50年近くお世話になったコンタクトとお別れ。正直まだ快適とまではいきませんが、朝起きてコンタクトを入れ、夜寝る前にはコンタクトをはずしてという生活、コンタクトがなければほとんど見えないという生活からは解放されました。
白内障の多焦点レンズ挿入の手術を受けました。
まず、経緯からお話します。3月、以前仕事でごいっしょしたことがある女性から突然電話があり、わざわざ訪ねて来られて「以前、あなたが遠近両用コンタクトを使っているということを聞いていたので、いい情報を伝えたい」ということでした。
少し前に彼女も、近眼と老眼で、眼鏡をかけたりはずしたりという、仕事上で大変不便を感じており、思い切ってこの手術を受けたそうです。それが良かったので、知らせてくれたということでした。
私も何とかコンタクトを調整したりして、遠くも近くもある程度支障なく見えていたのですが、もし災害などあった時にコンタクトが洗えなくなったり、なくしたりしたらどうなるか、など考えると、だけれども今更メガネはかけたくないし、と思っていたので、調べてみることにしました。
白内障に関する病院のパンフレットや本も買って読み、やってみようと思いました。それからまず、(日帰りも可能と書いてあったので)会社の近くの病院を受診。初めの病院は日帰りで出来るが、手術前1か月はコンタクトを使えないとか、術後1か月は保護メガネをかけなくてはいけないなど、どうも私の生活にはあわないので、ここはヤメ。次にO眼科の天神病院に行ったのですが、ここは手術が出来ないということなので、結局良く知っている呉服町のO眼科本院に行くことにしました。
何とか時間を見つけて、一度4月に受診。その後、コンタクトを1週間試用しないで5月に検査。仕事のスケジュールもありますので、私の中では、6月の中旬の5日間であれば休めるかと、計画。この5月の受診の時に、検査結果良好、手術日、入院の部屋空きなどもすべてOKで6月に計画を入れました。
いよいよ待ちに待った手術の1週間前。原因は分かりません。突然、右目が痛くなって充血。これはいかんと病院に行くと、原因不明。手術は取りやめ、少なくとも1,2か月は様子を見て再決定をということになりました。この時の失望感!コンタクトがいらない生活が出来ると張り切っていただけにがっくりでした。
それでもスケジュールだけは空けておかないとずーっと出来ませんので、密かに10月に1週間確保。委員会などのスケジュール調整が入っても、✕を付けて日程を確保しておきました。一応入院の予約だけは取っておきました。
それから毎月検査に行き、やっと10月の初めにOKが出て、21日入院、22日右目、23日左目の手術、そして、26日に退院してきました。
2度のお産以来、45才ぐらいの時に一度手術と2週間ぐらいの入院をしたことがありますが、久しぶりの入院。しかし、昨年亡くなった母の入退院を手伝っていましたので、手続き、用意は慣れたもの。手術前日の午後から入院。
しかし正直、明日が手術と考えた時は、あんなに待っていたのに、ちょっと怖くなりました。
そして、当日朝、予定では午前9時45分の手術でしたので、8時に朝食、診断などあわただしいこと。10時ぐらいにやっと車いすが迎えに。「何だか大げさ」と思いながらもエレベーターに乗って上の階の手術室へ。
外でスリッパを脱ぎ、足カバーをし、キャップをかぶって寝台に横になります。ここで感染予防の点滴を入れ、そのまま手術室へ。コンタクトをはずしているのでまったく中の様子は分かりません。優しい音楽が流れています。
目を洗ったり、麻酔の目薬をさして、いよいよ開始。顔の倍ぐらいあるような大きさの真ん中が空いた紙を右半分にかぶせられ、その上にまた薄い紙を載せて目周りを固定。先生が名前確認と手術名を言われていよいよ始まりました。
正直怖くて怖くて、どうされているのか分からないだけに恐怖心が膨らみます。看護師さんが手をしっかり握ってくれていたのがどれだけ救いになったでしょう。何度も「肩の力抜いてー」と言われてもそれは無理。ガチガチに力を入れていました。
時間にして10分ぐらいでしょうか。「終わりました」と先生。しっかりと眼帯されて、点滴を付けたまま車いすで病室へ。あー怖かった!疲れたー。
この日は1時間もすると起きていいし、食事も出来ます。まだ病院に慣れないので、食事は食堂でも出来るのですが、しばらくは部屋に持っていってTVを見ながら食べていました。
さて、次の日の午後、左目の手術。この日の午前中に診断があり、もう右目の眼帯をはずします。「わー明るい。よく見える」と感激。でももうひとつの手術が待っています。午後までの長かったこと!
