久留百合子の生活者視点

仕事、旅行、日常のちょっとしたことから得た情報、生活者として感じたことなどを綴ってみます。

どこかで必死が必要?

2009-03-17 16:26:18 | Weblog
 何かをする時、いつもではありませんが、”ここ”という時、必死になる時が必要なような気がします
 私は、最近3つほどそのような経験をしました。ひとつは、ジャズダンス。同じ先生に就いて25年以上。先生も確か65歳近くになられます。
 3B体操から始まった先生のレッスンは、エアロやヒップホップ、バレーなどを取り入れて、今は、通常は1時間ストレッチや腹筋、バレーを取り入れた体の基礎作りをして、残りをジャズダンスという構成です。
 そこに、年に2回大会があるので、大会前数か月は、ジャズダンスのウエイトが高くなります。

 踊りって難しいんですよ。振りは、1、2か月かけて少しずつ覚えていくのですが、何しろ記憶力が持続しないので、週2回確実に行っていれば覚えていくのですが、途中休んだりすると、皆にどんどん遅れをとっていって、最後覚えていない自分が残るのです

 今回も、4月の大会に向けて練習を重ねているのですが、少し前まで、振りを覚えていない3人組に入っており、その時期は憂鬱になっていました。しかし、何としてでも覚えないと、まず楽しくないし、大会では、70名ぐらいで踊りますので、間違えは許されません。
 久しぶりに、必死で覚える努力をしました。レッスンから帰って復習。寝る前に思い出して振りを踊ってみる。レッスンの時は、30分ぐらい前に行って前練習に入る、など、兎に角その時期、夢に見るほど必死になりました。

 もうひとつ、こちらはジャズダンスほど必死ではありませんが、でも上手になりたいのはいっしょ。50過ぎて始めたゴルフです。
 40代から毎週のようにコースに行っている夫を見て、「あんなもの、あれだけやっていれば上手になるわい」と思って見ていた私ですが、なぜか50を過ぎてやってみようかとレッスンに通い始めたのです。やってみると何とも難しいスポーツ
 ある程度打ち方や、ルールが分かって、コースに出始めたのですが、スコアーは、百うん十。それでも自然の中でのスポーツは気持ちよく、楽しいのですが、これもやはり上手にならなければつまりません。
 そこで数か月前からインドアの個人レッスンに行くようになりました。ある時、週に1回、何も考えずレッスンに行ったら、すっかり先週習ったことを忘れていて、先生から、習ったことを書いておくとか、家で体だけでもいいから思い出してクラブをフル真似をするとかしなくては、と言われて、はっとしました。
 やはりここでも、ある時期集中して、上手になりたい、習ったことを習得したい、という必死な気持ちがないといけないのだなと思いました。”集中”という言葉に置き換えてもいいかもしれませんね。

 もうひとつは、スキーです。これは残念ながら、1年に1度しか行けません。大学時代に覚えたので、何とか滑れるのですが、どんな雪や斜面の状態でもかっこよく、気持ちよく滑るというところまで行っていません。
 このところ、3泊4日で年に1回行くのですが、この3日半の時間は、仕事のこともすべて忘れて、ひたすらスキーが上手になりたいと、必死でです。
 素敵なホテルや温泉も楽しめるのですが、朝9時半ぐらいから夕方5時半ぐらいまで昼食を除いてずっと滑ります。頻繁に来れないというのが大きな理由ですが、いろいろなコースをカッコよく滑りたい一心からです。
 だいたい半日はレッスンに入るようにしているのですが、そこで習ったことを滑る時に必死で思い出し、滑りに取り入れていきます。
 夜は、夫が買って持ってきたスキーレッスンのDVDを皆で見て、復習。こんなに集中できて、打ち込める時間ができて幸せだなーと思ったりもします。

 私は結構好き嫌いがはっきりしていて、関心がないことにはどんなに人に勧められても興味を持ちませんが、自分で好きとなると、とことん、というところがあるようです。
 勿論、こつこつ長く続けていくことも大事ですが、どうも、何となく続けるのではなく、”ここ一番”という集中する時が必要な気がします。その方が上達するし、本当の楽しさが分かるような気がします。皆さんもそのような経験ありませんか 


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