と呼ばれ普及していきました。こうしてこの地は「日本デンマーク」と呼ばれる、優良農業地帯になったのです。



キンモクセイ ↓



キンモクセイの大木がありました。哀しいことにこの手の香りに反応しない鼻になってしまいましたが、樹の下に来るとさすがに少しは香りを感じることが出来ました。



八劍神社 ↓


境内のさざれ石 ↓

昼食は神社の境内でとりました。
境内にはさざれ石が鎮座していました。説明書きではこの石は伊吹山の山麓から持って来たもののようです。


徒歩の周回はこのあたりから戻る方向になりました。空からはポツリポツリと雨粒が落ちてきて、レインコートの上を羽織り、帰り道を歩くことになりました。

家に着いてから、咲き出した鉢植えの寒蘭を撮っておきます。 ↓

コメント (2)
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