silly ski squadronスキー雑記

バカなスキー集団。スキーならなんでもやります京都方面本部。
突撃我ニ続ケ!!

スキーのゲレンデ食堂

2005年07月31日 02時04分12秒 | スキー
ゲレ食で一番何を食べているのかなあ、等と考えてみますと結構面白い。
写真はどこのゲレ食のものでもありません。今シーズン多分一番多かったゲレ食ランチメニューです。
昨シーズンは箱館山スキー場のからまつヒュッテ(小屋?食堂?)が多かったのでメニューが限られ少々偏っていると思います。

ハンバーグカレー(箱館山のおかげ)
カツカレー
ただのカレー
サラダ
パスタ
カツ丼

うわあ、油物が多いですねえ。冬にいくらスキーで動いても太るはずです^^;
モーグルバーンで遊ぶ時、カツカレーとかいっとくと、コブで食らった時に出てしまいそうになります(笑)。
昨シーズンも土日やGWはランチで並ばされましたが、一番並んだのはGW後半のARAIでしょうか。30分程度並んだような…。
普段比較的空いている所で滑ったり食べたりしているので、あれには参りました。

良かったところ
ガラガラの4月のウイングヒルのランチ。ま、空いていればどこでもある程度の点数は出ますが。
GW連休前半の八方の黒菱カフェレストラン…だったかな?味がどうこうより、昔のゲレ食っぽく、喫煙もデフォルトでOKだったのが良かったと思います。

びわこバレーも空いてさえいれば、笹平のあのゲレ食も捨てたものじゃありません(ブッフェスタイル)。

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スキーラジオ2

2005年07月30日 00時57分40秒 | スキー
はい、木曜日は京都グラインド&バンプスラジオでした。
無理やりスキーやボルダリングの話題を絶対一般リスナーには分からない用語を羅列したり、内輪話だけで盛り上がっている存在意義(レゾンデートル)不明な番組です。
FM79.7もチェックしてね。

写真どうしようかと思ったんですが、顔が不鮮明なのでこのまま載せちゃいます。
いいよね?
ま、結構楽しいんですよラジオ放送って。
ここはNPOなんで番組会員になれば料金を払えば番組を持つことが出来ます。
京都グラインド&バンプスの放送は第2,4木曜の8時30分~45分です。再放送もあるでよ。
一応公共の放送で、J・P・オークレアやマーク・アブマ等フリーライドスキーやモーグルの話を濃い濃い内容で語っているのはうちぐらいだと思いますねー。

ちなみに向かって一番左が当ブログ管理人です。

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スキーのオフトレ(ボルダリング)

2005年07月29日 09時56分09秒 | スキーオフトレ
さてスキーネタがないではないのですが、ちょっとボルダリングの話。それに伴いカテゴリーにスキーオフトレを追加しました。
写真は京都CRUXと言うボルダリングジム内部。

ボルダリングの話は以前にもしており、動きがスキーとは相互補完的なので余りトレーニングにはならないと書きましたが…この時期は打ち込んでいるので少々書きます。
まずボルダリングと言うスポーツ?ですが写真のように今は屋内で楽しんでいます。壁の高さ4m程度のロープなしのロッククライミングと考えて下さい。
スキー、特にモーグルのオフトレとして優れている点はボディテンションでしょう。何故なら登る場所は殆どは垂直を越したところですから、腹背筋等の体幹部の筋肉はみごとにつきます。

ひいてはコブを越す時の上体の安定、リカバリー時の能力(潰されにくい)、腰痛の防止等に効果があります。

色々な効果的なオフトレはあると思いますが面白くなければ続かないものです。遊び要素はないですがトレーニングジムが勿論一番効果的なんでしょうけどね(笑)。

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スキー用語対比

2005年07月28日 10時33分06秒 | スキー
面白いのみつけました。フランススキー用語と英語の対比。ついでに日本語ってか普段のカタカナも。

bosses:moguls :モーグル
sauts:aerials:エアリアル
grand tremplin :big kicker :ビッグキッカー
ligne de pente constante :fall line :フォールライン
plateau des tremplins :knoll :ノール
descente:downhill:ダウンヒル(デサント)

