私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

小雪物語ーろうろうじ

2012-06-17 14:47:52 | Weblog
 そなん小雪の不安心を見抜いたのでしょうか菊五郎は、更に、話を続けます。

 「この『へだて心』を、今度舞う小雪さんの舞い姿の中に人々に披露したいと考えて居るのじゃ。・・・・これは、ここの熊五郎さんの娘さん、きくえさんから、お聞きしたのですがね。この前、小雪さん、あんたはこの宮内のどこだったかはしりませんが、何か山の端に暮れおちる夕陽を背にしながら、お舞いになったのだそうですね。羽衣を着た天女が、途方もない大きな空に音も無く消え行った姿が、どうしてどうして、だれにも今まで見たことも無い、恰も人の魂を奪い取ってしまうかのような舞いじゃったとか。形とその影が溶け合ってしまって、自分が何ものであると云うことすら瞬間に忘れさせてしまうような真に迫った舞い見せられ、それを見られたお方が大変褒めていたとか。・・・・もう一度言いますが、よく聞いてくださいな。『ろうたし』と言うのは、見た目が、ただかれんで可愛らしいと言う事なのです。物の形だけを真似れば容易く出来上がると思いますが、『へだて心』と言うのは、その物の形に付いている影をも一緒に、言い換えると、命ということなのです。人の手では簡単には作り得ない神に近い気高く品のある美しい心です。人を超えたこの世の中の最高の美しさなのです。神様の美しさといってもいいでしょうか。どう舞い現すか、まだ、これがそうですと踊られたお人はいないのではと思います。大変な雅で難しい芸事なのです。余り時間はないかもしれまっせんが、それを目指して小雪さん、舞って欲しいのです。先日見たあなたの左手先から飛び立っている幾筋もの影の気が私には見えたのじゃ。その時、あなたなら、それがきっとできると思ったのです。何か、今、私が追い求めているその『へだて心』を、垣間見たような思いがしました。これも松斎先生から教わったことなのですが、あの紫式部が、琵琶をそれとなく奏でる少女の中に見出した『ろうろらじ』と言い現わしているその心と全く同じなのです。名優といわれるようなお人でも、20年も30年も求めても求めつくものではないそうです。でも、あなたは、案外、簡単に舞い終えることができるような、そんな気が、あの時とっさに私の頭に浮んできたのです。・・・・色々ときつい注文をさせていただきます。どうか、あなたもその気になって演じて見てくださいな。」
 と、江戸の名優さんです、きっと口を結ばれるようにして、きつく確かに静かにお話しなさいました。