私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

小雪物語ー足軽の子

2012-06-02 10:09:57 | Weblog
「何時の頃からだったかは分らないのですが、多分生まれた時からではなかったかと思うのですが、あまり人と話をするのが好きではなかったのです。物心ついた7,8歳の頃だったと思いますが、それまで仲良しの友達から、突然、『お前は足軽の子だ。もう一緒には遊ばん、付き合うのはやめる』といわれたのです。どうして、どうしてと、自分に問うてみたのですが、どうしてもその意味が分りません。母に尋ねても『あの子はご重役様のお子様だ。家柄が違うのだ』と、取り合ってくれません。剣術も、字だって私のほうは沢山知っているし、誰よりも物知りだと、いつも先生にほめられていました。それなのに、どうして、足軽と言う事だけで、家柄が違うという事だけで人をのけ者にするのか、考えても考えても分りません。それから、特に人と話をするのが嫌いになったように思います。」
 私も、こんな世界にいる女として、あそびめとしてしか見られない暮らしに慣れているものですから、この新之助さまのお心がよく分るように思えました。
 「それ以来、友達を極端に私の方から避けるようになったのです。いつも一人で書物を読んおるか、剣術の練習をするか、足守川で釣りをするかしていました。
 剣術は、人を差別はしません。誰もが同じ場所で同じように練習することができます。練習次第でご重役のお子様でも打ち負かすことができます。だから、余計励みました。同じぐらいの若者には誰にも負けない自信がありました。でも、私が無口になればなるほど、私の周りから上役の子供達だけでなく、同輩の友達までもどんどん離れていきます。それを、決して寂しいとも辛いとも、思ったことは一度もありませんでした。寧ろ、それのほうが何か私には都合がいいように、段々一人でいることに慣れ切ってしまったのか、かえってそれの方が楽しい様にさえと思えたのです。・・・・・・・・あれは、15歳の時でした。私の家のすぐ隣に小さい時から何時もよく遊んでいた、ちょと可愛らしい女の子がいました。好きだとか嫌いだとかそんな気は、私にはなかったのですが。足守川で、例の通り釣りをしていました。ふと気がつくと向こうの葦の茂みの方でなにやら人の気配がします。一人ではなく、どうも気配からすると二人組らしいのです。何事かと、その方に近づいていきました。そこに見たものは、かって私を「足軽とは遊ばん」と言った重役の息子と私の隣の家の女の子とが互いにきつく顔をくっつけるようにして抱き合っていました。何か一瞬悪い事を見てしもうたな、と思ったのですが、そのまま竿も篭も釣った鮒もそこに放り投げて走り帰って来ました。それからは何をする意欲も体から抜けてしまったように、これを「腑抜け」というのでしょうか、一日じゅう何処へも出ずにじっと部屋の中にこもりきりでした。母親が随分と心配してくれていたようですが、生憎く、うちは8人兄弟です。1人や2人のために関わっている時間はありません。結局、放っておかれたのではないかと思います。それから半月ぐらい経った時でしょうか、関といわれる道場の剣道の師範から「話がある。すぐ出て来い」と伝言があり、髪の毛もぼうぼうに伸びほうだいの自分の姿を見て、仲間達がどう言うかと、少々心配でもあったのですが、そこにじっとしていても明日は決して来ないと思い、渋々ですが、『えい面倒だ。どうにでもなれ』と、そのままの姿で、道場に出向いたのです。この己が姿を見たら、先生はどう言うかなと、一瞬、そんな思いが心を横切ります。そして、久しぶりに重い腰を上げます。