等々

写真。エドガーは相変わらず元気なようですね。

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スタート方法:羹に懲りて膾(なます)を吹く

2005年07月27日 09時23分35秒 | スキー
イラストは勿論、スキーレースでのスタート方法を説明したもの。
1/100秒でも早くスタートゲートを切る方法ですが、これで昔に痛い目にあっています。

SLの練習時に思いっきりジャンピングスタートしたら、ルック・ネバダが両足とも誤解放して顔面に正面から200cmのロシニョールのSTコンペが飛んできました。
当時、SLでヘルメット等着けませんから顔面に直撃。
前歯を2本折ってしまいました。かなり笑えますが本人は悲惨なものです。

それ以来、偶にポールをくぐる機会があってもなるべくトップには圧を加えないようにスタートを切っています。
そんなにしずしずとスタートを切らなくても、ねえ…(笑)

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ロタシオンにおける皮肉な出来事

2005年07月26日 10時44分10秒 | スキーテクニック編
フランススキーとオーストリアスキーが、互いにローテーションとアンギュレーションで技術の違いを出していたのは遠い昔。
1960年には、相互補完的に技術は歩み寄りを見せていました。

写真のイラストは不鮮明で申し訳ないですが、ドイツ式のローテーション。これを1980年代なかばにミッターマイヤーとノイロイターは、シュブングの基本は逆ヒネリだが、ローテーションはエキスパートスキーヤーで、ある場面に於いては非常に有効であるとしています。
一方それよりかなり以前の1970年には、フランスのG・ジュベールがロタシオン又はプロジェクション・サーキュレールは百害あって一利なし!とまで言い切っています。
皮肉な逆転現象ですね。

ただしジュベールは素晴らしい理論家ですが、少々エキセントリックなところがあるようで、これは極端すぎると思います。
完全な振り込み動作によるターンは良くないですが、ターンの一部にローテーション動作が出てくるのは間違いだとは思いません。

それにしてもフランス人(ジュベール)とドイツ人(ミッターマイヤー&ノイロイター)によるスキーテクニック本の雰囲気の違いは読んでいて楽しいものです。

フランス人は緻密に語りながらもどこかフィーリングで理解させようとしていますし、ドイツ人は簡素で朴訥な文章です。
イラストも違いがあります。
こちらは明らかにイラストはフランス人の勝ちです。簡素なラインながらスキーヤーの理解を助けます。
ドイツ人の方は、なんとかよく理解してもらいたいという気持ちは伝わるのですが、それゆえに不要な書き込みが多く見づらくなっています。

いや、別にこれ、普遍的にフランス人とドイツ人がそうだと言うわけじゃありませんよ。
この3冊の本に限ってです、多分…かな?(笑)

「革新フランススキー」
「ザ・スキー」
G・ジュベール

「これがミッターマイヤーとノイロイターのアルペンスキー」
ミッターマイヤー&ノイロイター

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忘れられたホテル(志賀高原ホテルVol.2)

2005年07月25日 10時38分07秒 | ホテル・宿泊
ホテルの歴史に関しては和合会のホームページに詳しく載っていましたのでご確認下さい。写真もそこから頂きました。
歴史はともかく当時の雰囲気を伝えて行きたいと思います。

当時の交通ですが、ほぼ車で行っていました。高速道路はまさに開通したばかりの名古屋、神戸間の名神しかなく、あとは延々と国道19号線を走って約12時間(京都から)かかりました。
深夜の木曽路の味わいは何物にも変え難い旅愁を子供に植え付け、まさに島崎藤村だなあ等と思っていました。
当時、小さな看板で薮原スキー場というのが出ているのが気になっていましたが、いまだに行ったことはありません。
深夜ドライブと言えばドライブイン恵那を忘れることが出来ません。確か当時24時間営業だった筈で食堂の他に多数の屋台のようなものがありました。
常に車やトラックで賑わっており、そこで普段は食べられない深夜の食事を楽しんだものです。
車でない時は、夜行急行ちくまで一人で出かけたりしていました。

