田辺聖子の「上機嫌な言葉366日」を読みました。
これまでの作品の中から人生訓めいた言葉をあつめたものです。
私は、この世の中でどれほど楽しみをみつけ得るかということが、女のかしこさの度合いだと、この頃つくづく思うようになっている。
若々しいのがやはり「イイ顔」であろう。物理的な年齢のことではなくて・・好奇心を持っているか、知ったかぶりをしない、だから70歳の若い顔もあれば、17,8の年寄顔もいるわけである。
私はこのごろ、幸福になる能力のあるなしは、ひとえにかかって「棚上げできる能力」にあるのではないか、と発見した。
これはかなり私の偏向した嗜好かもしれないが、私は人と人の車間距離をとれることを、オトナの教養だと思うときもある。
→これは以前ご紹介した「乗り換えの多い旅」の「人は点と点とのつながりでいいのだ」に類するものでしょう。
など、膝を打ちたくなるような言葉がいろいろ。
でも中には、断言しすぎでは?というようなことも。
尊敬して愛する、なんて考えただけでも辻褄の合わないコトバである。尊敬する、というのはかぶとをぬぐことで、愛するというのは、かぶとと関係ない次元のことだから
と聖子先生は書いています。
「尊敬はしないけれど愛する」という恋愛もあるでしょうし、「尊敬しているけれど愛せないからつきあえない」ということもあるのはわかります。
とはいえ、愛しているから(美点に気付き)尊敬する、尊敬するからこそ(その人がよく見えて)さらに愛する、ということもあるのではないでしょうか。
今日は結婚記念日だからこういうことをしみじみ思うのかもしれませんが、私の場合は、愛と尊敬とは相乗効果だと自己分析しています。
左脳と右脳は隣り合わせですし影響し合っているのでは。というのが脳科学者でもなんでもない私の説ですが、さて、皆さんはどうお考えになりますか。
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上に抜粋した”幸福になる能力のあるなしは、ひとえにかかって「棚上げできる能力」にある"ことがはからずも証明されているともいえます
少なくとも、夫に関しては私の至らない数々のことを忘れてくれているようなのでまさにその通り(・・と本人が言いそうです)。
おっと。
聖子先生によると
家庭の幸福、などというものは、その家庭では芳香だが、外へ洩れると悪臭になる。とのこと。
おっしゃる通りです
”悪臭”に耐えてここまで読んでくださいましてありがとうございます。励みになりますのでブログランキングへの投票(ここをひとぽち)お願いします
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