ある程度どうされるか分かっているので、初めての時よりも落ち着いているようで、逆に次はどうと知っているだけに不安が増す・・・・何とも嫌な気分です。
今回は少し時間がかかりましたが、無事終了。この日も夕方ですが、1時間ほどは安静にして、夕飯は食堂で食べてみました。
すべて終わった安堵感もあって、何人かの女性たちと仲良くなり、お互いの状況や、手術の話に花が咲きました。
次の日は、午前中に診断があり、眼帯もはずれ、晴れて裸眼の生活が始まりました。思えば50年、コンタクトなしでは考えられなかった生活が、ウソのようです。
勿論、目については細心の注意事項がたくさんあり、勿論、シャワーも顔洗いもダメ。顔はタオルで用心して服だけ。体も毎日熱いタオルが3枚配られ、真夏ではないので、何とかしのげました。
あとは、抗生剤の薬と1日4回の目薬さし。退院までの1日半はゆっくりすることと、目薬を忘れないことに終始していました。
そして、金曜、すべて清算なども済ませて、11時頃退院。まずその足で、美容院に髪を洗いに。すっきりしました。
外での見え方は初めは慣れず、少しまぶしかったり、多少違和感がありましたが、慣れるそうです。それにしても新聞、本が良く見えます。床に落ちている小さなごみもくっきり。見えると世の中が明るく、頭で考えることもクリアになるみたいな気がします。
今回の手術ですが、普通の白内障手術、単焦点レンズを入れるのは、保険がききます。しかし、わたしのした多焦点レンズのは保険がきかず、勿論調べてのことですが、民間の保険の先進医療保険に入っていたため、全額保険金が返ってきます。これがなければ決心はつかなかったかもしれません。
そんなで、いろいろな意味でチャレンジではありましたが、まだ仕事もスポーツも旅行も遊びもしたいので、目をとりもどしたことでこれからの人生がより楽しみになりました。
白内障の多焦点レンズ挿入の手術を受けました。
まず、経緯からお話します。3月、以前仕事でごいっしょしたことがある女性から突然電話があり、わざわざ訪ねて来られて「以前、あなたが遠近両用コンタクトを使っているということを聞いていたので、いい情報を伝えたい」ということでした。
少し前に彼女も、近眼と老眼で、眼鏡をかけたりはずしたりという、仕事上で大変不便を感じており、思い切ってこの手術を受けたそうです。それが良かったので、知らせてくれたということでした。
私も何とかコンタクトを調整したりして、遠くも近くもある程度支障なく見えていたのですが、もし災害などあった時にコンタクトが洗えなくなったり、なくしたりしたらどうなるか、など考えると、だけれども今更メガネはかけたくないし、と思っていたので、調べてみることにしました。
白内障に関する病院のパンフレットや本も買って読み、やってみようと思いました。それからまず、(日帰りも可能と書いてあったので)会社の近くの病院を受診。初めの病院は日帰りで出来るが、手術前1か月はコンタクトを使えないとか、術後1か月は保護メガネをかけなくてはいけないなど、どうも私の生活にはあわないので、ここはヤメ。次にO眼科の天神病院に行ったのですが、ここは手術が出来ないということなので、結局良く知っている呉服町のO眼科本院に行くことにしました。
何とか時間を見つけて、一度4月に受診。その後、コンタクトを1週間試用しないで5月に検査。仕事のスケジュールもありますので、私の中では、6月の中旬の5日間であれば休めるかと、計画。この5月の受診の時に、検査結果良好、手術日、入院の部屋空きなどもすべてOKで6月に計画を入れました。
いよいよ待ちに待った手術の1週間前。原因は分かりません。突然、右目が痛くなって充血。これはいかんと病院に行くと、原因不明。手術は取りやめ、少なくとも1,2か月は様子を見て再決定をということになりました。この時の失望感!コンタクトがいらない生活が出来ると張り切っていただけにがっくりでした。
それでもスケジュールだけは空けておかないとずーっと出来ませんので、密かに10月に1週間確保。委員会などのスケジュール調整が入っても、✕を付けて日程を確保しておきました。一応入院の予約だけは取っておきました。