ホテルに戻りましょう。最初に行った時は木造の本館のみでしたが、すぐに新館が出来、その後しばらくしてから新々館(当時勝手にこう呼んでいた)が出来、その後本館の改装がなされましたが本当のベース部分は不変でした。
しかしこのホテルの一番良かった時期は新館が出来た時までで、増客を見込んだ新々館を建てた時に同時に専用リフトを取り外した時からガタっと常連客が離れて行きました。
そう、経営維持のために団体を入れ出したからでバスが駐車場に泊まり出してからは雰囲気が変わってしまい、従業員の質も極端に低下しました。それまでは志賀高原ホテルのスタッフは、まことに礼節正しくかつフレンドリーで、支配人からボイラー室の方、見事な禿頭(とくとう)の物静かで礼儀正しい老いたハウスキーピングの方まで全てに見事にホテルマンでした。
但し、食事はフレンチでしたがたいしたことはなかった(笑)。

これは当時経営元の京都ホテル(現、京都ホテルオークラ)に非常に責任があり、同時にその頃京都ホテルの経営陣が変わり古い良いスタッフが一掃されてしまいました。
京都ホテルに限って言いますと、まずホテルの顔であるベルキャプテンの確か浅井さん?だったと思うのですが恰幅の良いいかにもベルキャプテンらしい名物スタッフが現場から外されたり、全くホテルと言うものが分かっていない上部に客も憤慨していたものでした。
その結果、京都ホテル本体も客離れが起こり経営危機となって現在のオークラグループに編入されたわけです。結果的にはそれが良かったのかどうかは分かりませんが少なくとも志賀高原ホテルは、壊されたと言うイメージを持っています。

全盛期の志賀高原ホテルは極めて限られた客層でありまして正月はほぼ100%が常連の長期滞在で、多くの日本の有名な会社のオーナー社長クラス、芸術家、外交官が滞在していました。
特に外交官は多く、確かスイス大使館の方だと思うのですが…いつも連れて来ておられた大きな犬はちょっと名物になっていました。余談ですが、この飼い主の初老のよく太った白人はしょっちゅう私たちの部屋に電話をかけて来てわたしの母を誘っていたものです(笑)。で、息子の私が電話に出るとガチャリと切るという何とも愉快な人物でした。
犬はおとなしく泰然としており、普段は暖炉の横に寝そべっているのですが時々ダイニングにふらりと入ってきては飼い主を激怒させておりました。
何故そんな事が許されるの?これには理由がありましてここは第二次世界大戦後、進駐軍に接収されまして一時は日本人は利用できなかったのです。
ですから白人系は特権的だったのですが、勿論ホテルに来ているのは上質な白人ばかりなので、紳士的でお洒落で少なくとも表面上はレイシスト(人種差別主義者)等は一人いませんでした。
駐車場には多くの車が停まり、リンカーン・コンチネンタル等が細い急な雪道を上って来ているのなどを見て驚いていた記憶があります。当時のリンカーンはまさにフルサイズで今の小さなフルサイズ(キャデラックセビルですら今は全長5m、幅1.9mしかありません)等と比べるべきもありません。

他に記憶によく残っているのは、私が今まで見た最高の美人がここにいたことです。
それはイラン大使館のティーンエイジャーの娘さんで(当時イランはパーレビ国王時代で西側諸国に属していました)、その背の高い、エキゾッチックな顔貌は中学生男子の憧れの元でした。
一緒に滑ってはときめいていたものです。年齢の近い男子としては私より2学年ほど上だと思うのですが朝吹さんの息子さんとも偶に滑らせて貰っていました。彼は非常にスキーがうまく当時で既にSAJ一級を持っておられました。今の感覚で言うと中学生がテクニカルを持っているようなものです。
ちなみにヴォーリズ設計の旧:朝吹邸は港区に東芝高輪倶楽部として保存されています。
あと島津貴子(昭和天皇の末娘)さんも来られていました。やんちゃなお二人の息子さんもご一緒に。
まあ豪華なメンバーでした。でもそれは今から思えばのことです。当時はそういうものかなと思っていましたから。そういう時代だったと言うことです。

鬼籍に入られた方も多いと思いますが、当時お世話になった方たちは今ごろどうしておられるのでしょう。
想い出は淡いパステル画のようです。

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忘れられたホテル(志賀高原ホテルVol.1)

2005年07月24日 13時33分17秒 | ホテル・宿泊
何回か旧:志賀高原ホテルのことを書いていますが、これで終わりに。そのかわりしっかりと記録しておきたいと思います。
何故なら今はもう記念館だけになったそのホテルの全盛期を語る人がネット上にいないからです。

写真は小学生当時のわたしと志賀高原ホテル専用スキー場。ざっと40年近く前の写真です。
志賀高原ホテルはたしか昭和6~8年位に出来ました。上高地帝国ホテル、軽井沢万平ホテル等(元の亀屋は明治よりあり)とともに昭和一桁に出来た赤屋根、木造の低層本格的ヨーロッパ風ホテルです。
今のスキーリゾートホテルNO.1の赤倉観光ホテルが昭和12年です。様式は非常に志賀高原ホテルと上高地帝国に似ており明らかに設計者が同じか、それを参考にしたものだと思われます。
万平ホテルは泊まったことがないのでさておき、志賀高原ホテルと上高地帝国は本当によく似た雰囲気を持っていました。

双方とも現地の木材で組まれた外壁、石の暖炉等私が泊まっていた頃でも既に築後30年は経っていたのですが古いながら磨き込まれた重厚な風格を醸し出していました。
最近人気の奥志賀高原ホテルは歴史が意外に浅く、当時出来たばかりの奥志賀高原スキー場に長野電鉄が作ったホテルとして認知されており、高級リゾートホテルとしては若干下にランクされていました。
今や押しも押されもせぬ日本の代表的スキーリゾートホテルです、確かに良いホテルです。

今、志賀高原ホテルを観ようとするのであれば、サンバレー(旧:法坂スキー場)から丸池スキー場に行く寸前に左手に旧館のみ記念館として残してありますのでお暇な方は是非。

サテわたしは小学校3年~大学時代までほぼ毎年1~3週間程度このホテルに泊まってスキーをしていたのですが初めてのスキーヤーにとって(本当のデビューはその前のシーズンの比叡山人工スキー場でしたが)、リフトが1本かかるホテル専用スキー場は、夏はゴルフの練習場になっており、短いながらすり鉢状でなかなか難しいコースでありました。
そこをベースに丸池、蓮池、法坂には毎日のように通い、ミニ遠征でジャイアント、東館山、ブナ平等で遊び、ちょっと足を伸ばして熊の湯、横手方面、また後に出来た奥志賀高原まで行っていたものです。
時にはタクシーで野沢温泉スキー場まで日帰りしたり、竜王越えをして夜間瀬に降りたりもしておりました。

つづく

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クランポナージュ

2005年07月23日 11時06分54秒 | スキーテクニック編
イラストは内足の切り込みによるターンをあらわしています。G・ジュベールはこの技術を、時に速いことがあるが一般的にリスクが高くタイムは期待できないのでやめたほうが良いと解説しています。
一時期ヨーロッパのスキーレースシーンでよく見られたそうです。

今は整地ではカービングスキーの時代ですが、内足は大切とは言え基本は外足です。基本はというのは荷重の多くは、という意味です。
とはいえ優秀なエキスパートスキーヤーはコンパクトに内足を畳んで、強い遠心力を受け止めることができます(イラストのような体勢では無理)。

ただカービングスキー全盛期とはいえ、一般スキーヤーがクランポナージュ的な動きをするのは形だけのものになってしまい有用でないように思います。
人体の構造上、どう考えても内足は遠心力に耐えられません。一般スキーヤーが内足を注意すべきは切り替え時(この時は内足一本になって構わない)からターンマキシマムに向かう時のターン方向への内旋運動だと思います。

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スキー本

2005年07月22日 09時44分57秒 | スキー
昨日、スキーショップで話をしていたら、古い本があるのでどうぞと言うことで掲載写真の本をお借りしました。
1989年「これがミッターマイヤーとノイロイターのアルペンスキー」ベースボールマガジン社当時2,800円。
2,884円のシールが貼ってあるので消費税が3%の頃ですね。ちなみに表紙写真はトンバ。

ロジ・ミッターマイヤーとクリスチャン・ノイロイターの現役時代と僕じしんの競技時代はほぼ重なるので、よく親しんだ名前です。
この2人の優秀なワールドカップレーサーによって書かれた本は、G・ジュベールの緻密な理論とイラストには及ばないが、非常に興味あるテクニックを示してくれています。
本の名前がどうにも冴えないのは別として(笑)。

この本で一番に興味のあるところは勿論、アバルマンに対応する場所です。この本の時代はアバルマン発表後20年近く経っています。
さてどうなっているのでしょうか?

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