それから毎月検査に行き、やっと10月の初めにOKが出て、21日入院、22日右目、23日左目の手術、そして、26日に退院してきました。
2度のお産以来、45才ぐらいの時に一度手術と2週間ぐらいの入院をしたことがありますが、久しぶりの入院。しかし、昨年亡くなった母の入退院を手伝っていましたので、手続き、用意は慣れたもの。手術前日の午後から入院。
しかし正直、明日が手術と考えた時は、あんなに待っていたのに、ちょっと怖くなりました。
そして、当日朝、予定では午前9時45分の手術でしたので、8時に朝食、診断などあわただしいこと。10時ぐらいにやっと車いすが迎えに。「何だか大げさ」と思いながらもエレベーターに乗って上の階の手術室へ。
外でスリッパを脱ぎ、足カバーをし、キャップをかぶって寝台に横になります。ここで感染予防の点滴を入れ、そのまま手術室へ。コンタクトをはずしているのでまったく中の様子は分かりません。優しい音楽が流れています。
目を洗ったり、麻酔の目薬をさして、いよいよ開始。顔の倍ぐらいあるような大きさの真ん中が空いた紙を右半分にかぶせられ、その上にまた薄い紙を載せて目周りを固定。先生が名前確認と手術名を言われていよいよ始まりました。
正直怖くて怖くて、どうされているのか分からないだけに恐怖心が膨らみます。看護師さんが手をしっかり握ってくれていたのがどれだけ救いになったでしょう。何度も「肩の力抜いてー」と言われてもそれは無理。ガチガチに力を入れていました。
時間にして10分ぐらいでしょうか。「終わりました」と先生。しっかりと眼帯されて、点滴を付けたまま車いすで病室へ。あー怖かった!疲れたー。
この日は1時間もすると起きていいし、食事も出来ます。まだ病院に慣れないので、食事は食堂でも出来るのですが、しばらくは部屋に持っていってTVを見ながら食べていました。
さて、次の日の午後、左目の手術。この日の午前中に診断があり、もう右目の眼帯をはずします。「わー明るい。よく見える」と感激。でももうひとつの手術が待っています。午後までの長かったこと!
ある程度どうされるか分かっているので、初めての時よりも落ち着いているようで、逆に次はどうと知っているだけに不安が増す・・・・何とも嫌な気分です。
今回は少し時間がかかりましたが、無事終了。この日も夕方ですが、1時間ほどは安静にして、夕飯は食堂で食べてみました。
すべて終わった安堵感もあって、何人かの女性たちと仲良くなり、お互いの状況や、手術の話に花が咲きました。
次の日は、午前中に診断があり、眼帯もはずれ、晴れて裸眼の生活が始まりました。思えば50年、コンタクトなしでは考えられなかった生活が、ウソのようです。
勿論、目については細心の注意事項がたくさんあり、勿論、シャワーも顔洗いもダメ。顔はタオルで用心して服だけ。体も毎日熱いタオルが3枚配られ、真夏ではないので、何とかしのげました。
あとは、抗生剤の薬と1日4回の目薬さし。退院までの1日半はゆっくりすることと、目薬を忘れないことに終始していました。
そして、金曜、すべて清算なども済ませて、11時頃退院。まずその足で、美容院に髪を洗いに。すっきりしました。
外での見え方は初めは慣れず、少しまぶしかったり、多少違和感がありましたが、慣れるそうです。それにしても新聞、本が良く見えます。床に落ちている小さなごみもくっきり。見えると世の中が明るく、頭で考えることもクリアになるみたいな気がします。
今回の手術ですが、普通の白内障手術、単焦点レンズを入れるのは、保険がききます。しかし、わたしのした多焦点レンズのは保険がきかず、勿論調べてのことですが、民間の保険の先進医療保険に入っていたため、全額保険金が返ってきます。これがなければ決心はつかなかったかもしれません。
そんなで、いろいろな意味でチャレンジではありましたが、まだ仕事もスポーツも旅行も遊びもしたいので、目をとりもどしたことでこれからの人生がより楽しみになりました。
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